…ここはどこだ?


風丸がふと顔を上げると、暗闇だけの空間だった。

誰もいないし、何もない。自分だけが浮き彫りになるようにそこにいた。
ただそこに立っていた。動く事もなく、空間をぼんやりと見ていた。

自分が何故そこにいるのか、どうやって来たのか、ついさっきまで何をやっていたのかすらも分からない。
しかし恐怖はなかった。驚くくらいに冷静だった。それだけこの空間に現実味がないのだ。
自分の中の感情というものが大きく動かない。それを気にする事もしなかった。

風丸の目の前に少年が現れた。自分に背を向けて座っている少年。
自分より小さくかなり幼い。水色の短い髪が冴えるその後ろ姿は誰かに似ていた。

"現れた"と言うのには語弊がある。その少年は既にそこにいた。
気付かなかっただけなのか?それもまた違う。何もない空間元々目の前にいるモノに気付かない人がどこにいるだろうか。

そんな不安定な事実も無視して、何も考えず風丸は声をかけようと少年の肩に触れた。
少年は振り返る。大きな赤い瞳が風丸を映した。

目と目が合った刹那、
風丸はその少年が自分自信だということに気付いた。

驚く風丸に対し、少年は静かに笑った。その笑みは少年の見た目の幼さに相応しくない、妖しさを帯びた笑み。

戸惑う彼の手を少年は握った。風丸は握られた手を見る。
すると、その小さかった手が自分の大きさと同じになった。

顔を上げると、少年は自分と同じ姿になっていた。

同じ。否、似て非なる姿。
髪を結んでいる自分に対して、彼は長い髪を垂らしていた。
闇と調和したような彼は紛れもなく憎むべき過去の自分。


ー久しぶりだなー

彼の口が動いた。
その言葉は空気を振動させず、直接脳を震わせた。

気味悪くなって振り払おうとしたした手はしっかりと捕まれ、離す事を許さない。

ーさあ、行こうかー

拒む間もなく、握られた手を強く引っ張られた。
ただ引きずられる風丸とは逆に、彼の笑顔は明るい。


彼が一歩進むと、暗闇が晴れ、
一面、水が広まる景色になった。


海だ。


壮大な、自然。
暁に照らされ、海は深い青と柔らかな橙の二色。まるで夕日みたいだ。風丸は思った。
完全に水平線から日が上っていない、普段見ることのない不思議な景色。明るくもなく、暗くもない。

そんな海面を平行に、二人は飛んでいた。
ただ日の上る方向へ、真っ直ぐに。
何処に行くんだ、何故飛べるんだ、
風丸は手を引くもう一人の自分に問おうとしたが、口が開かなかった。聞く余裕がなかった。

前を見るもう一人の自分は自分を振り返らない。風丸は諦め、ただ引かれるがまま、この神秘で幻想的な世界を感じていた。考えるのをやめた。
海が高速で流れていくように見えるのは、自分達が高速で飛んでいるからである。
波は穏やかだ。回りに島は見えない。ただ、綺麗だった。

日が上ってきて、まだ夜の余韻を残していた海が澄んだ青色へと変わっていく。
海を見ていた風丸が顔を上げ、日が完全に水平線の上へ上った瞬間の眩しさに目を細めた。

そして、次に目を開いた時、


また世界は一転していた。


青空だった。

白い雲が悠々と泳ぐような光景。塗しすぎる太陽はなかった。

ふわり、
自分の体は宙を浮いていた。
先程は真っ直ぐに進んでいたが今は違う。ふわふわとゆっくり下へ下りていた。

気が付けば、もう自分の手を掴んでいた感覚がない。一人だった。彼は何処に行ったのだろう。

風丸はその場を見下ろした。海はなかった。花畑だった。名も知らない花が一面に咲き誇る。
物語や絵本に出てきそうな柔らかく鮮やかな光景。先程の海とはまた別の意味で幻想的だった。
まだ海の方が現実味があったというのに、ここは空想がそのまま形になった世界の様だ。
寧ろ神話に近い。ギリシャにありそうな、神殿がそこにあったからだ。

一面の色とりどりな花、非現実的な神殿、頬を撫でる穏やかな風、温かな日差し、
やがて風丸は一人地面に降り立った。

ここは何処だろう。闇にいたときとは違う妙な不安を覚えて、辺りを見渡した。
花畑の中に人を見つけた。近くに駆け寄ってみる。


それは、手を握っていたあのもう一人の自分だった。

花に埋もれてすやすやと寝息をたてる。笑顔がなんとも心地好さそうに見えた。

風丸が彼の頬に触れてみる。
すると、彼の体が崩れ、花びらとなって風にのり、舞い散った。

彼のいた場所には何事もなく、ただ花が咲いていた。
触れた感触は残ってるのに、目の前には何も残っていない。まるで触れた事実すらなかったような感覚に嫌な恐怖を覚えた。


「風丸君」

空気を震わせた音。
振り返ると、神殿から足音を立てて一人の男が現れる。
等身の高い、深緑の髪の男がこちらに来た。
風丸は彼を見て、目を丸くした。忘れるはずもないその顔。

ー研崎…!!ー

声が出なかった。驚きのためなのか、よく分からない。
恐怖はないが、離れたかった。だが後ろに下がろうとしても足が言うことを聞かない。

「会いたかったのですよ」

その大きな手が自分の頭を撫でる時、忘れていた、忘れようとしていた記憶が蘇る。


現実を全否定した事、理想を追い求めた事、弱い自分から逃げた事、

そして、
この男を自分が想っていた事。

それこそ一番否定したかった。会いたくなかった、忘れたかった。
なのに、こうも触れられてしまっては、会いたかった気持ちを抑えていた事実に気付いてしまった。

込み上げる気持ちは、何としても無視しておきたかった。


「研崎、様」

ようやく自分から出せた声は、久しぶりに聞いた声の様だった。

ふふ、と笑う研崎。そしてこの花畑を一望する。

「どうですか、綺麗なものでしょう?」

風丸もそう言われてもう一度、研崎と同じものを見る。

「ここは、一体…?」

聞きたいことはそんな事ではないのに。だが今の風丸には深く考える力もなく、単純な言葉しか言えなかった。


「"楽園"ですよ。私が目指したものに限りなく近い空間です」


楽園。

確かに言葉をそのまま形にしたような世界だ。
しかし、風丸には疑問と違和感があった。聞こうにも言葉が見付からない。何がおかしいのかもよく分からない。

だが次の言葉でそれが明確になる。

「でもこれは、貴方の為だけに創ったもの。私と貴方以外、誰もいません」


"誰もいない"
それで気付いた。

こんなにも花が咲き、"美しい"を具現化した場所なのに、

自分達以外の生物が、全く存在していないのだ。


その時、風丸は全てを理解した。


ここは、"楽園"などではない。
この男が創った"牢獄"である。

楽園というのは名前だけ、実際は自分を閉じ込める為に創られたのだ。

この花も、全て生を持っていない。
いわば、造花。色だけは鮮やかな造花なのだ。

真実に気付けば、穏やかに見えた景色はなんとも歪んだものに見えた。
造られた幻想。この男の理想。
柔らかな風すらも気持ち悪く感じて、風丸は吐き気を覚えた。


「さあ、風丸君。私とここで暮らしましょう」


差し出された手。

これを受け入れてしまえば二度と外には出られないのではないか。
心のどこかで手をとってはいけないと警鐘が鳴っている。

だけど、

その男の周りで偽物の花はなんとも綺麗に咲いていた。その美しさも偽物だと知りながら綺麗に見えた。


自分は何故、此処に来た?
自分が望んでいたことは何?

明確な答えなどいらない。
それを知る事実が欲しかった。

それを教えてくれる温もりが欲しかった。

創られたモノだけの世界で、風丸は求めた。


嗚呼、少年は男の手を、

















「目を覚ませよ!!風丸!!」

病院の一室、叫ぶ一人の少年。
その横で、ベッドに寝る蒼色。
幼なじみの少年の声は、かつて少年の記憶を呼び戻すという奇跡を起こしたというのに、今やその影すらもない。
円堂は目を覚まさない風丸の手を握り涙を流した。

部活の練習中、いきなり倒れた風丸。何があったのか分からず、ただ頭痛を訴えた。
やがて意識を失い、病院へ送られた。
それから目を覚まさない。
外傷もなく、検査をしても大きな異変はない。原因不明なのである。

円堂の涙が風丸の手に落ちた時、
風丸の閉ざされた目から、一筋の涙。
それに気付いた円堂が顔を上げる。

「風丸?!!」

ぐっと顔を近付ける。
風丸の口が、小さく動いた。何かを言おうとしている、円堂は待った。

そして、口からこぼれた消えそうな四文字の言の葉。


た、す、け、て、


「風丸?…おい!風丸!!」

円堂が風丸に触れるが全く反応もない。
風丸の口がまた動く事はなく、涙を落とす事もなかった。

病室に響いた円堂の叫びは風丸に届かなかった。









歪んだ男に愛されたその少年は幸せだろうか?
それとも不幸だろうか?

それは誰も知らないであろう。

なぜなら少年すらも理解していないのだからーー








End.









ーーー
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ただの中二病でした、すみませんでした。



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