昨夜もまた全然眠れなかった。

目を閉じると観月先輩の言葉が頭の中でリフレインして離れなくて、枕に顔を埋めてじたばたしている間に学校へ行く時間が迫ってきていて。もやがかかったみたいにぼんやりする頭を無理矢理起こし、どうにかこうにか午前の授業をこなしていた。
少しずつ平常心を取り戻して、昼休みになる頃にはやっといつもの自分になれた、ところだったのに。

「なんで今日、なの…!!」

よりによってこんな時に校内で鉢合わせるなんて、神様って意地悪だ。
観月先輩は確実に私がナナシさんだって気付いただろう。一応否定はしておいたけれど、同じ顔と声で人違いです、なんて言われて信じてくれる程に先輩が甘くないことはよく知っている。
はぁはぁ、と息が上がって胸が苦しい。徹夜した体に全力疾走は堪えるけれど、だってまだ、どう返事をすればいいかわからない。だから逃げるしかなかった。


―君のことが好きです、とても。君のことをちゃんと知りたいんだ。教えてくれませんか、君のこと。…君の、気持ちを。


思いがけず先輩と会ってしまったせいで、また昨日の光景が頭をよぎる。右手が、先輩の手のひらの熱を思い出す。走っているせいでただでさえ暑いのに、余計に体温が上がった気がした。

思い出すと叫びたくなってしまうような、甘いあまーい台詞だった。そんな告白を観月先輩が、私に?信じられない。

だって私、ものすごく普通で平凡なんだ。部活もやってないし、放課後に友達とお喋りしたり寄り道したりするのが好きな、すごく普通の中学生だ。私のことを知ったって面白いことなんてないと思うし、普通すぎて幻滅されたらどうしよう。そんな考えが頭をよぎる。

それに私は逃げてしまった、ごめんなさい!という言葉で答えを濁して。そして今もまた逃げている。観月先輩はあんなに真剣な眼差しで気持ちを伝えてくれたのに…私、最低なことしちゃった。

私は観月先輩のこと、どう思ってるんだろう。好きか嫌いかで言えばきっと好き、なんだと思う。それは友情?それとも、愛情?そんなの考えたこともない。


ただ先輩の話を聞いているのが好きだった。


連絡がなかった間はどうしたんだろう、って心配で堪らなかった。苦しんでいるなら力になりたい、笑顔になって欲しい、大好きなテニスを取り戻して欲しい。そう願ってた。
どうしてそこまで気になったのか、そこまで考えて私はようやく答えに辿り着く。


ああ、私、観月先輩のこと好きだったんだ。
好きだからあんなに気になって心配で、もっと一緒にいたい、話がしたいって思ったんだ。


気付いたところで階段を駆け上がる足を止めると、後ろから誰かに腕を掴まれた。振り返るとそこには後を追ってきたのか、少しだけ息を荒げ、肩を上下させる観月先輩の姿。

「ナナシさんっ、やっと、捕まえました」
「つ、捕まって、しまい、ましたっ…」
「お願いですから逃げないで。…結構傷付いたんですよ」

眉を下げて視線を逸らす先輩に、申し訳ない気持ちがこみ上げる。せっかく気持ちを言葉にしてくれたのに、私はそれを踏みにじってしまった。

言わなくちゃ、私もきちんと伝えなくちゃ。気付いた想いを言葉に乗せて。

「先輩、ごめんなさい!えっと…」
「もう、いいんです。…君のごめんなさいはもう、十分だ」

ごめんなさい、逃げたりして。…そう続けるつもりだった言葉は、他でもない観月先輩によって遮られた。その表情はさっきよりもずっと悲しそうで、思わず胸が痛くなってしまう。

「いいって、何がですか?」
「ごめんなさいというのは。昨日の話の返事なのでしょう?」
「えっ違っ!?あの、ちょっと話を聞いてください!」
「気を遣わないでください。僕が勝手に君を好きになって、勝手に告白しただけの話です」
「あの、ちょ、待っ…」
「そんなに嫌でしたら、もう連絡はしませんから。お互い赤の他人に戻りましょう」

しつこく追いかけたりしてすみませんでした、そう言って来た道を引き返していく観月先輩。違う違う、紛らわしい言い方をした私も悪いんだけれど、ちょっとネガティブすぎませんか。

さっきのごめんなさいも、昨夜のごめんなさいも、そんな意味じゃなかったのに。君のことが知りたいって言ったのに、どうしてちゃんと話を聞いてくれないんですか。どうしたらもう一度、私を見てくれますか。
このまま迷っていたら、先輩は行ってしまう。そうして時間が経って全部なかったことになっちゃうのかな、そんなの嫌だよ。


ねえ待って観月先輩、こっちを見て。


すうっ、と大きく息を吸って、階段を降り切った観月先輩の背中に向かって「伝えたいことがあるので待ってください!!」と言葉を投げつける。
思いの外大きな声が出てしまって、振り返った観月先輩も私も、目を真ん丸に見開いた。

「昨夜のごめんなさいは、どう返事したらいいかわからなくて言っちゃっただけなんです。さっきのごめんなさいは逃げちゃったことに対してで…だから、先輩の気持ちへの答えじゃないんです」
「…それでは、返事を聞いても?」
「は、はい。私は、観月先輩のことが、」

そこまでで言葉を区切って、一段一段ゆっくりと階段を下りていく。その先に待っている先輩のところへ辿り着くと、一つ息を吐いて、気持ちを落ち着けてから口を開いた。

「観月先輩のことが好きです。…自分でもわからなかった。気になって仕方なくて、そうしていつの間にか好きに、なっていたんです」

こみ上げる羞恥心をこらえてまっすぐに見つめて、手を取って気持ちを伝える。昨夜、先輩がそうしてくれたように。

「…そうですか」
「そうなんです。ただ、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「はい、なんでもどうぞ?」
「私は観月先輩が思うような子じゃないかもしれない。本当に普通で、取り柄なんてなくて…それでも知りたいって思ってくれますか?」
「んふっ、もちろんです。君のいいところはちゃんと知っていますからね」
「えっ?それってどこですか?」
「さぁ、どこでしょうね?」

どちらからともなく笑みがこぼれて、あったかい気持ちで胸がいっぱいになる。
ほんの10分前までは悩みに悩んでいたというのに、気付いてしまえば解決法はあっけなかった。ちゃんと自分の気持ちに向き合えば、答えは最初から心の中にあったんだ。

「あの、ナナシさん…じゃないですよね、もう」
「ですね」

そうだ。観月先輩が私のことを知りたいと言ってくれたんだから、ナナシさんでいるのはもうおしまいだ。先輩の話を聞くだけじゃなくて、私のことも話して大丈夫なんだ。

「じゃあまずは…何から聞けばいいでしょうか。趣味や好きな音楽や、他にも知りたいことがたくさんあるんです」
「…そんなに沢山のこと、一度には話せませんよ」

データマンの癖、なのかな。堰を切ったように質問をぶつけてくる観月先輩に、今度は苦笑を浮かべてしまう。

そんなに焦らなくたってもう逃げないから、ゆっくり話をして、そうして私のことを知って欲しい。時間をかけてお互いを知って、もっと好きになっていけたらいい。観月先輩となら、きっとそれができると思うから。


だから一番最初に伝えるのは、まずはこれだけ。


「私の名前は、ミョウジナマエです」





((2013.05.30end / 2015.01.23修正))

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