倒れ込むゾンビの背中を踏みつけて跨いでくるのは、漆黒のロングコートにフードを被った見知らぬ男である。予期せぬ第三者のその登場に、メンゲレもパラメディックもやや意外そうに肩を竦めた。
男……もとい、ジョーは片手に刃物のようなものを持っていたが、もう反対の手には何かのボトルを握っており、それを逆さまにして中身を足元にぶちまけながら階段を上がってくる。ボトルには何か発火性の液体が入った酒瓶であろう事はすぐに予想が着く。
睨んだとおりにジョーは空になったボトルを背後に捨て、次の瞬間にはジッポライターをコートの袖から手品師のように俊敏な動作で抜き出していた。続けざま親指で跳ねるように蓋を開き、火の灯ったそれを背後に向かって放り投げた。
「……何者だ?」
ジョーの背後ではすっかり炎の壁が出来上がり、こちらへ向かって来ようとしていたのであろうゾンビ達の呻き声が聞こえてくるのが分かった。奇妙なその大合唱を聞いているうちに、何だかぼうっとしてしまいそうだったがそれではいけない。
サージェントが目を細めつつジョーを見守っていると、ジョーは再びこちらに向かって足を進めてきた。
「……おっと、何だ。まだお仲間がいたのか?」
その反応を見るにメンゲレ達の仲間ではないようなのだが、無論油断は出来ない。サージェントも崇真もジョーの動向を見守るが、ジョーがこちらに危害を加えてくるような気配はなくむしろ――、と、ジョーを見れば彼が睨み据えるのはメンゲレとパラメディックである。
「きゃ〜、どうしましょう博士。何か強そうな奴が来ちゃいましたよぉ〜」
「――ふ。大人しく引き下がろうじゃないか、元よりそのつもりで来た」
予期せぬ第三者の現れにもさして動じている風には見えなかったが、パラメディックは背後の非常扉に手をかけると後ろ手にそれを開いたようだ。
「な……、ま・待て!」
「待ちません」
崇真の声を一刀両断して、メンゲレがこちらを見つめたままで背後に一歩下がる。崇真がライフルを向けたが、さして怯みもせずにメンゲレは片手を持ち上げると人差し指を立てた。それから「チチチチ」と犬猫にやるかのように舌を鳴らしつつ挑発的に指先を振ると、やがて二人の身体がそのまま後ろに倒れ込むようにして視界から消えた。
飛び降りたその二人の影を追いかけようとしたが、サージェントに静かに背後から抑制された。
「……っ!」
「いい。――それよりも」
サージェントが自分の一歩ほど前に立つその黒づくめの男――そう、ジョーの背中を訝るように見つめる。その視線に気づいたのかジョーは僅かにだがこちらへと振り返り、それからゆっくりと顔を持ち上げてサージェントを見たのであった。
「……」
表情がよく窺い知れない中で恐らく目が合っているんであろう状態、サージェントはジリジリとした緊張感に胃が気圧されているのを感じていた。
「――お前」
先に言葉を発したのはあちらが先で、ジョーはその時は完全にこちらに振り返っているようだった。
「……サージェント」
ぽつりと単語を呟くと、ジョーはしげしげと観察するようにサージェントの頭のてっぺんから爪先までをじっと見つめた。
「隻眼……、百億……、少年……」
囁くような調子で何やら単語をぼやきながら、ジョーはサージェントを隈なく見渡しているようだった。何も答えないでいると、焦れたように崇真はそのライフルをジョーへ向けた。ジョーはそれで足を止めたが、同時にその手には先程ゾンビの首をちょん切ったのであろう大ぶりなナイフが握られていた。
「……よせ、門倉」
その間を介するようにサージェントが呟いたが、崇真は頑としてそのライフルを提げようとはしない。それどころか、更に銃口を近づけるようにして威嚇するようにジョーへ突きつけた。
「突然現れて何だ。お前は」
「……そっちこそ突然銃口を突きつけるとは何事だ、今時の学校ではそんな風に教えるのか?」
崇真もまだ若いとは言えどあまり血気に逸るようなタイプではない、どちらかといえば冷静な方であると思う。ジョーの手にナイフが既にセッティングされている事も、そして彼が只者でもない事も、その両方が意味すること――ひいてはこちらにあっさりと引き金を引かせるような相手ではないというのもきちんと理解しているんだろう。
理解したうえで、崇真はそうしているのだろうとは思う――思うがしかし……。
「門倉、銃を降ろせ」
「――……」
「門倉」
いくら彼に並はずれた狙撃の才能があろうが、これは別問題であろう。今度はやや強めの調子で言うと、崇真は不承不承といった具合にだがそのライフルをようやくのように降ろしたのであった。
「……、とりあえず礼がまだだったな。すまん」
それで、だ。この突然のように現れた黒づくめの男が何者であるのかはまた別とし、先程の窮地から救ってくれた事実は変えようがないだろう。サージェントが非礼を詫びつつもそう口にすると、ジョーは特に気にしている風でもないようであった。少なくとも、今の崇真の行動については。
「助かった、ありがとう」
「――まだ礼を言うには少し早いな。ここを脱してからだ」
ジョーがナイフの柄をくるりと回転させて持ち直し、そして脱出を促しているのか今しがた彼が上がって来たものとは別の階段を指した。
「あらかじめ道は確保してきてやったからな。弾が足りない事を言い訳にくたばるのは無しだ」
「……つまり、わざわざ俺達の為にここへ来てくれたと?」
サージェントの問いかけにジョーは一瞬黙り込んでしまったが、すぐに持ち直したようにフッとため息交じりにあちらを向いてしまった。
「サージェント……」
「?」
「――手短に言ってアンタは狙われてる、今にあちこちからアンタを欲しがる奴らが現れる筈だ」
背を向けたままでジョーが告げると、サージェントは眉根を上げつつジョーを見つめ返したのだった。
「『ランカスター・メリンの右手』」
ぽつりと呟いてから、ジョーが再び少しばかりこちらを向いた。
「……単なるポッと出の自警団の寄せ集めだとばかり思って気にも留めなかったが、アンタを熱心に追いかけているみたいだぞ」
「へぇ……」
生返事ではあったがサージェントはそれなりに反応を示したようで、うなじの辺りに手をやりながら何か思う事でもあるのか黙って耳を傾けている。
「リーダーの男には気を付けろよ、ルーシーと名乗るまだ若造の優男風情だが――、奴はとんだ怪物だ。一見すれば虫も殺さないような顔をしているが、反吐が出るくらいに凶悪な野郎だった……相手にするならハッキリ言って人間だと思わない方がいいぞ」
「……会った事が?」
「ああ。あるからこうやって話せる」
なるほど、とサージェントが短く相打ちを一つしてからもう一つ尋ねかけた。
おじさん、これは正体に気付いてる、の??
二人面識あるっぽいもんね。
サージさん曰くだけど。ん? ん?
それにしてもマツシマ親子は父子揃って
ツンデレなんですね……
べ、別にあんたらの為にゾンビ倒してきてあげたんじゃないんだからねっ
息子の為なんだからねっ!
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