07
屋上はきっと施錠されている、いるとしたら手前の階段だろうか。

何せ連れて行かれたのがもう一時間も前なのだ、今もいるかどうか……有沢は思い悩む事すら勿体ないと思い夢中で駆け出した。

屋上の手すりに手を置いた。姿は見えないものの、話し声が聞こえてくるのが分かった。その声がはっきりと聞き取れるくらいの位置にまで来ると有沢はそこで足を止め、耳を澄ませてみる。

「……どうしてなんだよ? 俺はこんなにも本気だって言うのに。冗談や、馬鹿にして言ってるわけじゃないし。周りはみんなして俺の事を馬鹿だとか言うけどさ。俺は本気なんだよ、雛木、俺はお前が好きだ」
「でも……前から言う通り、僕はあなたとよく話した事も無いのに。そんな風には見れません」
「だからこうやって何度も話してるんじゃないか」 「そんなんじゃなくて……友達みたいに、日頃から話したりはしないでしょ?」
「俺もさ、いつまでも冷静じゃいられないよ。それくらい切羽詰まってるんだ。雛木、はっきり言うよ。お前が欲しい、こんなにも人を独占したいなんて思ったのはこれが初めてだ」
「そんな……」

何ていう独善的な言い分であろう、と有沢は唾を呑んだ。すぐにでも殴り飛ばしてやりたいのを堪えて有沢は再び息を潜める。もう少し、桐島の一方的な行為であると言う決定打が欲しかった。勿論こいつが何かしようものならすぐさま飛び込んで止めに入るつもりではあったのだが……。

「雛木、このままじゃ俺は本当におかしくなりそうだ。お前が他の奴と親しくしてるのだって耐えられない。お願いだ、俺だけの事を見てくれ」
「放してください――痛いですよ」
「じゃあ誓えよ、俺のものになるって言えよ!」

いよいよ耐えがたくなった有沢が止めに入ろうと駆け出した。瞬間、驚いて目を丸くする桐島と目が合った。

「何してんだよお前、頭いかれてんじゃねえの!?」

 有沢が怒鳴りながら桐島の襟元を掴んだ。そのはずみで雛木が桐島の手から解放される。

「何だお前、いきなり出てきやがって。関係ねーだろ」

 早々と桐島の怒声に出迎えられた。桐島を取り押さえるのに必死で何を言うべきかを忘れてしまった。そうやって揉みくちゃになっているうちに有沢たちの声を聞きつけた教師達やらがやってきた。
 桐島はそれに気付いていないのか激昂のあまり有沢の頬を殴り飛ばした。鈍い音が一つして有沢は尻餅をつく形で倒れた。

「おい! 何をしている!」

 教師らの声に混じり生徒達のざわつく声がした。背後を見ると階段には既に数人の教師がいて、その中には山崎もいた。
 山崎が呼んでくれたのだろうか、 山崎は心配そうに有沢を見ている。有沢は殴られた拍子に唇を噛んで切ってしまったらしい。僅かに血を出す程度の軽症だったが殴られた現場をしっかりと見た教師陣の様子は穏やかではない。

 殴った桐島を取り押さえるとそのまま奴を連れていこうとした。桐島は殴った事で取り返しのつかないことをしたと我にでも返ったのか、意外と大人しかった。叫ぶでもなく暴れるでもなく、至って冷静に教師達と行ってしまった。

「……有沢!」

 山崎が叫びながら有沢の元へと駆け寄ってくる。へたり込んだままの有沢を起こすと山崎は心配そうに有沢を覗き込んだ。

「大丈夫かよ、おい」
「あ、ああ……お前が呼んでくれたの?」

 山崎は首を縦に振る。

「そうか、ありがとう。俺よりも雛木のほうが……」

 有沢は目の前で同じように座り込んだままの雛木のほうを見た。

「大丈夫だったか、雛木?」

 雛木は両の目に涙を溜めた表情のまま何度も頷いた。

「そっか、良かった……その鞄も無事?」

 有沢が問い掛けると雛木はまた頷いた。

「ごめんなさい、有沢くん。僕のせいで……本当にごめんなさい」

 そう言って雛木はさめざめと泣き始めた。

「何があったのか聞くのは無理っぽいね?」

 耳元で山崎が呟いた。

「だろうな。俺、雛木を保健室に連れてくよ。お前先に行って弁解してほしいんだけどいい?」
「いいけど……」
「悪いな」

 有沢は座り込んだままの雛木に手を差し出した。雛木はそれをゆっくり掴むとおずおずと立ち上がった。

「立てる?」
「……うん」

 雛木の手を引いて有沢は保健室を目指して歩き出した。山崎がそんな有沢の事を、終始不審そうな目で見つめていたなどということは知らずに。

 保健室への道のりの間、不思議な事に誰とも出会わなかった。あんな出来事があったばかりだからまだ野次馬が残っていても不思議じゃないのに誰もいなかった。

「有沢くん」

 弱々しい雛木の声がした。

「何?」
「……今日の事は秘密にしてくださいね」
「分かってるよ。……けど、何か聞かれたらその時はどうすればいい?」
「僕と桐島さんが喧嘩してて、その仲裁に入っただけですって言ってくれればいいです」

 その言葉に有沢は思わず足を止めて雛木の顔を見た。

「何でだよ? お前はあいつに一方的に迷惑かけさせられてたんだぞ。悪いのはあいつだろ?」
「けど、僕だって知らないうちにあの人があんな風になった原因を作っちゃったのかもしれませんから……」
「馬鹿か。そんな風に思ってたら向こうの思うままだぞ? また同じ事繰り返すかもしれないじゃん」

 強く言われたせいなのか雛木はしゅんとしたような表情を浮かべて黙り込んだ。

「……すまん、でかい声出して。けど、お前は別に悪く無いし。どんな事情があったのか知らないけどさ、そんな考え方は良くないって絶対」
「ありがとう、有沢くん……」

 そう言って雛木は目元に浮かんだ涙を拭った。それから雛木を保健室へつれ、最低限の事情だけ説明した後有沢は教室に戻った。
 色々聞かれるかと思ったが山崎が上手い事説明してくれたらしくそこまでややこしい事にはなっていなかった。

 その日の晩、中々寝付けずにいた。有沢は自分でも馬鹿みたいだと思うほどに雛木の手を握った自分の手を眺めては日中の出来事を思い出していた。端から見ればさぞかし気持ち悪いんだろうけど、どうでもよかった。それほどまでに幸福だと思った。

 次の日、学校に登校したら何故か教室には誰もいなかった。寝付けなくて寝ないままに学校へ来たせいだろうか、どうやら一番乗りのようだ。
 誰もいない教室内は静まり返っていて新鮮だった。ふと有沢は自分の机の上にある物体に目が行った。

「 ……?」

 雛木の、鞄だった。

 あの学生鞄がポツンと一つ置かれている。忘れたにしては不自然だったし何より雛木がこれを忘れる事自体がまず有り得ない。どういう事だろうか。色々考えては見るがコレという結論には至らず、結局どうしようもなくなってしまった。

 有沢は思わず鞄のジッパーに手を伸ばした。

 願っても無いチャンスじゃないか、雛木がいつも大事そうに抱えているこの鞄の謎を見られるのだ。止めたほうがいいのではないか、という考えも無い事は無かったがそれより好奇心の方が勝ってしまった。

 一瞬の迷いも露と消え、有沢はそのジッパーを瞬時に下げた。鞄を開けるとそこには何か塊が一つ入っているのが見えた。

「え?」

 背筋が一瞬にして凍りついた。これ以上開けてはならない。

 ここまで来てようやく有沢の防衛本能が叫ぶのが分かった。けれど確かめたかった、確かめて安心したかった。ジッパーの隙間から覗く僅かなそれは、暗くてよく見えないが人間の髪の毛のように見えた。

 有沢は動悸がするのを必死で押さえ込みながら、鞄に両手をかけ開いた。

 やはりそれは人の頭部だった。

 後頭部を向けているため顔は確認できない。有沢は恐ろしいなどとは思わずその頭部を持ち上げた。

「桐島……」

 静かに、まるで眠っているように目を閉じたままの桐島がそこにはいた。桐島の首を持ち上げると有沢はその現実味の無い光景にしばらく言葉を失っていた。
 ふと、携帯のアラームで有沢は目を覚ました。

「あ……」

 全身汗でぐっしょりと濡れていた。

「夢……だったんだ」

 眠れないと思いながらも有沢は眠りについたようだった。それにしても嫌な夢を見た。夢で良かったけれど、最悪の目覚めだった。そしてもし学校へ行ったら桐島の身に何か起きているというのは勘弁して欲しかった。

 顔を洗おうが歯を磨こうが夢の余韻は抜けないままで、通学途中、いつものように音楽を聞いていてもそれは変わりそうに無い。まるで車にでも酔ったみたいに気持ちが悪く、今にも吐きそうだった。

 学校に着き、教室へ入り、特に変わった様子もおかしな話も何事も無いことが分かり初めて落ち着きを取り戻す。席に着くと早速山崎が声をかけてきた。

「おはよう、有沢。昨日はお疲れちゃん」

 一瞬何のことか分からず間が空いたが、すぐに思い出した。

「ああ」
「あれから雛木、大丈夫そうだった?」
「平気そうだったよ、全然」
「そっかぁ。昨日の夜さ、雛木からわざわざ電話がきたよ」

 有沢の動きが一瞬止まる。

「え? 何で?」
「昨日、先生呼んでくれたのは山崎くんなんだよね、ってさ。俺の携帯知らないしって家にかかってきてさ、ちょっとびびった」
「へえ、律儀だな」

 何だよ、只それくらいじゃないか。

 大袈裟に驚く自分が馬鹿みたいに思えた。同時に山崎に軽い嫉妬心のようなものを抱いた自分に後悔した。
 ふと、今朝の夢の内容を思い出して山崎に話そうか話すまいか迷った挙句、曖昧な問いかけをしてしまった。

「桐島……さんって、今日来てるの?」
「さぁ。でもまあ、来れないでしょうよ。そういえばさ、昨日雛木が言ってたけど」

 再び思考が停止した。

「あれから別々で先生達に呼び出されてこっぴどく事情根掘り葉掘り聞かされて困ったって言ってた。そりゃそうだよね」
「……それって電話で聞いたのか?」
「そうだけど?」

 そんな事、自分には何も話してくれなかったのに……ということは昨日はずっと、山崎と二人で電話で盛り上がっていたのだろうか。そう思うと何故か息苦しくなって呼吸するのが難しくなってくる。
 助けたのは自分なのに、何故自分の元には何の連絡も来ない、と疑問は尽きない。答えも導き出せそうにない。

 雛木が自分を選んでくれなかった理由……ざらついた感情が自分を支配しそうになる手前で有沢は山崎の目を見て現実に引き戻されたようになった。

「有沢ちゃん?」

 心配そうに覗き込む山崎の顔がまともに見られなかった、適当に笑って誤魔化した。

 自分は今一体何を考えた? 何をしそうになっていた?

 確かに自分の中に芽生えていたのは……、浮かんできた言葉を否定するように有沢は唇を噛み締めた。恐ろしくなった。自分という人間がこんなにも恐ろしく思えたのは初めての事かもしれない。

「有沢、本当に平気か? 顔、青いけど」
「朝からちょっと調子悪いんだ」

 夢の内容を思い出して更に気分が悪くなった。

「気持ち悪いし少し寝るわ、ごめん」

 そう言って机に突っ伏して有沢は全てを遮るように目を閉じた。

 夢の内容を思い出すと同時に自分の脳裏にある一つの恐ろしい可能性が頭をよぎった。夢の内容というのははっきりと全て覚えている事はあまり無い。
 今日の夢だって、覚えているのはあのシーンだけで本当はもっと長い夢だったのかもしれない。そして自分は忘れているだけなのかもしれない、桐島のあの首……雛木の鞄に入っていたあの首は……。

 有沢はごくりと唾を飲んだ。

 もしかして桐島をあんな風にしたのは自分、なのかもしれない。
 都合よく目覚めてから忘れてしまっているだけで、桐島を殺して、首を切って、それを雛木の鞄に詰めたのは……。

 そういえばこのところ記憶がちぐはぐだ。勉強机にずっと向かっているような、そうじゃないような……確信が持てない。あれこれと考えたものの、有沢はそこで思考を止めてしまった。

 たかが夢如きに何をそんなに振り回されているんだ、と言いきかせる。伏せていた顔を上げると、斜め前の椅子にいつの間にか雛木が着席していた。そしてその傍らには、やはりあの学生鞄がキチンとかけられていた。

 雛木に別段変わった様子は無い。すぐにでもあの鞄の中身を見てしまえば、楽になれるかもしれない。が、当然そんな事が出来る筈も無く有沢はもう一度机に突っ伏した。


 
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雛木さん敬語使えるんだね(失礼)
しかし勝手に恨まれるザキヤマ可哀想だよな。


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