小学校三年生の時、タチの悪い奴として有名な悪ガキに買ったばかりのゲームを奪われた事がある。新品は流石に手の届く額ではなかったので、中古品を溜めたお年玉やお小遣いをはたいて何とか購入した。……が、結局そのゲーム機は自分の手元に返ってくる事はなく、後から聞いた話によるとリサイクルショップに売り飛ばされてしまったとの事であった。
しかし、そんな事件があってから一か月後、悪ガキは目の上に一つ青痣を作り、更には腕を骨折でもしたのかギプスをし、非常に痛々しい状態で登校してきた。彼は何かに怯えるような顔つきで、きょろきょろと周囲を見渡しながら、そそくさと自分の席に大柄なその身体を乗せた。たまたま身体の調子でも悪いのだろうと思っていたが、そうではなく自分に対して怯えていたのだと気付いたのは、三時間目の体育に入る頃合いだった。
その日の体育の授業はドッジボールで、きっと彼の事だから大喜びで自分に投げてくるものだろう……とちょっぴり憂鬱になりもした。彼の理不尽な暴力がいつ来るか、いつ来るか――と縮こまっていたこちらの予想を裏切り――いや、裏切る。というのも変な言い方だ。期待なんかしていないのだから――彼は目も合わそうとしなかったのだった。
逆に薄気味悪くすら思えてしまい、給食の時におかずをよそっていた彼にそれとなく用事を作って話しかけてみた。その日のメニューであった野菜炒めのピーマンが苦手だから、少し減らしてくれ、みたいなくだらない話を。するとどうだろう、彼は少し怯えた様子で「分かった」と呟き、今までに見た事も聞いた事もないような表情と声と丁寧さで、トレーにおかずを添えてくれたのであった。
胸に妙なしこりを残したままで帰宅すると、家のテーブルに新品のゲーム機が置かれていた。自分があの悪ガキに奪われたものとは違うカラーリングではあったが、驚いてこれはどういう事なのか母親に尋ねてみた。
「お父さんがね、貴方がゲーム機を失くしたって泣いてたから――」
思えば、こういう事はたびたびあったのだ。
例えば自分が誰かに虐げられ、泣きべそをかきながら帰ってくると決まってその翌々日くらいからはぴたりとそれが収まる。自分に心無い言葉を浴びせた者は、大人しくなるか、今日の悪ガキのように近づきもしなくなる。
他にも、少し意地悪な中年の女教師がみんなの前で計算式を解かせた時。途中式でつまらないミスをしたところ、彼女はそれを延々と責め続け、まるで見世物のように説教をした後に自分を廊下に立たせた。その教師は、一か月経つか経たないか、そのくらいの時期に『親の介護に入る』との理由で急遽学校を去った。
またある日は、中学に上がった頃。
何故目をつけられたのか分からないが、まあ何かくだらない理由で自分が通り過ぎるたびにひそひそ話をしたり、足をひっかけようとしたり、制服を切りつけてくる意地悪な女子生徒がいた。彼女とは小学校は別者同士だったが、昔からきつい性格で有名でたびたび問題を起こしていたそうだ。
喧嘩っ早い性格の少女で、中身同様に負けず見た目も勝気そうで派手な女の子だった。中学生にしながら化粧をし、校則違反のスカート丈と指定外のカーディガンからも分かるように非常に目立つ存在であった。そんな彼女と同じクラスになり、ある日は転ばされた後に背中を踏まれた。
真っ黒の詰襟の背中には、灰色の靴跡が残っていて彼女はそれを見てケタケタと大笑いした。制服を切られた時は、袖の辺りを少しカッターで裂かれた――というのもおこがましいくらいの、猫のひっかき傷程度の大きさのものだった為に「転んで」と言い訳できたものの、流石に背中にくっきりと残る足跡はうまい理由が思いつかない。
手で払ったり、水道で洗ってみたもののその痕跡を消し去る事はできず、結局母親に気付かれ、それが何かを答えるまで部屋に戻り勉強する事すら許されなかった。
「他には?」
母の神妙そうな顔とぶつかった。え、と不思議そうに顔を上げると、母は随分と据わった目つきのまま静かに問いかけていた。関係ないが、母は家ではほとんどどいっていいほどに和服を着ている。父がそう命じているらしく、また母も他所との付き合いでの交流に出向く場が多いだとかで母が世の主婦が着ているような、ラフで活動的な服装をしている姿は見た事がなかった。
「他には何をされましたか?」
「……え……」
「皆の前で転ばされ、制服を切りつけられ、くだらないあだ名をつけられ、悪口を言われ――他には何をされたか、今ここで母に全てお話しください」
怖れからではなく、只……日頃からの鬱憤とストレスもあったのかもしれない。先日、その女子生徒から、気になる別の女子生徒の前で「あいつ今、サチコの方エロい目で見てたぜ」なんて言われた事、音楽室の机の上に自分の名前と全く接点のない女子生徒との相合傘や心無い中傷と卑猥な落書きをされていた事(筆跡がまるまる彼女で、恐らくその取り巻きの生徒らだとすぐ分かった)。
そういった出来事を次々と思い出し――つい、間が差した。
「……一週間ほど前に、お金を持って来いと言われました。金額は一万円です。それは出来ません、生憎お小遣いをもらっている立場じゃないので持ち合わせがないのです、と丁重に断ったところ、教材を買うからと嘘をついて親からせしめてこいと言われ腹を殴られました」
「――、何という……」
「それでも無理だと断ると、もっと手酷く虐めてやるから覚悟しておけと言われました。それがつい、先程の話です。背中の足跡はその時に蹴られて……」
ある事ない事、話を『大袈裟』にしてしまったのだった。つい演技にも身が入り――いやいや。演技、とは相応しくない。不快な思いをしていたのは本当なのだから――男でありながら情けなく涙を流し、鼻をすすり顔を伏せる自分の姿を見て母はどう思ったのだろう。いや、可愛い一人息子がそのような目に遭わされてると知り、怒りの炎に打ち震えていたに違いない。
制裁はとても早かった。
翌日はいつものように、彼女とその彼氏、友人らによる悪ふざけからの軽い暴力を受けたがそれさえも快感に取って代わり、いつしか殴られながら微笑みを浮かべていた。自分には、約束された絶対の勝算があるからだ。
「何だこいつ、笑ってやがる! きも」
「殴られすぎてバカんなっちゃったの?」
一週間も経過しないうちに、まずは取り巻きの男子生徒が(こういうタイプが一番厄介だったりする。自分を誇示する為に、すぐに容易に手を上げたり罵ったりしてくるからだ)学校へ現れなくなった。
理由は交通事故で入院したからだった。
授業中、気に入らない事があると奇声を上げて暴れ、机を蹴ッ飛ばし、教師に文句をつけ何かと妨害する彼が排除されて皆もどこか嬉しそうですらあった。
二日目、今度は二人同時に学校から消えた。
一人は『熱が出たから』と連絡が入ったきり、もう一週間も二週間も席を空けたままになった。二人目は、父親が突然逮捕されたのを理由にしていわゆる登校拒否児となった。元々、警察からマークされていて、逮捕状が公のものになったそうだ。ちなみにその内容は、『女子トイレの盗撮』。罪状が罪状なだけに、恥の上塗りだろう。
三日目、主犯の女子生徒の彼氏が他校のヤバイ連中から呼び出しを食らい、河川敷でリンチに遭い入院した。端正な顔立ちだったが、見舞いに行った者の証言によれば腫れと陥没のせいで見れたものではなかったとの事である。二度と健常者としての生活はできないだろう、との話だった。
そして四日目。主犯格の女子生徒にも、とうとう裁きの鉄槌は下された。それは元より、彼女の為だけに用意されていた結末のようですらあった。彼女は未成年でありながらクラブ通いが日課だったようで、その日の晩も彼氏の見舞いの後に夜の街へと遊びに繰り出した。クラブでナンパしてきた見目のいい男についていき、男に言われた通り友人を先に帰らせ、そして連れ込まれた車の中で一晩中かわるがわる色んな男に暴行された。その一部を聞いただけで、顛末はあってないようなものだと感じた。
自分のやった事に罪の意識など微塵も感じていない。
刻まれた暗黒を少しばかり、彼らに分け与えてやっただけの事だった。何より、これしきの事で彼らの世界は砕けないのかもしれない。自分が考えているよりもその絆が強固なもので、揺るぎのない確立されたものなのだとすれば、自分がやった事は復讐にも満たない単なる茶番劇なのだ。
けれども、彼女達の今度に思いを馳せずにはいられない。
悲しみと憎しみと、絶望に絡めとられて涙を流すだろうか。夜が来るたびに、朝が来るのを恐れ慄くようになるのだろうか。治る見込みのない怪我を負わされた男子と、彼氏がいながら顔のいい男についていき挙句輪姦された女子を見て、周りは何と思うだろうか。蔑むだろうか。それとも哀れむだろうか。まあ、どちらでもよかった。
そんな彼女らの今後を好き勝手に想像すると、凶暴な思いに心が支配されるのを止められなかった。――風の噂によれば、どこかのエロ動画サイトにて『これはやばい! 女子●学生のガチレイプ中継!』と俗っぽい見出しと共に、薄暗いワゴン車の内部で泣き叫ぶ女の子の動画が流通した。とにかく画面が暗く、更にはカメラがぶれまくり、何が何だか分からない為か低評価が殺到していたものの……。
本物か偽物か、検証するまとめサイトまで立ち上がる事となり、いつしか名前も住所も特定され、過去から何までを全て暴かれ、ある事ない事全てをネット上に書かれ――。
彼女はその存在を抹消されたも同然だ、との話だった。
彼女が学校へ現れなくなってからも、父と母は変わらず自分に接してくれた。
「最近、学校はどうだ?」
夕食中、父がはんぶんだけ微笑みながら問いかけてくる。おかずの焼き魚を箸でつまみながら、「楽しいです」とだけ答えると、満足そうに父はまた一つ微笑んだ。
高校へと上がる頃には、そんな自分の噂も一人歩きし、イジメどころか友人さえもできなかった。県内ではトップクラスとされる進学校へと入ったのもあり、そこまで酷い荒れた人間などいないだろうとは思いつつ、どこにでもおかしな人間ってのは存在するらしい。入学した高校にも、いわゆる不良みたいなのはちょこちょこといたようなのだが、そんな存在ですら自分に恐れをなして道を譲るのだ。
それは決して自分への尊敬の念や賛美からくるものではなく、「関わってはならない」という本能から来る警鐘のようなものであろう。自分よりも数倍図体の大きな、ボクシングをやっているようなゴロツキのような見た目の生徒でさえも視線一つで震え上がらせる事が出来た。
学食へと入ると、皆が慌てて席を立って出ていくので食堂がほぼ無人も同然となった。なので、一人で席に着き、それからゆっくりとした時間を楽しんでいた。その日も変わらず、自分が入室した途端に、お喋りをしていた女子生徒らがすぐさま立ち上がり席を離れ、また別の男子グループは食べかけにも関わらず食器のトレーを持ち逃げ腰で歩いていき、また別の男女混合グループは顔を青ざめさせて同じく逃げるように立ち去って道を譲るのだった。
――だが、その日ばかりは、いつもと少し様子が違っていた。いつも座るテーブル席に、腰かけたままの女子生徒がいるのだ。普段なら有り得ない光景に、思わずトレーを持ったまましばし硬直してしまった。
「……、俺は今からここで昼食を食べるつもりなんだけど」
「だったら何かいけない? 別に、ここはみんなのスペースでしょ?」
あんぐりと口を開くこちらをよそにして、その女子生徒はけろりとした様子で聞き返してきた。ごく当たり前の事ではあるが、日頃の自らの素行を顧みると信じられない言葉だった。余程度胸があるのか、それとも無知なだけなのか、再び彼女に目を移した。
――佐竹櫻子
彼女は、同学年の女子生徒らの中でもひときわ目を惹く美人だった。自分も全く興味がないわけではない。一目見て、彼女から目を離せなくなる者も多いと聞いたがその理由がよく分かる。
改めて櫻子の顔を正面から見て、その整った目鼻立ち、大人びて上品で、それでいて気取った嫌味さのない優しげな顔立ちに心を奪われる。化粧はほとんどしていないようで、リップクリームと大差なさそうな薄いグロスだけがはっきりそうだと分かるくらいか。
眉毛は気持ち他の女子らよりも太めであるが、決して野暮ったくはなく今風に整えられている。その下に輝く、無邪気さの奥に儚さと昏い翳りを宿す瞳。やや血色に乏しい白い肌がどこか薄幸な印象をこちらに残す――しばらく彼女に目を奪われたように呆けていたが、慌てて意識を揺り戻す。
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家族内でも敬語なあたりが
何かちょっと異常な家庭ですよね、『俺』くんは。
ようやく実態の見え始めた櫻子おねいちゃん。
苦手だけど結構好きかもしれない。
苦手だが嫌いではないというのか?
書いている分には楽しいというか、
実生活においては関わりたくないけど、創作で出すには
めちゃ楽しいタイプですね。