再び


カチカチと秒針の進む音が聞こえる。
ただ真っ暗な天井を眺め、その音に耳を傾けた。
単調に聞こえてくるこの音が昔から好きだった。
目を閉じ、音だけに集中する。
何も見えないこの世界には、僕だけが存在するように思えた。

そろそろ日付が変わるころだろうか。
開けっ放しにしていた窓から冷たい風が入り続けている。
鳥肌でザラつく腕を撫で、ゆっくりと目を開け、起き上がる。
月明かりが差し込み、部屋を朧げに照らしている。


「……………」


ベッドから降り、机まで寄ると手で沿わせながら窓へと移動する。
冷気が直接身体に当たった。
すぐに窓を閉めようと手を伸ばすと、ガラス越しに人影を見つけ、手が止まった。


「こんな時間に…小さいし…子ども、か…」


人影を目で追いながら窓を閉めると、その音に気付いたようで小さな影は振り返り、僕と目が合った。
一瞬のことだったが、見られたことに焦ったように慌てて走り去っていく後ろ姿を目で追う。
すると最近引っ越してきたと母さんから聞いていた家の中へと入っていった。
子どもがこんな時間に何をしていたのか、気になるところだがわざわざ追って確かめようとは思わない。
カーテンへ手を伸ばし音をたて閉める。
そうして、再びベッドへ戻り瞼をゆっくりと閉じた。


****


翌朝、カーテンから通り抜け入ってくる日差しで目を覚ました。
二度寝したい衝動をなんとか振り払い、ベッドから出る。
ひんやりと冷たいフローリングの上を裸足で歩き、 階段を下りた。


「あら、今日は早いのね」


おはようレッド、とコーヒーを飲みながら微笑む母さんにおはよう、と返しいつもの椅子に座る。
レッドの分も入れてあげる、母さんはそう言うと僕好みのコーヒーを作ってくれた。
朝食も作ってくれるようで、キッチンから漂う美味しそうな香りに涎が垂れそうになる。


「そういえば、今日は新しいポケモントレーナーが旅立つそうよ」

「え?」

「前に話したでしょう?1ヶ月前にあの可愛いお家に引っ越してきた子よ」

「…ぁ、」


瞬時に昨日の子を思い出した。
深夜に外にいた子。
気になる存在ではあるが、深くは追求する気になれない。


「そうなんだ、楽しみだね」

「あなたも小さい頃は目をキラキラさせて冒険してたわねぇ」

「今だってキラキラさせてるよ」

「あら、本当?」


母さんは口笛が聞こえてきそうなほど楽しそうに目玉焼きとベーコンを皿に乗せて机に置くと、そういえば、と時計を確認しながら言った。


「オーキド博士に呼ばれてたんじゃなかった?」

「そうだよ、だから今日は早起きなんだ」

「そうね、確かにいつもよりは早いけど…早起きとは言えないんじゃないかしら?」


母さんにそう言われ時計を確認すると既に時間は10時をまわっている。
たしか博士との予定は……


「やっば!!10時には来いって言われてたんだった!!」

「まあ!大変!」

「ごめんママ!ご飯は帰ってから食べるよ!」


椅子から飛び退き、引っ掛けておいたパーカーを取り、玄関へと走り出す。
もう何年も変えていない靴を履き、先端をトントンと鳴らす。
いってきます!と叫び博士の研究所へ急いだ。


「いってらっしゃい!…ふふ、ママだなんて…久しぶりに呼ばれたわね」


****


「遅れてすいません!」


勢いよく研究所の扉を開けると、すぐに博士と目が合った。
博士は呆れ顔でため息をつき、 いいからこっちへ来なさい、と手招きをしている。
苦笑いしながら寄っていくと持っていたバインダーで頭を叩かれた。


「ほんとすいません…それで今日は何なんですか?」

「聞いておらんか?今日は新たにこの街からポケモントレーナーが誕生するんじゃよ」

「そういえばさっき母さんが…」

「うむ、その子たちに最初のポケモンを渡すんじゃ」


懐かしい話にあの頃を思い出す。
あの時は悩みに悩んだ末の一匹と一緒に冒険を始めることが嬉しくて仕方なかった。
最初の友達っていうのは特に忘れられない存在だ。


「あ、その子たちってことは」

「あぁ、今回は二人いる」

「僕たちと同じだ…」

「きっとお前たちと同じように良きライバル同士になるじゃろう」



ふっふっふっ、と笑う博士は目を細めながらどこか遠いところを見ていた。
その横顔がなんだか懐かしんでいるようで、僕もつられて微笑む。
グリーンとは色々、ほんっとに色々あったけど、彼とライバルで良かったと思う。
今では親友と照れながら呼べる仲になってしまった。
人生何が起こるか分からないものだ。


「それで、その二人はいつ来るんですか?」

「もう来ておるよ」

「え!?あっ、そうか10時にはって…」

「ワシはお前さんを待っておっただけじゃわい」

「でも、なんで僕まで呼んだんですか?」


まあ来なさい、と言い博士は研究所の奥へ進んで行く。
僕はその後ろを慌てて着いて行った。
奥にはいつもの通り三つのモンスターボールが並んでおり、それを二人の少年が真剣に見て悩んでいる。


「あ!オーキド博士!」


手前にいた少年が博士に気付き、一つのモンスターボールを両手で抱えながら寄ってきた。
爛々とやる気に満ちた瞳が僕の方を一瞥し、すぐに博士へと向き直り、持っていたモンスターボールを上へと掲げる。


「オレこいつと旅に出るよ!」

「ほぅ、決まったか。こいつはゼニガメじゃ。 水タイプのポケモンじゃぞ」

「知ってる!オレちゃんと調べてきたんだ!ねぇ、出してみてもいい?」


あぁ、と博士は承諾し、少年は嬉しそうにモンスターボールを投げ、ゼニガメを出した。
ゼニガメは彼を見つめ、どこか緊張しているようだったが、少年がよろしくな!と笑いかけたことで、緊張もすぐにほぐれ楽しそうな鳴き声をあげている。
それに気を良くした少年はちょっとだけ遊んでくる!ちょっとだけ!と言い残し、ゼニガメと共に研究所から走り出て行ってしまった。


「さて、君はどうする?」


いつの間にか博士はもう一人の少年の元へと移動し、尋ねていた。
問われた少年はまだ悩み、返答に困っているようだ。
ヒトカゲとフシギダネ、それぞれが入ったモンスターボールを見比べつつ口ごもらせている。


「ふむ、悩んでいるのか」

「…はい」


博士は彼を見て、少し考える素振りを見せると、僕の側へと寄り、後は頼むよ、と一言残し研究所から出て行ってしまった。


「急に無責任になるんだから…」


もしかするとこの為に僕をここに呼んだのかもしれない。
仕方がないかと諦め、重い足取りで悩む少年の元へと歩み寄った。
うんうんと唸る姿はどこか昔の僕と重なるものがあり、苦笑する。


「決められない?」


話し掛けられるとは思っていなかったのか、少年は驚いた顔をして小さく頷く。
しゃがみ、顔を覗き込むと二つの目と視線が交わった。
瞳は小刻みに揺れ、今にも泣き出しそうだ。
見覚えのある瞳だと思った。
何故だか、一つ確証する。
彼はきっと…


「ねぇ、昨日の夜遅く、外にいたよね」


そう聞いた瞬間、彼は肩が大きく跳ね、顔を逸らしたかと思うと再びこちらを向き、なんで知ってるの…と不安そうに聞いてきた。


「たまたま見たんだよ」


目が合ったよね?と笑いかけると思い出したようで、また小さく頷いた。


「何であんな時間に外にいたの?」

「…隠れようと思って」


一言そう言うと、途切れながらも彼のことを話してくれた。
マサラタウンに越してきたのは父親の転勤が理由で、その転勤先というのがオーキド博士の研究所らしい。
昔は彼の父親も旅をしており、息子にも同じような経験をさせてやりたいと思い、オーキド博士に相談したことで、息子である彼は旅に出ることになったという。


「でも、怖くて…だからずっと隠れてればいいと思ったんだ…」


そう俯きながら彼は言った。
僕はグリーンみたいに口が上手くない。
溢れそうな涙を止める言葉なんて思いつかなかった。


「…あの、ね、聞いてもいい?」


どうすればいいか分からず焦っていた僕を傍に、彼は俯きながら小さな声で言った。
彼を見てすぐに、何でも、と僕が出来る一番優しい声で答える。


「お兄さんも旅してたの?」

「うん、してたよ」

「ねぇ、旅ってどんなもの?僕、強くないし…一人じゃ何もできない…」


彼は手をぎゅっと強く握りしめ、消えそうな声で僕に訴えてくる。
持っていたままのモンスターボールが小さく音をあげた。
それに気付き、彼へと手を伸ばし首を横に振ると、ボールを握りしめていることに気付き、彼は慌てながらボールを台へと戻した。


「そうだな…旅は、上手くいかなくて、苦しいこともたくさんあって、嫌になって、家に帰りたくなることもあるよ。だけど…」


あの頃を思い出す。
まだ幼くて何も知らなかった僕が広い世界に飛び出し、全然想像通りになんていかなくて、失敗を繰り返し、多くこのとを学んだ。
バトルに勝ってポケモンたちと喜び、負けて不甲斐なさを悔い、そして次に活かそうと努力し、勝つ。
それが堪らなく嬉しい。


「そんなこと飛び越えるくらい楽しくて、絶対にやめられない。かけがえのない、僕の最高の思い出だよ」


小さな僕が大きな世界を知ることで心も、身体も、成長することができた。
これからそれを経験しようとしている子がいると思うと、なんだか感慨深い。


「最高の…思い出…?」


彼の頭上にはてなマークが飛んでいるのが分かった。
微笑みかけ、小さな頭を撫でてあげると、子供扱いされるのが嫌なのか、少し不機嫌な顔になる。
それが可笑しくて、笑いそうになる顔をぐっと堪えた。


「あぁ、そうだよ。君にもきっと分かる」

「でも…」

「それとね」


彼の声に被せるように話を続けた。
痺れそうな足を伸ばし、台に置かれた二つのモンスターボールを眺める。


「旅は一人でするものじゃない。仲間たちと一緒にするものだよ」

「な、かま…」


その二つのボールを掴み、彼へと渡す。
彼はボールを受け取ると、先ほどとは違う瞳で中の二匹を見ているように思える。
そうして口を固く閉じ、意を決したように、決めた、と呟いた。


「僕、ヒトカゲと一緒に旅をする」


持っていたボールからヒトカゲを出すと、少年は感嘆の声をあげ、ヒトカゲを優しく抱きしめる。
これからよろしくね、と小さく呟いたのが聞こえた。


「ほぉ、君はヒトカゲにするのか!」

「あっ、オーキド博士!」


いつの間に戻ってきたのか、博士が後ろに立っていた。
先ほど出て行った少年も、ここにいた頃よりもかなり濡れている髪や服をタオルで拭きながらゼニガメと一緒に博士の隣にいる。


「ヒトカゲは炎タイプのポケモンじゃぞ。大事にしてあげておくれ」

「ヒトカゲ…炎タイプ…」


彼はそう呟くとヒトカゲと目を合わせ、嬉しそうに笑った。


****


「はぁ、行っちゃった」


二人が旅立ったことが少しだけ寂しく感じる。
今日出会ったばかりの僕でさえこんな気持ちになるんだから親たちはもっと苦しいのだと、今になってやっと分かった。


「そういえば、博士。今日僕を呼んだのって…」

「ん?あぁ、そうじゃった。レッドに頼みたいことがあってのぉ」

「また研究の手伝い?」


僕はたまにオーキド博士の手伝いをしている。
手伝いといっても、あまり活発的でない研究員たちの代わりにポケモンを集めることくらいだ。
まあその集めるのがなかなか難しいんだけど。
でも、いろんな地方を巡り、新しいポケモンに出会えることはとても嬉しいし、やめられない。


「それもあるが…」

「他にも何か?」


少し待っていなさい、と言い研究所に入っていった博士は、すぐに出てきてモンスターボールを差し出した。


「これ…さっきのフシギダネだ…」

「あぁ、こいつを一緒に連れて行って欲しい」


突然の申し出に、身体が動かなくなる。
それを見た博士は声を出し笑うと、僕の手を取ってボールを渡してきた。


「レッドよ、彼らを見てどう思った」

「え?」

「もう一度、あの頃のような旅をしたいと思わんかったか?」


心臓が大きく跳ねた。
心音をうるさく鳴らしながら博士を見ると、全てお見通しだという顔で笑っている。
ふと、手で握りしめているモンスターボールを見た。
中ではフシギダネが僕の顔を覗きこみ、カタカタとボールを揺らしている。
それが、二人に選ばれなかったフシギダネの訴えだと気付いた。


「…君も、旅してみたいよね」


フシギダネをボールから出してあげるとダネーと一鳴きし、僕の元へと走って来た。
フシギダネを受け止め腕に抱えると、博士へと向きなおる。


「博士」

「そういえば、ナナミが自分にだけタウンマップを用意しておるとグリーンが話しておったな」

「え、てことはグリーンも…!」

「フシギダネのことは内緒じゃがな」


博士のにやっと意地悪に笑う姿が彼の孫と重なり、僕も自然と口角が上がる。
フシギダネをボールに戻し、握りしめながら走り出す。
まず目指すのはもちろんナナミさんのところ。
いつもグリーンは先に行ってしまうから出会えないだろう。
でもきっとあのお節介は予想もしないところで出てくるのだから今は会えなくても構わない。
タウンマップを貰ったら家に帰り、置いてきた朝食を食べながら母さんと話してフシギダネを紹介したい。
また長く家を空けてしまうことになるけど、母さんはきっと反対せずに僕を送り出してくれる。
今度はちゃんとこまめに連絡しよう。

僕の旅はすでに終わったのだと思っていた。
あの時、全て経験して今の僕が完成されてしまったのだと。
あとは見送るだけだと、そう思っていたのに…

ニヤける顔を隠すことなく走り続け、ナナミさんの元を訪れた。
息が荒く言葉が出なかったが、ナナミさんは笑ってタウンマップを渡してくれた。
新しい土地を見て、思わず顔がほころぶ。
まだ旅立ちもしていないのにあの頃と同じように身体が火照って、期待で胸が膨らむ。




また、マサラタウンから冒険が始まろうとしていた。




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