小さい頃から一緒に過ごしてきた、色々な意味でか弱い男の子。私が守ってあげないとすぐにいじめられるし、当たり前にできるはずのことがなぜか当たり前にできない。そんな彼、沢田綱吉は、私の幼なじみでありクラスメイトである。彼はすぐに自分を卑下するようなことを言うし、とにかく自分に自信がないらしかった。ダメツナと呼ばれている彼の長所なんて、私には簡単に思いつくけれど、それをいくら並べたてたところで彼がそれに納得することはない。そんなめんどくさい性格の彼だが、ここまで長い付き合いになると大切な存在となってくる。馬鹿でまぬけで驚くほど不器用なやつだけれど、優しいし人に気遣いのできる人間だ。別にそれが誰に知られなくたって、私が知っていればそれで良いなと思っていた。幼なじみの特権とまでは言わないけれど、少なくとも彼にとって私という存在は特別なものであるはずだった。
そんな彼がいつの間にか幼なじみ離れしていたなんて、信じられなかったし信じたくなかったなとも思う。彼の交友の輪はいつの間にか広がっていき、私の手元にいた彼は、気づいた時には遥か遠くへと行ってしまっていた。一人だけ置いていかれてしまったような気がして、少し寂しかった。でも、自分の子供が成長していくような感覚でもあったから、少し嬉しくもあった。

屋上へと続く階段を上る。最後の階段を上りきって、少しだけ錆びて音のなる扉を開けば、気持ちのいい風が体をすり抜けた。秋の匂いが鼻を通って、整えていた前髪が宙に浮く。少しだけ視線をずらせば、すぐに私の幼なじみと目が合った。私がにへらと笑ったら、相手も笑い返してくれた。

「やっほー、ツナ」

手を軽く振ったら、振り返してくれる。そのまま当たり前のようにツナの隣りに行く。フェンスの向こう側で部活をしている人たちを眺めながら、二人で肩を並べた。

「屋上なんかにどうしたの?」
「んー…ツナはなんで私がここにきたんだと思う?」
「え、わかんない」
「ちょっとは考えなよ!」
「うーん、風に当たりたかったから…?」
「残念、不正解!」
「えー」
「…なんとなく、ツナがここにいるんじゃないかと思ってさ」

会いに来ちゃった、なんて少しおちゃらけて言ってみる。でも、いつもなら笑ってつっこんでくれる彼は、微妙な笑みを見せるだけだった。そのたった少しの反応の違いだけで、なんとなく今の彼の心情を察した私は、幼なじみとしてかなり優秀だと思う。

「なんかまたやるんだね」
「え?」
「前に黒曜に行った時も、そんな感じの顔してたよ」

彼は私になにか隠し事をしているらしかった。もちろん彼の嘘なんてたかが知れているが、言いたくないのならばそれでも良いと思っていた。しかし、最近よく怪我をしている姿を見るようになり、心配はしていたのだ。きっと私がいくら問いただしたところで、彼が全てを私に話してくれることはないのだろうけれど、あまり危ないことはしてほしくなかった。
少しの沈黙のあと、ツナは口を開いた。

「俺がやらなきゃいけないことなんだ。俺にしか、できないことなんだ」

彼の強い意志が見える言葉だった。そんな彼を見るのは初めてだった。でも、その意志の中に、少しだけ不安も入り混じっているような気がした。彼が何を思い、何に責任を感じ、何を成し遂げたいと思っているのかなんて、私には分かりようもない。でも、彼の人生の中でおそらく今が大きな分かれ目なのだろうということは、なんとなく伝わってきた。

「ツナなら、何だってできるよ」

こちらを見る瞳が少しだけ見開かれたことに、気づかないフリをした。

「自分が気づいてないだけで、ツナは何だってできる人だよ。今まではやろうとしてこなかっただけで、やろうと思えばなんだってできるんだよ」

私はツナを過小評価したことなんてないし、過大評価したことだってない。いつもありのままのツナを、ありのままに見ているつもりだ。その評価がこれなのだから、彼にはもっと自分を信じてほしい。自分の可能性から、目を背けないでほしい。
本音を言うのならば、本当は、寂しい。今まで守られることでしか生きてこられなかったツナが、一人で前に進もうとしていることが。いつの間にそんなに強い意志を持てる人になったの。いつの間に私の庇護を必要としなくなったの。私から離れていかないでって言うことができればそんなに簡単なことはないのかもしれないけれど、でも、ツナの足を引っ張ることだけはしたくない。寂しいけれど、置いていかれるのは嫌だけれど、それと同じくらいツナには羽ばたいていってほしかった。後ろなんて振り返らなくていいから、前に進み続けてほしかった。
だから。

「頑張れ、ツナ。あんたならきっとできる。頑張れ!」

私はツナを、笑顔で見送ることの出来る人でいたい。だから、笑った。精一杯の笑顔で、彼の背中を押した。それが私に出来る唯一のことで、私にしかできない唯一のことだった。
彼は少しだけ笑って、私にお礼を言う。そして、吹っ切れたような表情を私に見せた。

「行ってくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」

彼はそっと屋上を後にした。彼の姿を見送ったあと、私はずるずるとその場に座り込んだ。
きっと今日が、私と彼の生きる道が分かれてしまった日になるのだろう。なんの確証もないけれど、なぜかほぼ確信に近い考えだった。これから先彼が歩んでいく道に、きっと私の姿なんて存在しない。私の道にも、きっと彼の存在はない。それが悲しくもあったし、嬉しくもあった。
ぼーっと宙を見つめる。ツナの顔が頭に浮かんでは消えていく。なんだか少しだけ、笑みがこぼれた。

「…頑張れ、ツナ」

これがきっと私の最後の、精一杯の彼へのエール。この思いがどうか彼に届いて、少しでも彼の力になってくれればいい。そう思いながら、私はそっと目を閉じた。
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