私の生活にはとてつもない量の刺激が隠れており、毎日がかなりスリリングだ。その理由にはやはり、雲雀恭弥という弟の存在が関わってくる。私個人としては、平凡すぎる毎日よりも多少非凡な毎日であったほうが楽しいので、そこを問題視しているわけではない。問題はもっと別のところにある。

恭弥は最近、よく怪我をして帰ってくる。あの好戦的な性格故に、まだ小さかった頃は怪我をすることもよくあったのだけれど、今回は明らかに今までのそれとは違った。以前並盛中の生徒が襲われただとかなんとかの時にこさえてきた大怪我ほどではないものの、身体中に何かで殴られたかのような跡をつけて帰ってくるのがほぼ毎日。今までは一度もなかったことだから、私は何かあったのかと訊いたのだけれど、返ってきた言葉は「別に」というなんとも淡白な言葉だった。弟を心配する姉の気持ちにもなってほしい。

そしてとうとう三日ほど、恭弥は姿を消してしまっている。



私の弟はどこまでも秘密主義である。というより、私に何かを語ってくれることがない。本当に小さかったときからそれは変わらなかった。まだ恭弥が小学生だった頃に、いつのまにやら並盛中の頂点に君臨していたのには、開いた口が塞がらなかった。ちなみに私はそのとき並盛中生だったから、笑い事ではない。もちろん、今でもその秘密主義であることに変わりはない。

でも今回ばかりは心配だ。姉の贔屓目無しにしても恭弥はかなり強い。だからこそあんなに怪我をして帰ってくるなんて、恭弥の身に何か危険なことがおこっているということなのではないだろうか。それを見逃しておくなんて、いくら放任主義な雲雀家でも、私が姉である限りは無理だった。

とりあえず恭弥にメールをしてみることにした。「恭弥、話があるので、一度帰ってきなさい」といった内容のメールを送ってしばらく待つと、意外にもすぐに返事が来た。「今から帰る」という六文字のみのメールは、彼らしいといえば彼らしい。約束は守る子なので、おとなしく待つこと一時間半。玄関の扉が開かれる音が聞こえてきた。そして入って来た人はそのまま、私のいる茶の間へと足を進める。すぐ目の前にある扉が開かれたとき現れた人は、もちろん私の弟、雲雀恭弥だ。



「おかえり」

「ただいま」

「とりあえず座んな」

「うん」



いつもの飄々とした態度で私の向かいに座る恭弥の顔には、真新しい絆創膏が貼られていた。顔だけではない。腕にも絆創膏や、青あざがちらほらと見受けられ、きっと服で隠れたところにも多くの傷跡があるのだろう。

私は恭弥の目をみて、口を開く。



「最近怪我が多いけど、どこで何をしてるの」

「別に」

「答えるつもりがないなら、家の柱に縛り付けて外に出れないようにするよ」

「…ちょっと戦ってるだけだよ」



多分嘘だ。恭弥がそこらへんのやつらとちょっと戦ったくらいで、こんなに大量の怪我をするわけがないからだ。私は一つため息を落とすけれど、恭弥は何食わぬ顔で佇んでいる。

私がここまで恭弥を心配するのは、私が姉であるというのが一番の理由なのだけれど、他にも理由はあったりする。昔から安全ラインを守る私と違い、彼は無茶をしまくるタイプだった。小学校低学年の時から大人にも刃向かい、時には自分よりもはるかに大きい相手をぼこぼこにして来た。しかし、彼だって人間だから、負けることだって当たり前にあるのだ。あの雲雀恭弥が誰かに負けるなんて、と思っている人はきっと多いだろうけれど、恭弥の場合は負けないのではなく負けても諦めないだけ。引くほど負けず嫌いだからこそ、何度負けても最後には必ず相手を負かしてきた。それが、彼が最強になるに至った所以である。だからこそ、彼がもしも到底敵わないほど強い相手と戦って負けて、また挑むということを繰り返しているのだとしたら、本当にいつか体がいかれてしまう。そうなることだけは避けなければならない。何かあってからじゃ遅いのだ。



「戦ってるって誰と?どこで?」

「跳ね馬と、いろんな場所で」

「跳ね馬?」

「うん」

「どんな人?」

「師匠ヅラしてくる人。でもそこらへんのやつより強いし、咬み殺しがいがあるよ」

「師匠…?」

「別に、勝手に相手が思ってるだけ」



予想外の返答に少しだけ驚く。あの恭弥に師匠ヅラをしてくる人がいるとは、驚愕の事実だ。しかし、なんのための師匠なのだろうか。色々とクエスチョンマークが頭に浮かぶが、どこから訊けばいいのかがいまいちわからない。混乱した頭を整理しようと努力をしていると、珍しく恭弥の方から口を開いた。



「今夜、大事な戦いがあるんだ」



まるで小学生が母親に、参観日の日程を知らせる時のようだと一瞬頭の片隅で思った。もちろん恭弥にそんな気はないだろうし、別に私に見に来てほしいわけではないだろうけど。

私は疑問ばかりの脳内に、さらに増えた情報をなんとかしまいこむ。そして、一つ新たに浮かんだ疑問を恭弥に投げかける。



「えーっと、なんでそれを私に言おうと思ったの?」

「言うべきだって言われたから」



恭弥の言葉はいつも足りない。いらない情報を省きに省いて、本人にしかわからないくらい端的にしか言葉を発しない。でも、そんな彼の姉をもう15年ほどしている私には、だいたい言いたいことがわかった。おそらく、心配をしているだろう姉に今夜の戦いのことを言うべきだと、その跳ね馬という人に言われたのだろう。秘密主義でなかなか自分の話をしない恭弥が、その言葉に従い私に報告をするなんて、どうやら恭弥は相当その跳ね馬という人を慕っているらしい。本人は自覚がないようだが、私にはそう見えた。



「その戦いのために、特訓をしてたっていうこと?」

「うん」



するすると色々な疑問が解けていく。なるほど、恭弥は今夜のその戦いのために、たくさん戦って自分を鍛え、多くの傷を作っていたのか。合点がいくとスッキリした。でもその一方で、心配であることに変わりはなく。



「今日の相手は、強いの?」



そう聞くと、恭弥は少しだけ嬉しそうに笑った。



「強いといいな」



その言葉を聞いて、私も笑ってしまった。答えが答えになっていないけれど、それでも恭弥の意思は伝わってきた。そして、私に恭弥を止めることなんてはなからできなかったのだと、そう思った。

私がいくら心配して、恭弥のことを思っていても、恭弥はそれに応えて大人しくしてくれるような子ではなかった。子供の頃から私の知らないところで強くなり、私の知らないところで何かを成し遂げている子だった。それが今回は、私が質問することにちゃんと答えてくれて、やろうとしていることを私に教えてくれている。それだけで大きな成長だった。そんな私の弟に私がしてあげられることなんて、最初から一つしかない。

いつのまにか大人の顔つきへと成長しようとしている恭弥を、まっすぐに見つめる。視線を交わらせ、私は静かに微笑んだ。



「勝ってきな。あんたの好きなハンバーグ作って待ってるから、好きなように暴れて、勝って、それから帰って来て私に話聞かせてよ」



恭弥は特に頷いたり、何か言ったりすることはなかったけど、多分私の言ったことはわかってくれたと思う。

恭弥は静かに立ち上がり、私に背を向ける。きっとこれから、その戦いとやらに向かうのだろう。



「恭弥」



振り向いた恭弥に、精一杯笑って見せた。



「行ってらっしゃい」

「うん」



怪我をしてもいい、なんなら別に負けたっていいから、無事に帰って来て。そしたら私は、今度こそ目一杯の笑顔で迎えてあげるから。

恭弥の姿が見えなくなり、玄関から出て行った後も、私はしばらくそこから動けなかった。ただひたすら、恭弥の無事を祈っていた。
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