03
 その日は勉強をしている最中もずっと集中できず、家に帰ってからも倦怠感に苛まれていた。机に向かっていてもちょっとした事で苛ついてしまい、頭にこれっぽっちも入ってきやしない。

「ああ〜、もう……」

 折れたシャーペンの芯を眺めながら、有沢はリビングへと降りて行った。リビングでは洗い物を終えた母親がソファに腰掛けながら面白いテレビは無いものかとチャンネルを回している。

「勉強、進んでる? アンタにはちゃんと大学出てもらわなくちゃ。間違ってもお父さんみたいなのにはなるんじゃないよ」
「――母さん、母さんからも言ってやってくれよ。姉ちゃんの部屋うるさいんだよ、毎晩毎晩。宴会するなら別の場所でしてくれって」

 お茶を注ぎ終えると、有沢はコップに注がれたそれを一気に飲み干した。わざとらしくコップを音を立てて置くと、有沢は更に続ける。

「風呂だってさぁ、姉ちゃんか姉ちゃんの友達なのか知らないけど……使ってもいいけどキチンと綺麗に使えって言ってよ。前なんて湯船につけまつ毛浮いてたんだぞ」
「んー……」

 すぐコレだ、有沢は聞こえる様に溜息を洩らして見せた。母は姉の事となると途端に責任を放棄する。只単に面倒なのか、関わり合いたくないのか。そんな母と姉のせいで、父はいつも隅っこの方で小さくなっている。

「あのなぁ……」
「ちょっと待って。この子、あんたの友達じゃない?」

 チャンネルを回す指を止めた母が唐突にこう切り出した。話を逸らす口実にしてはあまりにも嘘臭すぎるその言葉を信じ有沢はテレビの画面を見つめた。

「――あ……」

 身元不明の遺体、市内に住む高校生のものと断定……その顔は、確かに見覚えがあった。母が言う『友達』という関係とはまた違うが。良くて知り合い、もっと言えば友達の友達程度の仲の奴だ。

『遺体の損傷は激しく、身元の特定には時間を要しましたが、歯の治療跡から市内の高校に通う……』
「船本って奴だ。……やっぱアイツ死んでたのか」
「ちょっと、どいてくれない? あとチャンネル返して」

 不機嫌そうな母の声を受けて、有沢は渋々チャンネルを戻した。

 船本とはほとんどと言っていいほど面識も無いし、話した事も無い。山崎が時々話しているのを目撃したぐらいで、自分との絡みは一度あったか無いかそんな程度だ。

 船本はいわゆる素行不良で、良くない噂も絶えない生徒だった。

 ちょっと遊んでるくらいなら可愛いものだが、彼の場合そんな程度ではなかった。どこまで荒れているかは深く関わった事が無いので有沢は詳しくは知らないが、噂では女の子を妊娠させて中絶させただの、女の子を風俗に紹介しただの、働いている店の金を持ち逃げしただの評判は最低だった。

 飽くまでも噂でしかないので真相は謎であるがそういう噂が流れてもおかしくないような生徒であるのは確かなのだ。船本はここ数日前から行方不明になっていた。
家に帰らなくなった当初、両親は不審に思わなかったらしい。しかし三日、四日とそれが続き、連絡も取れない。流石に不審に思い警察に届け出た事によりこの事がようやく発覚したとのことだ。

 船本が忽然と行方をくらました時、周りの反応もやけに冷静だったのは記憶に新しい。生きていたとしても無事五体満足に、とはいかないだろうと割り切っていた。
 かく言う自分も、遺体が戻ってきただけでも……等と思ってしまうのだから冷酷さにおいては他を批判出来ないのかもしれない。

 次の日、校門の前で山崎と出会ったので肩を並べて登校していた。会うなり船本の話題で盛り上がったのは言うまでも無く、学校の周りにはテレビの取材らしき人物がうろついているのも目に入った。

「映りたくねー、顔隠しながら行こうぜ」

 意外にも、こういう場では目立つのは嫌らしい。山崎は人の影に隠れるようにして移動し始めた。

「ごめんね、ちょっと時間いいかなぁ……」

 インタビューを求められた女子生徒は皆恥ずかしそうに顔を伏せて小走りに去って行く。そんな様子を眺めていると横で山崎が小声で囁いた。

「あんま大きな声じゃ言えんのだけど船本の遺体、そりゃ〜もぉ壮絶だったってな」
「損傷が激しいから、初めは誰なのか分かんなかったんだろ?」

 靴を履き換えながら問い掛ける。

「そう。現場見た人が言うには初め、人間の死体だと思わなかったってさ。豚か、狸か何か動物の死体だと思ったって」
「……」
「何せ、両目が無かったんだってな。髪の毛もまばらにしか残っていなくて、歯もほとんど残って無かったとか――気持ち悪いなぁ」

 今朝食べたばかりのものが上にせり上がって来るのを覚えた。

「両目が?」
「そう。綺麗〜にくり抜かれてたそうだよ。逃げられないようにそうした可能性が高いんだとかね。計画性が感じられるから、喧嘩で死んだとか、ラリって事故死とか、そんなんじゃあないんだね。……アイツらしいといやアイツらしい最期だけど」

 船本の遺体は砂浜に流れ着いていたらしい。その酷さから怨恨による殺人の可能性が高いとのことだが、あいつを恨んでいる人物を挙げて行けばキリがないだろう。

「俺だけかなぁ、何て言うか殺されたっていうよりも消されたって表現の方がシックリくるんだよな。うまく言えないけど殺される時の背景云々に人の気配がしないのよ。文字通り、人間がやったとは思えない鬼畜の所為」

 スマートフォンを片手に、山崎は空恐ろしい事を呟く。

「あいつ普段から学校もそんな来なかったから、繋がりを調べて行くのも面倒そうだな」
「んー……。売春あっ……あぁ? なんだコレ。読めねえ。売春ナントカの疑いもあるとか何とか」
「お前、さっきから何読んでんだよ。ちょっとよこせ」

 山崎の手からスマホを取り上げると、有沢はディスプレイいっぱいに広がる文字を読み上げる。どうやら、インターネットの匿名掲示板らしい。

「――呆れた。こんなもんアテにしてんのかよ、くっだらねえ」

 思わず毒づいてしまう。

「でもさ、みんな勝手っていうか。まだ何も分からないのに、被害者が被害者だけに自業自得だとかざまーみろ、とかさ。どいつもこいつも害虫が一匹減ったみたいな言い方しやがるんだな〜。そこは解せんわ」

 吐き捨てるように言って山崎はスマホをズボンのポケットにしまい込んだ。

「……なんつーか嫌な世の中だなぁ。有沢ちゃん、頑張って偉い弁護士になってくれよな。んで、世の中変えてくれ。もっと住みよい世の中にしてくれ。ついでに馬鹿にも人権くれ」
「弁護士はそんな仕事しねえだろ。それにさぁ、何かみんなして誤解してるけど俺が目指してんのは検事だって……」
「ああ、いいなぁ。大学行ける脳みそがある奴が羨ましいよ。俺こう見えて趣味は豊富よ? バスケもそうだけど草野球とかするしね。あと何が得意だ、あー、クラブのDJ! あれモテそう! それに作詞、作曲! 駄目だ、楽譜読めんし。じゃあ、んー、車の塗装とかもやってみてえな。車改造して、ウーハー積んで重低音響かせて爆走すんの。よくねぇかな?」

 傘でスイングする真似をしながら山崎が同意を求めて来る。

「――俺はお前が羨ましいよ」

 極めて嫌味らしい言い方になってしまったのにも関わらず、山崎はそれを素直に賛辞を受け取ったらしい。

「やっぱカッケー車にはイイ女も助手席に乗せなきゃ様にならないよな! ボンドガールみたいなスタイル抜群の美人をな。ってことで、有沢、誰か紹介してくれよ」
「前に紹介した子ぐらいしかもうツテは無いな。俺、女友達少ないし」
「そんな事言ってぇ。隠すなって、俺にはお見通しなんだぞ? 誰だーおい。クラスの子か? 有沢が好きそうなのって言えばユウちゃんか? それとも斎藤あたりかなぁ」

 肩を抱き寄せられながら楽しそうに囁かれるが思い当たる節も無いのでいまいち乗りきれない。考え込むうちにどんどん眉間に皺が寄って険しい顔になってしまう。

「お、何かムスっとして。図星か? 今言ったうちのどっちかだな?」
「いや、そうじゃなくて……何でそう思うのか純粋に気になるんだよ」
「え〜? だってお前、宿題写させてもらった時だってノートに書いてあるの見たぜ? 美しいとか愛しいとか、あと何かよく分からないけど難しい言葉が」
「はぁ?」

 過去を手繰り寄せて見ても何にも思い出せない。

「何かびっしり書いてあったぞ。あれ、ポエム? だとしたらスッゲー恥ずかしいぞ、見られないよう隠しておけよ」
「いや、待て。本当か? それ本当に俺の字?」
「それ以外いなくね? あの達筆な字は有沢ちんのでしょ。ちょっと汚いってか急いで書きました感満載だったけどね。走り書きっていうか」
「何が書いてあった?」

 本当に身に覚えがないのだ。有沢は更に詰め寄った。

「えー? あんまマジマジと見ちゃ悪いと思ってそこまで真剣に見てねえしなぁ。あの黒い目がいいんだとか、髪が綺麗とか何かそういう事つらつらと」
「……嘘だ」

 背筋が総毛立つ。どうしてこんな時に雛木の事等を思い出すのだろう、有沢は唾を一つ飲み込んだ。教室へ入るなりすぐさま問題のノートを開く。パラパラと一ページずつ目を通すも、それらしき落書き等どこにも見当たらなかった。念のため、再度確認して見ても結果は同じであった。

――何もねえじゃん

 恐らく山崎にからかわれたんだと有沢は思う。悔しさと、安堵の入り混じった溜息が一つ漏れる。ノートを閉じた後、山崎に一言何か申してやろうと立ちあがった時雛木が歩いてくるのが見えた。何となく、気後れしたように視線を逸らす。

「雛木くん、さっき大丈夫だったの?」
「えっ? 何が?」
「何か絡まれてたでしょ。取材陣みたいのに。平気だった?」

 さも関係がないような振りをしながら有沢は聞き耳を立てた。

「大丈夫だよ。あはは、何もされるわけないじゃん」
「そっかぁ……いやー、凄い心配で。雛木に何かあったらと思うと俺は眠れんよ」
「子ども扱いするんだから。でも心配してくれて有難うね、嬉しいよ」

 そう言って楽しげに談笑する二つの声を聞きながら、自分の中に嫉妬に似た感情が沸くのを有沢は覚えた。保健室での雛木との会話を思い出したからだ。が、すぐさまその気持ちを否定する。それと同時に妬ましく思った自分を心底蔑みもした。

「有沢ぁ、今日部活無いしみんなでどっか行かない?」
「――いや、真っ直ぐ帰って勉強するよ」
「えー、せっかく俺休みなんだしさぁ。たまにはいいじゃん。ほら、C組の奴らとかさぁ、みんな会いたがってるよ」
「……前回の中間試験、結果ヤバかったしさ。今度必ず埋め合わせするから」

 快諾はせずとも、渋々山崎はそれに頷いた。

「でもぉ、最近有沢って何かつまんない」
「仕方ないだろ」
「んー……そうなんだけどもぉ。うーん……」

 はっきりとはしない様子で山崎は先の言葉を無理やり飲み込んだ様だった。

「何だよ、煮え切らないな」
「ん……有沢、最近変わったなぁって」
「? 変わった? 俺が?」

 そう、と山崎が一つ首を振った。

「どんなふうに?」

 問い詰めても山崎は言葉を濁すばかりではっきりとした事を言わなかった。それから何となく山崎と気まずい空気の中で一日を過ごした。
 家に帰った後、有沢は部屋に入るなりベッドに鞄を乱暴に投げつけた。それで収めるつもりだったはずが、隣の部屋から姉達の馬鹿騒ぎの声が響いてきて癇に障った。思わず舌打ちしてしまう。

「ちょっとぉ……何バタバタしてるのよ、部屋の戸は静かに閉めろっていつも母さん言ってるでしょ」

 部屋の扉から僅かに顔を覗かせながら母親が怒りに来る。

「俺に注意するんだったら、隣の部屋に居る奴らにも注意しろよ」
「……そんな事よりも、アンタ。前のテスト、点数ガタ落ちじゃないの。次はもっと上を目指せるよう頑張んなきゃ大学なんて無理よ」

 姉の話題に触れようとした途端、母親が話をすり替えた。

「――分かってるよ」

 その言葉を聞き、母が静かに扉を閉めた。


 


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急いで家に帰りたい時に限って
前に車校の車が三台ほど連続で
つながっていたりするよね。


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