17-1.天才と×××(あれ)は紙一重



「やー……ひ、ひどい目に遭った……」
「それはこっちの台詞ですが?」

 車に乗りながら猫屋敷が呟くと、すかさず助手席のヒロシが言った。シートベルトを締めながら、ヒロシはレンズ越しに冷ややかな目を寄越してくる。

「や……ごめんよ、うん。謝るよ。でもまさか、こんな事になるとは思ってなくて」

 キーを廻しながら申し訳無さそうに言うと、ヒロシは呆れたようにため息を吐いた。

「貴方、あの『隊長』の事を何も分かってないんですね」
「わ、分かってないとは……」
「普通じゃない、って事ですよ」

 隊長、の部分がやけに嫌味らしく響いてきたが拾わないでおく。車を発進させながら、雪のちらつく街道を走る。封鎖された土地は、不気味なくらい静まり返っている――ゾンビさえ見当たらないのだから不思議なものだった。

 しばらく車を走らせていると、濃霧が発生し出したのが分かった。

「……しまった、霧か――」

 独り言のように言い、猫屋敷は途端に薄暗くなり始めた周囲へ向けてライトをかざした。

「ど、どんどん深くなってくるなぁ〜……これ……」

 全くその通りで、進めば進むほどその霧が濃く、且つ深くなっていくのだ。

「マズイな、これ以上深くなるより早く進まないと――って!」

 助手席のヒロシが、こちらを思いっきり睨んでいるので何事かと思ってしまう。それだけなら単に、目つきが悪いだけで片付けられそうだが問題はそこじゃなく――。

「な、なんでそんな物騒なもの突きつけるの!?」

 ヒロシはその銃口を猫屋敷に向けているのだから、これはもう叫ぶしかないだろう。

「ちょ、ちょ、ちょっとやめ……」

 理由を問うより早くその引き金にかけられた指が、静かに動いた。それ自体はほんの数秒で行われた事だろうにも関わらず猫屋敷の視界にはそれがとてもゆっくりゆっくり、スローモーションな出来事に見えてしまう。

――へ? へ? 俺今撃たれた? よね? でもこうやって意識があるっていうことはつまり死んでからも人間は数秒意識があるという事なのか、それともやはり霊魂ってーのは存在してて肉体が滅ぶとこうやって魂は抜けて……

 いやいや、撃たれていなかった、実際のところ。

「……うへっ!?」

 ゆっくりとその固く閉じられた瞼を開放させる。猫屋敷の肩の上にどさ、っと倒れてきたのは頭に風穴を開けられた女の遺体だ。うな垂れたゾンビの頭部からダラーっと脳漿やら、灰色っぽいゼリー状のものが混ざり合いだらしなく糸を引いて垂れ下がってくる。

「まさか座席に乗り込んでいたとは――おまけに息を潜めてチャンスを窺うなんて、僕が知らないうちにゾンビも賢くなっていたものですね」

 言いながらヒロシは、銃口から立ち込める硝煙をふっと息で吹き消した。

「そ、そうならそうと言ってくれよもう……俺、死んだと思ったよ――う、うわちゃぁー、ふ、服に変なお汁がべっとりと……」

 ブレーキを踏みながら猫屋敷が肩にかけられたままのその重みをどかした。車に付着しては適わない、猫屋敷が一度車を止めてその死体を外へ放る事にする。

 時間もないので、きちんと埋葬してやるなんて事は出来なさそうだ。何だか死体遺棄でもしているような……いやその通りには違いないのだが、殺人犯が人里はなれてこっそりと死体の処理でもしているような背徳感に苛まれる。
 仕方がなかったとは言え、最低最悪の気分だ。適切な事が出来ない代わりにといっちゃ何だが手を合わせておいた。

「悪いな、こんくらいしか出来ないで」
「いいんじゃないですか、どうせ見知らぬ死体だ」

 車に戻るなり、ヒロシが実にドライな調子でそう言った。恐ろしく感情の込められていない調子だったので、少々ばかし面食らってしまう。

「……君はスゴイな」
「何がです」
「そうやって割り切れるんだな、例え相手が知らないゾンビでも……俺はきっと出来そうにもないよ。尊敬する」

 多少の嫌味と、そしてこの世界で生きていくと決めた割には弱弱しい自分への皮肉を込めて、猫屋敷がぽつんと呟いた。

 言われ慣れているのか、ヒロシは大して動じた様子も見せず窓を流れる景色を横目で眺めた。それから返事は期待していなかったが、ヒロシが喋り出したので少し驚いた。

「――そりゃ僕だって、全くの抵抗がないわけではないですよ。だけど、決めた事です。九十九の家に生まれた人間ならば誰しもが背負う、避けようもない運命なのですから」

 まるで用意されていた台本の中にある台詞のように、ヒロシはそう言った。

 猫屋敷も、まだこんな十代そこそこの少年に課せられた重苦しい背景等を想像して一気に気落ちするのを感じた。これまで老若男女問わず実に大勢の人間を見てきたが、こんな十代は目にした事がない――自分が同じ年齢くらいだった頃と重ねてみて、尚更に彼の異色さが浮き彫りにされていくようであった。

 雪が深くなるより早く、何とか到着する事が出来た。ルーシーに会ったら何て罵倒してやろうと考えながら車を降り、そんな暇さえない事を思い知らされた。

 道端の死体を貪るゾンビの背中に、猫屋敷が「いっ」と声を詰まらせた。

「行きましょう、まだ気付かれちゃいませんから」
「う、う、うん」

 そしてゾンビの後ろをそぉ〜っと息を殺して進むのであった。進みながら、襲ってはこないものかと途中何度もちらちら振り返りながら……。


TOP
←前/次→

「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -