05.
それから間もなくして、額から耳元にかけて指先が降りてくるのが分かった。
――何だか触り方がアレな気がするのは……、僕の考え過ぎですよね? 多分
目を閉じたまま自問自答していると、ルーシーの笑うような息遣いがする。こそばゆい触れ方をされて、それからルーシーはヒロシの髪の毛辺りに触れてきた。まるで猫の毛並みでも撫でているかのような触り方をして。
昔どこかで、いやどこだったかは忘れたんだが、髪の毛にこんな風に愛しげに触るのは何だか性的な行いをした後更に親睦を深める為のスキンシップだとか何だとか……って、さっきから僕は何でそう下方面に繋げたがる??
セルフ突っ込みを入れておいて、ヒロシは何だかすぐ近くに気配がするのを感じてハッと目を開けた。
「!?!?」
「……僕、舌も冷たいそうですよ。よく言われるんです」
「な、なへ、なんれすか一体!?」
案の定、ルーシーは何を考えているのかほとんどキスの距離にまで顔面を持ってくると戸惑うヒロシに更に詰め寄った。
「でも、昔から言いますよね。手が冷たい人は心が温かいとか。じゃあ、舌は一体何でしょうね……物知りそうなヒロシ君なら知ってるんじゃないですか」
「し、しりませ……んうッ!?」
身体は熱っぽさでほとんど動かないにも関わらず、一応抵抗だけはしてみようとするものだ……まあ無駄な足掻きだったようで、気付くとそのまま接吻をかわしていた。
――あ、あれ? 何でしょう。何なんでしょう。何故、僕は、この人と、こういう事をしているんでしょうかね
「……ん、ぅ……」
自負していたようにその舌先は爬虫類のようにヒンヤリとしていて、口の中まで熱で侵されていたヒロシにとっては氷でも舐めているみたいに感じられて、自ずとそれを求めるように自分からも舌を使っていた。
「――っ、は……」
一度解放されると、お互いの唇からつぅうっと唾液の糸が垂れた。
「どうでしょう、気持ちいいですか?」
「……べ、別に……そんな事は……」
「あら。じゃ、もういりませんか?」
「…………」
押し黙るヒロシに、ルーシーはくすくすとまた笑ってみせた。何だか彼の術中にはまってしまったようで悔しい、すこぶる悔しい……今どれだけ強がってみたところで、さっきのキスは消しようもない事で……。
――ね、熱に浮かされていたとは言え自分は今何をしたんだろう……
「うふふ。意地悪してごめんなさいね、僕もついついちょっかい出したくなっちゃって。弱いんですよ、猫みたいな子に」
「……ね、猫……?」
「ええ。よく言われませんか、ヒロシ君。猫っぽいですよ、貴方」
「は、初めて言われたと思いますが」
そうですかぁ、とルーシーはどこか間延びした調子でぼやき、それからまたニコリと笑った。
「今の出来事はヒミツにしておいてあげますからね」
「……はぁ」
気付けばヒミツを共有する事となってしまったらしい……それも妹の上司と。とんだ失態だ。熱のせいだ。隊長が、いや、体調が悪かったせいなんだ。やっぱり今日は厄日だった。うろうろと出歩きなんかせずに家で寝てれば良かった。全く。
「ナオちゃーん、まりあちゃん来たよ〜」
扉の前で、ルーシーの本名を呼ぶ声がする。この声は確かあれだ、この家に住んでいる女の子のものだ。名前は……何だったか? 顔は思い出せるのだが。
「あ、そう? ありがと、リオ。上がってもらって、お兄ちゃん部屋で寝てるよって」
はーい、と元気良く返事してリオと呼ばれた少女は部屋の前で踵を返して行った様だった。そうしてから振り返ったルーシーの顔はやっぱりニンマリと、どこか共犯者よろしくな笑い方である。
「ね?」
もう一度同意を求められるよう、殊更にニッコリと微笑まれてしまった。
――ああ、もう、本当に
自分だけならまだしも、これで妹に手なんか出してみろ。絶対に僕は許さないぞ、あんたの事……とは何となく言う気になれなかった。屈してしまった自分の既成事実の前には、何を言っても嘘のように聞こえるからである。
その日はまりあの顔が何となく見れなかったのは言うまでもない……。
「〜〜〜っ……」
焦るあまりかヒロシが忘れていった本を読んでいたルーシーだったが、不意にその手が止まった。……かと思うと。
「っ、くしゅん!……あー、何だか寒気が」
「ナオ、かぜだー!!!」
心が楽しそうにそんなルーシーを指差して笑った。
「ん……、風邪なんかここ数年引きもしなかったのになぁ」
「昔はしょっちゅう引いてたのになあ、ナオも。急にたくましくなっちゃって風邪とは無縁になっちゃうんだから」
ルーシーが鼻をずるずると啜りながらそんな修一に微笑みかけた。
「筋トレするとね、引きにくくなるんだよね。だから兄さんもすればいいよ、トレーニング」
「う、うー……ストレッチくらいなら、とは思うけどナオがやってるようなのはちょっとぉ……」
「楽しいのに」
「……遠慮します」
ルーシーは本を閉じて、テーブルの上にそっと置いた。近いうちに、もう一度会って返してあげないと。その時にまたあの猫のような仕草が見れないものかと密かに目論んでみるが、まりあがいる限り無理だろうな――と思い、ルーシーは一人で笑っておくのであった。