その酒場の中は実にカオスな事態になっているようであった。テーブルというテーブルはひっくり返り、足元には酒瓶が割れて散らばり、勿体ない事にその中身があちこちに飛散している。置いてあったのであろうグラスやつまみの乗った皿も全てが無残に散らかされた状態で、アルコールの匂いと火薬の匂いがミックスされて店内に漂っているのが分かった。
「……うぉおい、何だコリャ。乱交パーティーでもあったのか? え?」
兄の間抜けな声を無視するよう、フードを被った黒づくめの用心棒は一足先にその人物を発見していた――「ヒッ!」と男にしちゃあ少々甲高いくらいの悲鳴が一つし、カウンターからずるずると引きずり出されたのは実にガタイのいいスキンヘッドの男のようだった。
ドサッ、と床に投げ捨てられたそのスキンヘッドの男――沼藺を見るなりに兄が口元にだけ笑顔を浮かべながら言った。
「おお〜、沼藺じゃねえか。で、何だこの状況? 分かりやすく三行くらいで説明しろ、時間がねえからな」
「……『猫』よ! 猫の連中にやられたのよ! 何よあれはッ、アンタらの差し金なの!? 取り立てにしちゃあちょっと乱暴が過ぎるじゃないの!」
双方、どうも話が食い違っているのはすぐに分かった。分かったところで、丁寧に説明をしてやる暇もないしむしろ逆にこちらが質問する事の方が多そうなのだが。
兄はサングラスを外して、胸のポケットに差し込むと襟元を緩める仕草をしながら投げ出された沼藺に近づいた。やはり倒れる時も女性的な動作で、沼藺は床に手を突きながら近づいてくる兄を上目づかいに睨み据えていた。
「猫ちゃんだぁ? どーこの子猫ちゃんだよ」
「ランカスター・メリンの右手とかいうあのふざけた連中の使者が来たのよッ、汚らしい髭の風俗ライターのオッサンと、可愛らしい眼鏡の坊やと一緒にね! どうせあれもあんたら『ドロレス兄弟』の仕業なんでしょうッ! 店がもうめちゃくちゃよ、営業停止ぢゃない!」
キィキィと喚き出す沼藺だったが、兄弟には勿論その内容にはまるで覚えがないのだった。顔を見合わせる二人の様子に沼藺が頭に来たのだろう。ひときわ大声を上げながら掴みかかろうとした時、その傍で事を静観していた黒づくめの用心棒が、コートの袖にでも忍ばせてあったのであろうカランビットナイフを抜き出していた。
ナックルガード付の大層なそのナイフの刃先が沼藺の目の前で、静かに、冷たく停止している――あと一歩でも身を乗り出せば、眼球が丸ごとナイフの刃に持っていかれそうな距離にそれはあった。
「ヒッ!!」
「あー……沼藺ちゃんや。多分、それ無関係。俺達、関係ないよ」
弟がピョンピョンと爪先立ちで軽くステップするように答えれば、隣の兄が同調するように頷いた。
「そうそう。俺達はいつものように月払いのアレを貰いに来ただけだよ――と、そのついでと言っちゃなんだけどさ、その汚い中年とお前好みの可愛いボクちゃん……確かにランカスター・メリンの右手と名乗ったか?」
「好みなんかじゃないわよあんなクソガキ!……じゃなくて、ええ、ええ、そうよそうよ。猫と言ったらあのルーシーとかいうワッケわかんない奴を筆頭にした気味悪い連中でしょ……あ、アタシは一度関わって面倒な事になったからもう関わる気は毛頭ないのよ! だからもう金輪際関わりたくないのよ〜〜!!」
「…………」
泣き喚く沼藺の背後から、黒づくめの男は無言でその顎を取りながらナイフを突きつけるだけだ。淡々とその作業をこなす姿は何か殺人アンドロイドのようにも見える。
「ふーん……」
「兄貴ィ? どうすんの?」
「ま、いいや」
しばし考え込んでいたようだったが、兄は後頭部をぼりぼりと掻いて、それから続けた。
「んじゃ、ものはついでだけど。さっきやってきたその中にルーシー隊長様はいなかったわけだな?」
「いなかったわよ、あの一目見たら忘れらんない不気味な目!!」
「ほうほう。……で、その小間使いとしてやってきたのが二人組だったと……成程な。多分その汚いライターのオッサンとやらはどうでもいいな、単なる興味本位でこの世界に足突っ込んだチャランポランだろうが――問題はその眼鏡のガキだな。そいつ、英雄だとか騒がれてたあのガキんちょじゃないのか?」
「英雄……英雄……あらそうだったかしら? 必死だったから覚えてないわよ、拳銃見ても怯まないのッ、まだ女も知らなさそうな顔してる癖してね!」
「……それで。沼藺、テメェそいつらに何したんだ?」
「へ??」
兄の目がそこで鋭くなったが、それよりも目の前のナイフでいっぱいいっぱいな状態の沼藺にはそれに気付く余裕はなさそうである。
「何って何?」
「しらばっくれんじゃねえ!!」
突然の怒号と共に、兄が倒れていたスツールを横手に蹴り飛ばした。
アジョシのカランビットナイフ使いの人見てて
あ、これ武器なのかっこいいなと思って
この人のメイン武器にしてみたんだよね……。うん。
←前/次→