私にはお友達がいた。

たぶん友達だと思っていたのは私だけで、彼女は私のことなんてなんとも思ってないだろうし、もしかしたら名前も知らないかもしれない。

同じクラスの凪ちゃん。

一目見た時に可愛いと思って友達になりたいと思って、そして声をかけた。
くりくりおめめに小さい顔、つついたらプニプニしてそうなほっぺたは突かせてとお願いしたけど「やだ」と言われて叶わなかった。


いつか絶対そのぷにぷにほっぺをツンツンさせてもらうんだと心に決めながら、毎日飽きもせずに凪ちゃんに声をかけていた。

鬱陶しいと思われていたのかもしれない。


たまに一緒にお昼ご飯を食べようと誘って裏庭の木陰で食べたり、移動教室の時にひとりで歩く凪ちゃんを見つけたら駆け寄って隣を歩かせてもらった。

いつしかふたりでいるのが当たり前になるかと思ったりしたこともあったけど、凪ちゃんは、例えるならそう猫みたいで、いつの間にか教室からいなくなってたり、かと思えば自分の席に座ってたり、何を考えてるのか私にはわからなかった。


他のみんなは凪ちゃんに話しかけにいく私にやめなよ、ひとりにしてあげなよって言うんだよ。
でも凪ちゃんに話しかけて断られたことはない。ひとりにしてって言われたこともない。

口数は少ない子だけど、嫌なことは小さい声でもちゃんと嫌だと言える子だと思ってる。

いつ、凪ちゃんがひとりになりたいと言ったんだろうか。
周りがそう決めつけただけで、本人はそんなこと一言も言ってない。


「昨日、事故がありましたーー」


担任の先生の話は、よく聞き取れなかった。

事故の怪我がひどく面会謝絶であること。
一命をとりとめても学校に通える状態には回復しないだろうということ。
凪ちゃんは、ご家族のご意向でこのまま学校を辞めてしまうということ。

教えても面会はさせてもらえないからと、担任は病院の名前を一切伝えなかった。
この辺りの病院だったらだいたい見当はつくけれど、もしかしたらもっと設備のいい病院かもしれない。


行って、何をしたいんだろう。

私は怖くて病院には足が向かなかった。







「凪ちゃんって猫みたい!」

「…似てる?」

「ふらふらーってどっか行っちゃうところとかね!」


何を考えているのかよくわからないと気持ち悪がられることはあったの。
なんにも考えていないことが多いけど、なんにも考えられないわけじゃないし意志が、感情が、ないわけでもないの。

あの子に猫みたいだって言われた時は、そうかなぁ?って思ったし、自分の顔を思い浮かべてみて猫顔かどうかも考えてみた。
だけどあの子が言ったのは顔のことじゃないみたいで、そうだとしたら私は猫は飼ったことがないからどんな感じなのかはわからないなぁ。


ひとりは嫌いじゃない。


今日は暖かいから外でお弁当を食べよう、のんびり歩こう、早く次の移動教室に行っちゃおう。
いつも、その時に思ったことをそのまま行動しているから、ひとりの方が楽だった。


「凪ちゃん!見て!今日のウインナーたこさん!」

「ほんとだ」

「一個おすそ分けしてあげるね!」


足が元気よく外に跳ねたウインナーをお弁当の中に入れてくれる。

ひとりは楽だったけど、誰かと食べるお弁当は美味しいのも知ってる。


あの日、黒い猫が歩いていた。

私のことを猫みたいだと言ってくれたあの子は、猫を飼おうとするわけではなくて、好きにさせてくれて、たまに構ってくれる、そんな人だった。


助けた猫がどうなったのかは知らない。


うまく助けてあげられてないかもしれない。
だけど猫みたいな私は、たまに構ってもらって嬉しかったから、助けた猫も喜んでくれたらいいなぁって思う。


凪はもういない。


私はもう凪じゃなくて、クローム・髑髏。

骸様に命をもらって、骸様に生かしてもらってる。骸様のために生きる。
骸様に代わってボスっていう人を守るお仕事をもらった。


今まで着ていた制服じゃなくて、黒曜中の制服ももらって、黒曜ヘルシーランドというところで暮らしてる。
犬と千種っていう一緒に暮らす人もいる。


「今日はお前だびょん!無様な戦いしてっと承知しねーかんな!」

「うん」


〜リング戦 5日目〜


「凪ちゃんのおうち…でか!」


事故があったのだと知らされてからどれくらい経っただろう。
相変わらず病院に行く勇気はなくて、先生もあれから何も教えてはくれなくて。
学校を辞めてしまった凪ちゃんの名前は名簿からも消え、出欠席の確認時もその名前が読み上げられることはなかった。

机も撤去されてしまって、凪ちゃんがこのクラスの一員として過ごした半年足らずの痕跡は一瞬で消えてしまった。
沈んだクラスも次の日にはいつもと変わらない日常を取り戻して、まるで、最初から凪ちゃんという女の子はいなかったかのようだった。

私は確かに一緒にお弁当を食べたことがあるはずなのに、理科室までの道のりを一緒に歩いたことだってあるのに。
それなのに、まるで全て幻想だったかのように凪ちゃんのいないこの教室は何の違和感もなかった。


ピンポーン


鳴らしたチャイムに反応する人はいないみたい。
ポストにたまった新聞紙で、そうなんじゃないのかなって予想はしてたけど。
オレンジに染まる夕方。明かり一つついていない大きすぎる凪ちゃんのおうちは、とっても立派なのに何だか寂しく感じた。

家にきたら何かわかるかもしれないと思って来てみたけど、どうやら凪ちゃんと凪ちゃんのご家族はもうこの町にはいないみたい。


帰ろう、そう思って大きな門の前から一歩踏み出した時だった。
チリンチリンと、鈴の音が聞こえて目の前を黒猫が通り過ぎる。赤い首輪をした黒い猫。


「……凪、ちゃん」


同じように黒猫を見送っていた女の子。

深緑色の制服に身を包んだ女の子。

片目を髑髏の描かれた眼帯で隠している。


凪ちゃんである要素はその大きな瞳くらいだったけど、それもひとつ隠れていて、だけどやっぱり見れば見るほど凪ちゃんだった。


だけど、何だろう。


私の知っている凪ちゃんとは何かが違うような気がする。見た目じゃないよ。着ている制服が違うとか長かった髪が短くなっていてしかもなんかトップがだいぶ遊んでいるような気もするけど、そういう見た目の変化じゃなくてね。


「凪ちゃん、だよね?」

「………」


元々口数の多い子じゃなかったけど、質問には何かしらのリアクションをくれる子だった。無視したりする子じゃない。
今も、何だろう。
無視されているのとは違う、何だか困ったような顔をさせてしまっている気がする。

会いに来ないほうがよかったかな。

そうだよね、何の連絡もなしに。そもそも連絡先も知らないし、そう思うと友達と呼んでもいいのか不安になる。

そんな友達かどうかも危ういクラスメイトが家の前にいたらびっくりしてしまうかもしれない。


「驚かせちゃったよね!ごめんね!元気、ならいいんだ。会えてよかった」

「………」


会えると思って来たわけじゃなかったから。相当危ないんだって聞いていたし、もしかしたら助からないんじゃないかって思ったこともあったから。
こうやって生きててくれて、よかったなって思う。目は怪我しちゃってるみたいだけど、他には目立った怪我も見当たらないし。


「あ、私もう行くね!最後に会えてよかったよ。元気でね!」


なんだか泣きそうになったので矢継ぎ早にそう告げて、凪ちゃんに背を向ける。

凪ちゃんが生きていて安心したのかな。

それもある。

最後にと言葉にしたからなのかな。

それもある。

だけど一番は目の前の凪ちゃんが凪ちゃんじゃないみたいで悲しかった。

凪ちゃんと過ごした日々は、確かにあったのに、全部なかったことになっちゃいそう。


「ナマエちゃん」

「っ、凪ちゃん!」


振り返った先の、私の名前を小さく呼んだ彼女は、「凪」と呼ぶ私の言葉に首を振る。
悲しそうなんかじゃない。
どちらかというと少し晴れ晴れしたような顔をしているなと思った。


「凪は、もういない。私はクローム」

「クロー、ム??」


カタカナっぽい響きの名前。
聞き返した私の声を聞いて今度は嬉しそうにうなづいてくれた。

あぁ、そっか。

凪ちゃんは、もういないのか。


「クロームちゃん」

「うん」

「それが貴女の名前なんだね」

「うん」


クロームという名前に何か大事な意味が込められているのかもしれない。
呼ばれるたびに嬉しそうに、その名前を大事そうに聞き入れる彼女は今まで見てきたどの彼女よりも彼女らしいと思えたから。


「ナマエちゃん、凪にお別れを言いにきてくれてありがとう」

「………ッ、」


ポタリ、ポタリと落ちる涙を拭えもしない。なんで涙が流れてるのかもよくわかんないから。

凪ちゃんにお別れを言いにきたのは、私じゃなくて貴女の方じゃないのかな。
そんな風に言えたら楽かもしれないけど、今口を開けば言葉の代わりに嗚咽が漏れる。


凪ちゃんは、いいえクロームちゃんは、明かりもつかない自分の家を一度だけ見つめて私に向き直った。


「今日は、私の日なの」


なんのことだか、さっぱりわからなかった。

だけどその私っていうのが、凪ではなくクロームであるということはよくわかる。そしてそんな自分自身がすごく誇らしいんだってこともよく伝わる。

今日は、凪を捨ててクロームになる日なのかもしれないね。
クロームになって何をするのかは知らないけど。
凪ではできなくて、クロームだったらできる何かのために。


「もう行くね。怒られちゃう」


貴女を怒ってくれる人がそばにいるんだね。
自由気ままにのんびりと過ごしていた凪ちゃんが、何かのために行動するなんてね。


「クロームちゃん」


後ろを向いて歩き出そうとする彼女の背中に声をかける。


「さようなら」


ふわぁーっと風が吹いて、思わず瞑った目を開けた時にはもうクロームちゃんの姿はなかった。

元気でね

その言葉は言わないでおくよ。

凪だったあの子はもういない。

もう凪ちゃんにもクロームちゃんにも会うことはないと思う。
それでいいんだって思えた。


「否、我が名はクローム。
クローム髑髏」


霧の守護者の対決 開幕!!
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