だけどこんなの、楽しいわけないだろう。


先輩はそう吐き捨てるように言うと、下唇を噛んで地面を睨みつけた。

私、何にもわかってなかった。先輩がどれだけ苦しんできたのか、理想と現実の違いにどれだけもがいてきたのか。大好きなテニスをしていても、楽しくないと思ってしまう程に苦しかったんだ。


この人は、今まで1人でその苦しみに耐えてきたんだ。


観月先輩の心の痛みを思うと、私まで胸がぎゅぅ、と締め付けられるみたいに痛くなる。先輩が心からテニスが好きになるには、一体どうしたらいいんだろう。
不二くんみたいなきらきらの瞳で、テニスの話をたくさん聞かせて欲しい。大好きなのに苦しいなんて、そんなの悲しいよ。

「私、は、観月先輩がなにをしてきたかなんて知りません」
「…知ったらきっと軽蔑します。そんなことばかりしてきたんだ」
「でも!それは、先輩がしたかったことじゃないんですよね?やりたくないけど、勝つために仕方なく、」
「そうだよ!じゃなきゃ誰が、有望な後輩を犠牲にするような真似なんか…っ」

そこまで言うと、先輩はしゃがみこんでそれきり口を噤んでしまった。有望な後輩って、もしかして不二くん?犠牲ってどういうこと?わからないことだらけだけれど、それが先輩を苦しめているのはよくわかる。
後悔して、そしてきっと自分を責めてる。そんなことまでして、それでも勝たせてあげられなかった自分を責めてる。

隣にしゃがんで、まだ震えている背中をそっと撫で降ろす。先輩は顔を上げて、今日はじめて私の目を見てくれた。

「あの…ナナシさん?」
「ごめんなさい。触られるのは嫌ですか?」
「嫌じゃない、です。…君だと、なんだか落ち着くみたいだ」

拒絶されなかったことに安心して、小さく息を吐く。先輩はそのまま目を閉じてしまったから、そのまま肩を撫でながら語りかけた。少しだけ聞いていてくださいね、と断りを入れてから。

「さっき勝つためにはなんだってやった、って言いましたけど…本当はずるいこととか、チームメイトを傷つけるようなことはしたくないんですよね?こんなの間違ってるって思うから、だから余計に辛いんでしょう?だからテニスが楽しくないんでしょう?
だったらそんなの、やめちゃってもいいと思います。間違ってるって思うこと、無理してやらなくてもいいと思います。
勝つことが全てだって大人が言うなら、観月先輩が理想とする方法でみんなで頑張って、それで勝てばいいじゃないですか。観月先輩なら、きっと理想を現実にできます。絶対に大丈夫です。私は、そう信じてます。」

さっきの先輩のように一息で言い切って、ひとつ大きく深呼吸をする。思わず考えたことを口にしてしまったけれど、余計なお世話だったかな。でもどうしても想いを伝えたくて、つい言葉にしてしまった。

「あの、余計なことだったらごめんなさい」
「…ええ、本当に」
「ご、ごめんなさい!」
「そんな簡単なことみたいに言いますけどね、難しいんですよ、勝つのは。簡単に勝てれば誰だって苦労はしやしないんだ」
「そ、そうですよね。私、テニスのことなんて知らないくせに出しゃばって…」
「だけど…不思議だな。君に大丈夫だって言われると、なんだか本当にそんな気がしてくるんです」

顔を上げた先輩の表情は、いつもの穏やかな笑顔を取り戻していた。視線が合わさって、見つめ合うこと数秒。気恥ずかしくなって今度は私の方が目を逸らした。だって観月先輩、あまりにもまっすぐに私を見るから。

「…なんだか君には、情けない所ばかり見せている気がします」
「そんなことないです。全部吐き出して、それで先輩が楽になれたらいいんですから」
「ありがとう。…僕の中学テニスは、もう終わってしまいました。でも引退までにはまだ時間がある」

それまでの間は、僕の理想を後輩達に叩き込むことに専念するつもりです。

そう言う観月先輩の瞳は、まるで炎を宿したように燃えていた。少しだけテニス部の1・2年生たちが気の毒になってしまう。特に不二くん、ごめんね、なんだか先輩に火を付けちゃったみたいだよ。

「観月先輩、これからは楽しいテニスができそうですか?」
「ええ、初心に帰ってやれそうな気分です」
「じゃあ、テニスは好きですか?」
「ええ。…とても、好きですよ」
「よかった!」

その言葉に安心して、私も自然と笑顔になる。すると先輩は未だ肩を撫で続けていた私の手を取って、信じられない言葉を口にした。

「それから…ナナシさん、君のことも好きです。とても」

観月先輩、今、何て?好き?私を?誰が?…観月先輩が!?

また視線が合わさって見つめ合う。今度は目を逸らすことも忘れて、少しだけ頬を赤くした先輩をただ呆然と見つめていた。






((2013.4.27 / 2015.01.22修正))

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