▼お腹がすいたボスとわたし


「えっ、ボスが怪我したの!?」
「らしい。今は治療中でオレたちも近寄らねえように言われてんだ、お前も例外じゃねえ」

 なんて、そんなとんでもない報告を受けたのはボスの誕生日でもある十月十日だった。
 ボスが怪我をした?そんな馬鹿な。と、私は大声で否定したい。だけどあのすさまじい力を持つボス、この幹部を心酔させる強さを持つ彼は、やはり私たちと同じ人間なのだ。そりゃナイフで刺されたら血が出るし銃で撃たれたら身体に穴も開く。そんなことすら忘れていたのだから私はクラッカーを片手に素っ頓狂な声をあげてしまった。今年も誕生日を祝えるよう厳選した食材を調達し残りの準備は部屋の装飾だけだったのに。なんてこった。しかも幹部である私たちですら会いに行けない、となるとかなり深刻な問題である。

 というわけで恋人でも家族でもなんでもないけど心配で心配で仕方のない私は単騎、ボスの部屋の前へやってきた。あとからレヴィに裏切り者と罵られるかもしれないけど身体は正直で止められなかったのだ。
 もしボスが怒ってしまったとしても私はそれに関しては素直に受け入れるつもり。だって私はボスが大好きなんだもん。皆の尊敬や畏怖とはまた違ったこの感情は誰にも負けないと自負している。

「ボス」

 扉をノックする。周りも人払いをしているようで誰の気配も感じられない。ただ部屋に一人、だろう。怪我をしてるならそれなりの治療を受けないとダメだろうにどうして人を遠ざけたのか……私たちでは信用できないってことなんだろうか。なんてちょっとネガティブにも考えてみたけどそんなのは後回しだ。ボスの容態を目にするまで私は帰らないぞ。

 だけど、いくら待っても返答はない。ボスかどうかは分かんないけど部屋の中に気配はあるというのに。
 ちょっと迷ったけど意を決して私はドアを開ける。

 そこは、まるで闇の中だった。

 何度も何度もこの部屋へ足を運んだことがあるから間取りは知っている。どこにデスクがありどこに寝室への扉があるのかも。私だって暗殺者の、しかもヴァリアーの幹部の一員で、暗闇の中でも動くことは容易だ。なのに何故か真っ暗だと思ってしまった。入りたくないと身体が訴えている。ここへ入るべきじゃないと脳が警鐘を慣らしている。
 でも、でも、でも。
 それを抑えたのはせめてボスの顔を一目見るのだという決意。彼への感情。それが上回らなかったら私は今すぐでも回れ右していただろう。一歩踏み出し、そして、―――


「……何しに来やがった」
「!」

 バタンと勢いよく閉まるドア。
 そして、耳元で大きな音。
 聞き慣れた声にどうやらボスだとは分かったけど明らかにおかしい状況に私は完全に声を出すことを忘れ、立ち尽くす。

 さっきも言ったけど私だって幹部の端くれ、腕力はともかく素早さには自信があるし幹部にだって遅れをとったことはない。スピードだけならボスにだって追いつけるとすら思っていたのに、私はボスがどうやって近付いてきたのかまったく見えなかったのだ。気配だって全然気付けなかった。さすがボスと言うのだろうか。……でも、ボスは手負いのはずなのに。そう聞いていたのに。
 今、いわゆる壁ドンだった。世の乙女なら羨むシチュエーションだったかもしれないけど私とボスの体格差上、これはもうほぼ覆われているに近い。逃げられることなどできやしない。いや、ボスから逃げる必要なんて全然ないんだけど。

「あ、の。ボスが怪我をしたと聞いて」
「…カスから聞いてなかったか」
「スクアーロには行くなと…ごめんなさい。私が勝手に来たんです」

 さすがにスクアーロが怒られるのは可哀想だと思ったのでそれだけはフォローしておくとして。 
 「まあ、いい」ボスは決して穏やかというわけじゃないけど、決して常に荒ぶっているわけじゃない。反抗した人間には容赦ないけど基本的に私たち幹部にはすべき事さえ遂行すれば寛容だ。だから私はボスのことを怖いだなんて思ったことはない。だけど、今は、

「…ボス、ど、して」

 暗闇に目が慣れるのはかなり早い方。そういうふうに訓練されてきたから当然だ。すぐさま部屋の中の家具がぼんやりと見えてきて、そうなると自然とボスのことだって見え始める。
 だけど、そこで見えたのはいつもと違う光景。ボスの目が妖しげに赤くわずかに光を帯びているという異様な状態だった。ついでに言うと彼の口元と白いシャツは赤い何かが付着していて、それが血液だと分かるのは数秒後、突然鼻がひどい血臭をかぎとり思わず鼻を手で覆う。
いつも座っているソファの付近には人間が数名、倒れていたのだ。
 それがボスを狙った輩かどうか分からない。それをただボスが返り討ちをしたのかどうかも分からない。けれど、それにしてはボスの口元付近にそれがついている理由に繋がらない。だってそれって、まるで、―――吸血鬼じゃない。

「人の忠告は聞いておくべきだったな」
「ひゃっ!」

 ベロリと舌で首を舐められ思わず声が上ずった。
 色気のある、くすぐるようなものではない。なのにそこがじんじんと痺れるかのよう。
 食べられる恐怖、を人間が味わうことになるなんて誰が思うだろう。まさに私は今、生命の危険を感じている。ボスは多分、本物のボス。誰かがすり変わっているわけじゃないだろう。だけど正真正銘これは、この人は人間じゃないのだと気付いてしまった。私たちが敬愛する人は人ではなかったのだと今、唐突に理解してしまった。
 ボスが怪我をした理由は知らないけど倒れている彼らは恐らく彼に血を吸われている。私の足元で倒れている、もはやミイラのようになった死骸がその証だ。血も残らない。もはや人間だったかどうかすら判別つかないその死に様はどうしようもなく怖い。ああ、私も食べられてしまうのか。
 くつり、ボスが喉を鳴らして笑う。

「腹は満たされたが、――悪くねえ」

 それは餌としての評価なのだろう。分からないけど私が彼らと同じルートを辿るか否か、それはボスの機嫌次第だ。ボスの動作の何もかもが私をドキドキとさせる。不思議と恐怖は消え去り、代わりにやってきたのは奇妙な高揚感。誰かに助けを求める猶予はあったはずなのにそうしなかったのは私の意志。

 感じられるのは爛々と闇夜に輝くボスの赤い目、熱い吐息。

 開けた口から牙が二本見えたけどもう怖くはない。なんだろう、ボスがもし私を求めてくれてるなら別にいいかなって。そう思ってしまった私はもう正気じゃなかったのかもしれない。

「私は…あなたに、全てを捧げていますから」

 逃げることも抵抗することもすっかりやめて、私はただボスの前で目をつぶったのだった。

 ―――ガブリ。
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