14-1.ずっとずっと一緒に



 先の襲撃事件のせいで、人々が忙しなく行き交っている。壊された壁の補強、遺体や不気味な植物の残骸の処理、怪我人の処置……その対応に残った人々は追われているようだった。

「どいてどいて、邪魔だよ!」

 館内と戻りたくとも、その足早に行き来する人々の波でそれは適わない。押し返されてしまい、シノは仕方がなしに大人しくロビーで待っている事に決めた。

 バブが寝そべり、シノがその傍に座り込んでいた。

「うー、ウッ」

 そこへズリバイに近い形でハイハイ移動してくるのは、ボーダー模様のロンパースを身につけた、まだ一歳にも満たないような赤ん坊だった。

 赤ん坊はバブに興味津々なのだろう、怖がる事さえせずに近づいていく。それを更に興味深そうに見守るのはシノだった。シノは正座を崩した座り方のままで、赤ん坊の動向をじっと見つめる。

 バブは決して人に噛み付いたりしないし、ましてや子どもには優しかった。動物全般に言える事だが、相手の無垢さが分かるのか悪意を持っていない相手とは基本的に平和なコミュニケーションを図るものだ。シノも大丈夫だろうと思いつつも、赤ん坊が何かしないものかじっと見守っていた。バブを怒らせたり、何か刺激するような事をしなければ良いのだが。

「ウウ」

 赤ん坊はバブのふさふさの尻尾が気になるらしい。指を咥えながらじーっとその尻尾を見つめている。バブは、どちらかというとこの赤ん坊という存在が苦手だ。敵対心などではなく、そのヨダレまみれの指やら手で触られたり、所構わずウンチやオシッコを漏らすところも、何だか不衛生な感じがして嫌だった。
 その辺りは野生としてではない、バブ本来の潔癖さが出ているのかもしれないが。

「ウーーーッ」

 赤ん坊はバブの尻尾を掴もうとするが、バブがすかさず尻尾を持ち上げたので赤ん坊の手は虚しく宙を掴んだだけだった。それが面白かったのか、赤ん坊は殊更に尻尾に触れようとし、何度も小さな手をばたつかせたがバブは見事にかわし続けた。赤ん坊がはしゃぎ出したのを見て、シノも自ずと笑顔になってくる。

 にこにことそれを見守っていると、赤ん坊の母親らしき女性が忙しなく駆け寄ってきた。

「しのちゃんっ」

 急に名前を呼ばれたので、驚いてシノが顔を上げた。

「あー、良かったしのちゃん! こんなところまで一人でハイハイで移動したのね……」

 どうやら赤ん坊の名前が『しの』というらしかった。母親はしのを慣れた手つきで抱きかかえた。

「よいしょっと……。ごめんなさいね、僕。しの、何もしなかった?」
「う、うん。大丈夫……」

 シノが不思議な感じがするままに、首を横に振る。さばけた印象の薄化粧の母親は、にっこりと優しく笑いながら言った。

「そう、良かったわ。ワンちゃんもごめんね、悪戯されなかったかしら」

 母親がうなだれているバブの頭を撫でつつ言うが、バブはいつものように知らん振りしている。

「にしても、大きなワンちゃんねえ。名前は何ていうの?」
「……バブ……」
「ふぅん。可愛い名前ね。それにとても賢いのね、ちゃーんと大人しくしてて」

 母親はそう言ってまたにっこりと微笑んだ。

「ところで僕……は、家族の人は?」
「え……」
「ここにいるの? ほら、さっきみたいに危ない事が起きる前に移動した方がいいかなって……」
「う……うん……あの……」

 口篭るシノにも、彼女は嫌な顔一つとしてせずに口元に笑顔を残したままで頷いた。

「お父さん、お母さんとはぐれちゃダメよ」
「……は、はい」

 そう言って、髪を撫でられた。

「しのちゃん、そろそろおねんねしよっかな? んー?」

 その親子が離れていくのを見届けながら、シノは何となくぽっかりと心に穴が空いたような気がした。傍らで眠たそうにしているバブの頭に手を添えながら、膝を抱えた。

「お父さんとお母さん――……」

 それは今の自分には、ないもの。

 とっくの昔に失われてしまった、その存在。シノにもあんな時代はあったのだろうけれど、記憶にないせいだからなのか何だかピンと来なかった。

「寂しくないよ。……僕にはおじさんもいて、バブもいる。それに、たくさんのお兄ちゃんやお姉ちゃんも増えたから」

 バブがそれに応えるようにしてか、クゥンと鼻を鳴らすのが聞こえた。




シノ……謎が多い子やで。


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