「ねえ、了平は何を考えているの?」
「な、何も考えておらんぞー!今日もボクシングのことだけだ!」

 昔から笹川了平という男は嘘をつくのが苦手だった。苦手というよりは慣れていないというところだろうか。だからこそ下手。だからこそ突飛もない嘘をついてしまうんだけど、驚くことにそんな嘘の内容を誰もが信じると思っている辺り本当にどうしようもない。


「…ふうん?」

 最近ボクシング部どころか学校に行っていないことを長年の腐れ縁であり幼馴染である私が知らないはずがないでしょう。いつも一緒に登校しているくせにそんな事まで忘れてる訳?バカでしょ、ほんと。
 私をボクシング部のマネージャーだとか何だとかでいつもの調子で押し付けたのは紛れもなく本人のくせに、こういったときに連絡ひとつ寄越すことはなかった。きっとそんな事すら忘れていたに違いない。笹川了平ってそんな人間。だけど結局私は出席していないことを知りながらバカみたいに誰もいないボクシング部の部室で過ごしていた。本当にバカ。何回も言うけどこの人はバカなのだ。


「で、本当は何なの?何があるの?」
「だから何もないのだ。もうすぐ試合があってだな」

 でも、いつからだっただろう。了平がそもそも嘘なんてつき始めたのは。
 妹の京子ちゃんに心配をかけさせるまいとそういった事が起きそうになった時は随分と無茶な嘘をついたり色々と無理しているところがあるのは私だって知っている。妹も了平とはまた違った意味でぼんやりしてる子だから彼女もそんな嘘を本気にしていたところはあるんだけど。ほんとこの兄弟、色々と心配だわ。

 だけど今回は別。
 いつも京子ちゃんにだけつく嘘を、私にまでなんてそんな事今までなかったのに。大事な兄弟には言えなくても気兼ねなく何でも教えてくれていたのに。こういう時はどうしたらいい、とあらかじめ相談してくれて京子ちゃんが私に頼ってくれた時に話をあわせるようなそんな役回りだったのに私にまでとうとう黙るようになってしまった。
 それがひどく悲しいなと、寂しいなと思ったのは今日が初めてだった。

 試合があるならあんたが押し付けたマネージャーがその予定を把握していない訳がないでしょう?そんな事まで頭が回らないのか。


「…そっか」

 だけど頑固なのは知っている。この人ったらこうだと決めたらてこでも動かない。分かっている。分かっているけど、…やっぱり、突然置いていかれたと感じてしまうのは仕方のないことだろう。

 男の子だもの、仕方がないというのは分かっている。
 いつまでも私と肩を並べて歩いてくれていた了平は知らない間に先に行ってしまうのだ。そうすれば血の繋がりのある京子ちゃんはともかくただの幼馴染である私に居場所はない。何も、ない。付き合っている訳でも何でもないし、ただのご近所さん。小さな頃からちょっと知り合いだった程度の、…それだけだ。
 こうなってしまえば意地でも話すことはないだろう。京子ちゃんの時のように訳のわからない理由を言われないよりはマシなのかもしれない。その辺りの言葉では私を誤魔化せないと思っているのかもしれないけど。

 「ナマエ」気が付けば先を歩んでいたはずの了平が戻ってきて私の真ん前に立っている。相変わらず距離の近い男だ。パーソナルスペースなるものがないのかもしれない。それがいいところというか、何とも鈍感すぎるというか。
 いつも了平は私の前を数歩、いやずっとずっと前を歩く。駆け走る。ついてこいと振り向くことなく走り続け、見えなくなってからやっと後ろを着いて来れていないことに気付く。そんな人なのだ。猪突猛進、真っ直ぐな、…真っ直ぐすぎるのが了平。私が好きな了平だ。


「…すまん、やはりお前にも言えん」
「うん、」

 何かあることは認めているらしい。
 けどこうやって対面でそう言われるともう私はこれ以上何も言うことはできない。…ずるいね、本当に。
 私は了平と違って強くはない。言いたくないのなら私はここで引き下がらなければならない。問い詰める事も許してはもらえない。嫌われたくないから私の干渉できるギリギリだと分かるここで、止まるしかない。

 なら仕方ないね。諦めるように笑ったらまた「すまん」と返ってくるから。いつまで経っても都合のいい幼馴染で居て、あげるけどさあ。


「連れていってもくれないのね」
「すまん」
「試合、大変なの?」
「だがオレは勝つ!」
「じゃあ連れてってよ」
「…すまん」

 試合って本当は喧嘩とかそういうのじゃないよね?と不安にもなる。彼は前科持ちだ。いつぞやの試合の時はまさかの代打で雲雀くんが出てくれたんだけど(あれは流石の私でもボクシングと認める訳にはいかない。一方的なボコ殴りに近かった)今回の試合の見学は決して許してくれることはなかった。
 なんでもかんでもまーたオレは勝つの一点張り。何よ、いっつもそうやって勝つからって。了平なんて負けてしまえばいいんだと思っても口に出来ないのがこれまた厄介なことなわけで。


「ナマエはオレが負けたら泣くからな」
「なにそれ」
「お前に泣かれたらオレは極限困る!」
「…なに、それ」

 相変わらず会話が成り立っているのか成り立っていないのかわからないけど。だけど…どうしてだろう、喋っている内容は嘘じゃないって分かってしまうのは。

 あーあ、これもまた惚れた弱みってやつ?


「頑張ってね」

 このボクシングバカにあてられているのは十分に分かっている。だけど、私もきっとバカなのだ。
 ちょっと腹立たしいけどこれは惚れた方が負け。
 試合前の私達の合図、拳をしっかり握って彼の前に突き出してみせるといつもより少し元気のなさそうだった了平も普段通りの笑みを浮かべ彼も拳を握りゴツン、とぶつけ合ったのだった。


「ああ!」

 かけ走っていく了平の背中を、私は見送るだけ。でもさっきよりも少しは落ち着いていられているのはきっと了平のことを信じているからだ。
 勝利報告、私は大人しく待ってるからさ。負けたら、許さないんだから。
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