08
 それ以来、山崎と雛木がよく話しているのを目撃した。

 気さくで、物おじせずに誰とでも打ち解けられる山崎の事だ、あの電話が切っ掛けとなったのか雛木とは日に日に親しくなっていっているようだった。

 その姿を見る度に、はっきりと嫉妬を感じる様になった。

 初めこそ、その感情を否定していたが今ではすんなりと受け入れられる事が出来る。そしてその矛先は雛木ではなく山崎に対して向いているのだ。
 極力外には出さないようにしているつもりではあるが、少しくらいは表に現れていたりするのかもしれない。
 有沢の目に見えない場所でも、二人は急速に交流を深めているように見えた。初めのうちは軽く挨拶を交わすぐらいのものであったが、最近ではわざわざ場所を変えてまで話し込んでいるのだからこちらとしてもあまり内心穏やかではいられなかった。

「……山崎」

 席に戻ってきた山崎に問いかけてみる。

「ん〜?」
「最近、雛木とよく話してんな」
「えー、そっかな」

 一瞬山崎が気まずそうに視線を泳がせたのを、有沢は見逃さなかった。

「前はそこまで話してるの見なかったし、不思議だなって」
「まぁ、それはねえ」

 尋ねてみても山崎の口からは曖昧な言葉しか出て来ないのだった。まるで何かを隠すような物言いに、有沢も益々疑惑の念を抱いてしまう。
 勘繰っているうちに段々と腹が立ってきた有沢は脳内で彼を口汚く罵った。そんな事等当然知る由も無く山崎は相変わらず飄々とした様子で席へと戻って行く。

――頭のめでたいヤツ……ふざけんなよ、俺がお前よりもっと早く雛木と話してたって言うのに……

 もう何度想像の中で山崎を殴り、土下座させ、泣いて謝るのを無視して唾を吐きかけただろう。初めはこんな事を平気で考える自分が恐ろしいとさえ思っていたのに。感覚がもうすっかり麻痺してしまったのか、実際に何もしないだけ有り難く思って欲しいとさえ感じずにはいられないのだった。

 それでも、山崎との仲がぎくしゃくしてしまった訳ではない。表向きの有沢は至って普通にしているので何の変化も無い様に思う。

「そういえばさ」

 背後で山崎の声が一つした。無言のまま振り返ると神妙な表情を浮かべる山崎がいる。

「桐島先輩、ここ最近ずっと学校休んでるらしいんだ。あれから気まずくて学校にも来れないのかなぁ」

 忘れかけていた感覚が全身を駆け巡った。

「――桐島が……どうしたって?」
「だから、ずっと学校来てないんだってば。先輩が心配になって家に連絡しても部屋から出て来ないから分かんない、つって。メールの返事もナシ! どうしたんかな?」

――知るもんか、だってあれは夢の中の出来事なんだろう……?

「ま、噂なんて直に無くなるしさ。そうすりゃ先輩も来やすくなるよね」

 呑気な声の山崎とは裏腹に、有沢の心中は穏やかではいなかった。そんな彼に追い打ちをかけるように、放課後突如としてそれは起こった。

 もう、全部から逃げてしまいたかった。家にもいたくない。勉強なんて、本当はしたくない。雛木の事だって……ペンを握る指先が自然と震えた。

「あんたなんでしょ! アンタが……っ」

 唇を噛み締めて俯いていると、突如として空気を劈く様な怒鳴り声がした。聞き慣れない女子生徒の泣き叫ぶような金切り声に、嫌な予感を覚える。さっさと帰ってしまわなかった事を悔やんだ。
 怒鳴り声は教室の前の廊下から響いてきたかと思うと少しずつ近づいてきて、扉の前で止まった。それまでは所々しか聞き取れなかった声もはっきりと聞こえるほどにそれは近くで行われていた。

「やめなよミユキ、そんなの逆恨みじゃあ……」
「じゃあ他に何があるってのさ! アミだっておかしくなっちゃったんだよ! みんなみんなこいつが悪いんじゃない!」

 途端、扉に思い切り何かがぶつかる音がした。擦りガラスの向こう側によく見慣れた後姿が見えた。

――雛木……
 有沢は固唾を飲んでその光景を見守った。

「あんたでしょ!? 雛木、あんたが桐島先輩に何かしたんでしょ! 先輩がおかしくなったのも、先輩くんが学校に来なくなっちゃったのも、全部全部あんたが何かやったからよ! 違いない、そうに違いないんだ! 答えろよ、雛木っ!!」

 ほとんどが泣き声と金切り声に近い、女子生徒の叫びが周囲に木霊する。

「返して! 先輩を返してよ! 謝ってよ! あたしにもアミにも先輩にも謝りなさいよ!」
「ミユキってば、もうやめて! 雛木くんは何も悪くないよ!」

 見兼ねた有沢は勢いよく席から立ち上がると教室の扉へと近づいた。その間にもけたたましい叫び声は絶える事が無かった。有沢はゆっくりとその扉を開ける。

「少し静かにしてくれないか?」

 女子生徒は全部で三人いた。雛木の胸倉を掴んでさっきから喚いている女子生徒と、その両端から彼女を説得している女子が二人。ここからでは雛木の前髪が邪魔して、扉を背に俯いている雛木の表情までは窺い見られなかった。女子生徒達は一斉に有沢の方を見た。それぞれが気まずそうな表情を浮かべている。怒鳴っていた女子生徒も少し冷静さを取り戻したのか、雛木の襟元から手を離して後ろへ一歩、後退した。彼女の手首についていた銀色のブレスレットが小さく音を立てた。

 彼女は泣いていたらしく我に返ると同時に、まるで箍が外れたようにわっと泣き出した。彼女はそのままその場にしゃがみこんで、まるで子どもみたいに大声を上げてわんわんと泣きじゃくっている。

 残された二人の女子生徒もそれぞれが泣き出しそうな顔をしながら、彼女の腕を掴んで立たせてあげる。

「……大丈夫?」

 有沢が尋ねると右端にいた方の女の子が無言で頷いた。泣き喚く彼女を引きながら三人はとぼとぼと廊下を歩き始めた。

「雛木……」

 雛木は先程と同じ姿勢のままで教室の扉にもたれている。

「お、おい」

 何の反応も無く、微動だにしないので思わず呼びかけると、雛木はゆっくりと顔をこちらへ向けた。その顔は生気を失ったように蒼白で、まるで精巧な人形のようだった。

「大丈夫……なのか?」

 答えは無かった。その代わりに涙を溜めた両の目でこちらを見つめて唇をわなわなと震わせている。

「ちょ、ちょっと中入ろうか?」

 雛木の手を引くと有沢は彼を教室の中に引き入れた。教室の戸を閉め、有沢は雛木の背中を支えてやりながら歩く。背中を通して伝わる雛木の身体は酷く冷たかった。失礼な事だが雛木の青白い顔色と相まってまるで死人といるような心地がした。

「あ、あの」

 何を言えばいいのか分からず有沢は思わず口篭る。

「とりあえず、落ち着くまで自分の席で座ってれば?」

 勧めては見たが雛木はボンヤリとしたままで無反応だった。しかし、しばらく間があった後雛木はさめざめと涙を流し始めた。小さく嗚咽を上げながら雛木は両手で顔を覆って、泣いた。しゃがみこんで膝をつき、雛木は静かに声を上げずに泣いているようだった。

「……雛木」

 有沢はその背中にそっと手を乗せた。雛木が俯けていた顔をゆっくりと持ち上げて、その両手を剥がしながら有沢を見た。

「有沢くん。どうしよう……僕のせいなのかな? 僕のせいでおかしくなっちゃったの?」
「よく分からないけど、この前の桐島の事なのか?」

 雛木は無言でこくんと頷いた。有沢は雛木の横に腰を降ろす。

「あいつ、桐島が学校に来なくなったって? この前のあの出来事以来なのか?」
「ううん。あの日から、一日二日くらいは顔を見せてたんだって。でも様子がおかしくて。以前までの桐島さんとはまるで別人のようだったって言ってた」
「別人って、どんな風に……?」
「いきなり怒ったり、授業中暴れ出して人を殴ったり……騒ぎになるからって、クラスの人たちは固く口止めされてたんだって」
「それで桐島、今は来てないんだ。家にいるのか?」
「そうみたい。……僕は会いに行ってないけどね」
「行かない方がいいよ。きっと」

 有沢が言うと雛木は泣き腫らした目元を伏せた。

「桐島さんの恋人も……ずっと学校を休んでるって。どうしよう、僕のせいだよね、やっぱり」
「どうしてだよ。雛木が直接何かしたのか?」

 雛木は首を横に振る。

「なら、お前のせいじゃないよ」
「でも、どうしよう。僕怖いよ、無自覚のうちに人を追い詰めてるなんて凄く怖い。僕をさっき叱った女の子、はっきりと言ってたもの。僕のせいだって……僕のせいでみんなおかしくなるんだって」

 再び雛木は顔を覆ってむせび泣き始めた。

「それは違うよ、雛木」

 有沢は泣きじゃくる雛木の小さな背中に腕を回した。ほとんど無意識のうちに出た行動だったが雛木はそれを拒まなかった。雛木の身体は柔らかかった。女の子を抱き締めているのとまるで差異が無いほどに。それに驚いていると、自分の背中に二本の腕が回されるのに気がついた。雛木が、有沢を受け入れてくれたらしい。

「有沢くんはそう言ってくれるんだね……うれしい」

 何故か聞き覚えのある響きに背筋が総毛だった。

「あ、ああ。俺は……味方だ。俺は雛木の味方だ」

 一旦雛木が有沢の胸元に預けていた顔をこちらへ向けた。両の目を涙で潤ませながら、雛木は有沢の目を真っ直ぐに見つめる。

「ほんとうに……?」

 有沢が無言で頷くと雛木は指先で涙を拭った。

「ありがとう、有沢くん。僕なんかのために」

 雛木はそう言って力無く笑って見せた。同時に雛木が有沢の頬にそっと手を添えて呟いた。

「ねえ、有沢くん……して、くれる?」

 あの時、保健室で見ていた夢は現実で起きた事なのかもしれない。今更になってそんな考えが脳裏をよぎったがそんな事はもうどうでもよかった。

――そうだ……俺は多分こうなる事を望んでいた

 それ以上、何も言わない。雛木とこういう関係になれる事をひたすらに所望していた。その念願が遂に叶ったのだ。もう夢とか何だとか、今の有沢にとってどうだって良かった。


 


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何も無条件で雛木さんにセクロスさせているわけではない
我々も「この豚めを調教していただけないでしょうか」と事前にお伺いを立てている
どういった男を調教するかという決定権は雛木さんサイドにある
その上でご自分の意志でセクロスしていらっしゃるのだから
すなわち責任は雛木さんサイドにある
なぜ我々が責められなければならないのか
なぜ我々が雛木さんに謝罪せねばならないのか
むしろ雛木さんこそが我々に謝罪すべきではないだろうか


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