「知ってる? 昔ここが『姥捨て山』だったって話」
学校の裏にある粗大ごみ捨て場は出入りが禁止されているが、彼らにとっちゃ恰好の喫煙スペースなのだ。一応物置として建っているプレハブの倉庫は溜まり場で、菓子の袋や空きペットボトル、酷い時にはビールの空き缶なんかが放置されている。
「姥捨て山って何?」
「知らないのかよ。ほら、昔って貧しかったじゃん。だからさ、少しでも食料とかを温存するために六十過ぎた老人は山に捨てるんだって話」
「ああ、間引きってやつ。年寄りだけじゃなくて子どもも捨てるとか言うよな」
「そうそう。信じられないよなー、自分の親だぜ?」
空き缶の中に煙草の灰を落としながら男子生徒がへらへらと笑う。
「で、何でまたそんな事をいきなり……」
「だからさー、出るらしいよ。夜になると、ここで死んだ奴らの浮かばれない魂が」
わざと語尾に脅かすような調子を含ませて言うと、周りでスパスパと煙草を吹かしていた奴らは鼻で笑いあった。
「ね……、ねえ、ここは一体どこ、なの」
その声に一同の笑い声がピタッと止まった。
「さー、どこでちょうねぇ」
おちょくるような調子で一人が言う。
「は、外してよコレ」
縄で縛られた腕を動かしながら訴えるのを退けるように連中が再び湧いた。]
「自分で外しなよ」
「モタモタしてっと日暮れちまうぜ。ここ暗くなると本当何も見えなくなるからよ」
脅かすように言い、また一同がどっと笑う。
「はい眼鏡も没収でーす」
言うなり眼鏡を外されたかと思うと壁際に投げつけられた。
「じゃな、脱出ゲーム頑張れよっ、雛木」
一同が立ち上がるとぞろぞろとプレハブ小屋を後にして行く。最後に出て行った一人が振りかえったかと思うと今しがた思いついた様な顔をして呟くのだった。
「――あ〜、さっきも聞いたと思うけど。ここ、出るらしいよ。……お・ば・け」
バタン、と扉が閉じられる。取り残された雛木は縛り付けられた両手首でもがきながら、必死にそれを解こうとする。が、うまくいかない。
「眼鏡……眼鏡が無いと全然見えないよ」
全くどうして――何故、自分がこんな目に遭うのか雛木には分からない。この高校に入った当初から自分の眼鏡をからかう人はいたが、それがいつの間にかクラス単位のいじめに発展しているのだからたまったもんじゃ無かった。
雛木は徐々に暗くなり始める辺りに、早く脱出しなくてはといよいよ焦り始めた。
「せめて眼鏡を……」
雛木が足を使って、器用に眼鏡を手繰り寄せた。しかし手が使えないので、今度は口を使って上手い事拾い上げる。これも何とか、成功した。が、流石にここから眼鏡をかけるのは難儀で、結局ままならずに床に落としてしまった。
「くそっ……」
もたもたしているうちに夕陽はどんどん沈んでゆく。あっという間に周囲は闇夜の支配する世界となった。心なしか気温も下がってきたようで冷え込んでいるのが分かる。
――あんな言葉を気にする訳じゃないが、本当に化け物でも出てきそうな感じだ……
いやいや、馬鹿げた事を考えるのはよそう、と雛木が自分に言い聞かせるように首を横に振る。しかし早くこの縄を解かないとここで一晩越す事になってしまいそうだ、それは困る――。
雛木は後ろでに、固く結ばれたその縄を必死で解こうとする。が、益々複雑に絡み合ったりして、結局上手くいかない。この繰り返しだった。
「畜生! ダメだ……っ」
それにしてもこう暗くては何も見えない、これを解く事よりまず眼鏡をかけたほうがいい様な気がして来た。雛木は一旦縄の事は置いておき、眼鏡をかけようと四苦八苦した。何とかそれが上手いこといってくれたので、その勢いに乗ったまま今度は縄も――と雛木は齷齪し始めるも、やはりそう簡単には行かないのがオチであった。
少しばかり諦めの気持ちが胸に沸き始めた頃、プレハブ小屋に近づく気配を、遠く感じた。
「っ……」
一瞬、誰か来たのだと思い声を上げようとしてすぐに止めた。徐々に近くなるその気配が何故か人でないように、雛木は感じた。
だからと言って動物でもない。じゃあ、何――雛木がごくりと唾を呑んだ。
――人でないなら何だと言うの?
自分で言っておいて恐ろしくなった。何だ、じゃあ本当にオバケだとか怪物の類がいるとでも――認めたくはないし信じてもいない。けど、今しがた感じているこの得体のしれない気配をどう説明すればいい……雛木はごくりと唾を飲み込んだ。
『そいつ』は、小屋の周りをぐるぐると周っているようだった。こちらも息を殺しながら耳を澄ませてみるが、そいつは身体全体を引きずっているかのような、そんな移動の仕方をしているようだった。
ゆっくりとだが着実に、そいつは、僕の方へと近づいている――雛木はもはや死に物狂いで、縄を解きにかかった。けれど焦れば焦るほどダメで、もはや指先が指先として機能していない事が分かる。
震える指先を抑えつけながら雛木はそれでも縄から逃れようとする。
――逃げなきゃ、逃げなきゃ……神様っ……
荒縄でこすれて、手が、爪が、痛々しい事になっている。ところどころ裂けた場所からは暗がりでも分かる赤い血がうっすら滲んで見えたが構っていられなかった。雛木はそいつがいつこの小屋へと足を踏み入れるのか……その恐怖に押しつぶされないよう戦ってきたつもりであったが、それも限界が近い事を薄々感じた。
――助けて……嫌だ、助けて!
際限なく溢れ出て来る涙と鼻水を拭うのも忘れて雛木はもがく。気配が遠ざかるのを願ったが、もはや時間の問題だった。そいつは、こっちへ来ようとしている――雑草の擦れ合う音が大きくなり始め、とうとう、小屋の扉が開いた。
一寸の光もささないこの場所では、ほとんど何も見えないのだが、扉からするすると入ってくるそいつは、人の形をしていないと一瞬で分かった。この闇の中であるにも関わらずに。
「ひっ……」
思わず情けない悲鳴を漏らして、雛木は背後の壁に頭をぶつけた。壁がめりこみそうになるほどに雛木は、背後へと後退する。少しでもそいつから遠ざかろうと雛木は全身をのけぞらせるが、それさえもこれ以上出来ないと知り静かに絶望する。
「――あ、あぁっ……」
そいつは、ズルズルと全身を這わせるようにしてこちらへ近づいてくる。手らしきものを動かしながら、そいつは雛木へ向かって動いた。
例えるならば肉塊……ぶよぶよとした、ゼリーの様な表面を持つ奇妙な物体だった。大昔に理科の実験で作ったスライムを彷彿とさせた。いや、あれよりももっと邪悪であったが――、醜悪なその塊が、少しずつだが確実に、雛木の方へと移動する。
「あ……う、あ」
そいつが足元まで来る時には雛木は叫ぶのも忘れて只ガクガクと震えていた。頭は既に真っ白だった。一瞬のうちに、死ぬんだと思った。
「……?」
だが、そいつが自分を取って食う気配は、感じられなかった。
「え?」
何故か言葉を発さぬ肉塊が、自分を求めている気がした。
「……え? これ?」
肉塊が求めているのは雛木のかけている眼鏡のようだった。
「眼鏡だよ……気になる、の?」
そいつは手(らしきもの)を伸ばすと、スっと雛木から眼鏡を奪い去った。
「あ……っ」
雛木が驚くが、そいつは眼鏡に夢中のようだ。何故か急に、先程まで全身を支配していた筈の恐怖感が消え去る。同時にこいつは自分に危害は加えない、と思う事が出来た。根拠は無いのだが――。
「珍しいの? でも、僕それが無いと何も見えないから……」
言葉が伝わったのかどうかは分からないが、そいつは雛木のすぐ背後へとズルズルと移動したかと思うと、雛木の手首をきつく縛っている縄をどうやったのか器用に解いてくれた。
「――あ、ありがとうっ」
雛木が言うと、そいつは何も言わないが何となくどういたしまして、を言っているような気がした。……何となく、だが。
「でも、ごめんね。眼鏡は返してほしいんだ」
雛木がそう切り出すと、肉塊は今度は雛木の顔に向かってぶよぶよの手を伸ばしてくる。えっ、と雛木が思わず反射的に目を閉じる。肉塊は雛木のすぐ目の前、触れるか触れないかの距離で手の平をかざした後、数秒の後その手を引っ込めた。
雛木がおずおずと目を開くと、嘘みたいに視界がクリアに映っている。
「……え……どういう、事?」
雛木が両目を何度もこすっては周囲を見渡した。
「君が……?」
やはり肉塊は答えてはくれなかったが、雛木は嬉しそうににっこりと笑った。
「ありがとう……嘘みたい。景色が凄く綺麗に見えるよ!」
魔法のような出来事に雛木はしばらくの間笑いながら辺りを駆けまわった。
「凄い……凄いよ! ねえ、君は……魔法使いなの!?」
雛木がその手を何の躊躇なく取って笑った。
「その眼鏡は御礼……になるか分からないけどあげるね」
雛木が笑いつつそう言うと彼も嬉しそうにしていた。
「ねぇ、君、ここに住んでるの?」
先程までの恐怖心が嘘みたいに消えていた。
「そう……一人なんだね。お前、まさか、捨てられたの?」
彼の、言葉ではない何かと共鳴した気がした。雛木が頷いてから言葉を続ける。
「僕も同じだよ……一人なの。僕のパパもママもね……、僕の事はどうでもいいんだ。僕には、歳の離れた何でも出来るお兄ちゃんがいたのだけれど、そのお兄ちゃんは、同級生たちからリンチにあって殺されちゃったの。酷いよね。お兄ちゃんは、万引きしてた同級生達を注意しただけなのに、間違った事してないのに!」
知らず知らずのうちに泣きながら雛木が叫んだ。
「ごめん……。でもね、僕にとっては自慢のお兄ちゃんだったんだ。何でもできる優等生だったから。だからパパとママもそんなお兄ちゃんの事が好きだったの……」
――けど僕は何にも出来ないから……
雛木が力無くそう言って笑った。
「……撫でてくれるの? ふふ。優しいね、君。ごめんね、初めて見た時君を誤解して、怖がって叫んだりして」
雛木が涙を軽く指先で拭う。
「――もしかして、僕のお兄ちゃんの生まれ変わり? 何てね……」
彼は雛木の傷だらけの両手を取ると、今度はそれをそっと包み込むようにして撫で始めた。
「ふふ、くすぐったいよ。ねえ、僕のお兄ちゃんになってくれる? そうだ、お兄ちゃん……そう呼ぶ事にするよ。ありがとう、お兄ちゃん――」
雛木の言葉に『お兄ちゃん』が、目には見えないが、それまでとは違う反応を見せた気がした。
「え?」
「 」
何か声の様なもの、を発した様な気がした。聞きとれなかったが確かにそれは微かな息遣いと言えばいいのか声と呼べばいいのか。お兄ちゃんに促されるまま彼の手を見ると、それまで無かった筈の指のようなものが存在していた。
「お兄ちゃん、これは、指?」
「 」
「――やっぱり……そうだよね。どうして……?」
そう言ってからしばらくううん、と考え込んで雛木が出した結論はこれだった。
「僕の指の血を舐めたから?」
お兄ちゃんからの反応は得られなかったが雛木はそれを肯定だと受け取る。
「すごい! じゃあ、お兄ちゃん、この方法でもしかしたらお兄ちゃんはちゃんと人としての形になれるの?」
雛木が嬉しそうにそう言ってお兄ちゃんの手を掴んで笑う。
「でも、さすがに僕の血はあげられないや……困ったなあ――え? なあに?」
空気が歪んだ気がした。
「……僕を虐めてる奴ら? お兄ちゃん、知ってたの、それ」
雛木が聞き返すが相変わらず反応は無い。
「そっか、見てたんだね……いつもそうやって見守っててくれたんだ」
構わずに二人の会話は進んでいく。
「うん……そうだね。ちょっと怖いけれど、お兄ちゃんの為だもの。だったら僕は大丈夫。任せておいて」
そう言ってほほ笑みながら雛木がお兄ちゃんに自分の額を当てて何度も頷いた。夜が明けるのをそこで二人で身を寄せ合いながら待った。次の日の朝、教室へ入るなり、クラス中から視線を浴びた。眼鏡が無いのがそんなに珍しかったのだろうか?
顔を見合わせてひそひそと話す連中もいたが、大して気にもならなかった。
斜め後ろくらいから激しい視線を感じたので雛木がちらっと背後を見つめると、いつもの連中が気まずそうにさっと視線を逸らした。
――馬鹿みたい
雛木がくすっと笑いながらもう一度前に向き直った。雛木自身にも分からないが何故か今の自分は自信に満ち溢れていて全く隙が無いと思った。いつもより視界がはっきりと見えているせいだろうか――この全身を支配する優越感の様なものは何だろう。
いつもは休み時間になる度からかいにやってくる奴らも今日は輪になって何やらこそこそと話し合いをしているようであった。
「雛木、あれから脱出できたんだ、な」
雛木をいじめている連中のうちの一人、野上がぽつりと呟いた。野上は茶色に染めた髪を無造作に立てているヘアースタイルが特徴的な生徒だ。制服のシャツの下にいつも派手なTシャツを着こんでいるので偉く目立つ。
「ていうか……何か顔とか違くね……? 眼鏡外しただけであんな変わるの?」
何だか異様なものでも見つめるようにしながら、野上の取り巻きが呟いた。
「知ーらね、何びびってるの? てかヤンジャン俺にも見してよ」
「お、おう……」
周囲の怯えぶりにもまるで動じることなく野上はいつもの調子を保っている。が、野上も雛木に何の疑問も持たないわけでもない。彼が昨日までの彼とは何かが違っている事くらいすぐに分かった。
「お、今日のグラビア、篠崎舞じゃん。いいねぇ〜、やっぱ女はこれくらい乳があってある程度肉がついてなきゃ話にならねーよ」
野上は紙パックの野菜ジュースを飲みながら大袈裟に呟いて見せた。周りも野上のペースに絆されてきたのか次第に強張っていた表情に笑顔が戻り始める。
「今の言葉彼女にも言ってみろよ」
「無理無理、真に受けたらあいつマジで太り始めるって」
馬鹿騒ぎする一同を、少し離れた場所から見つめるのは雛木だった。雛木は肘を突いてその様子を、何をするでもなく、只じっと見つめるのだった。