S・スクアーロの記憶が元に戻った。
 よくわからなかったけど突然私の元にそういう情報が舞い込んできた時には正直もう手の施しようがなかった。私はこれまた事務員としての仕事に追われていたし、その情報は隣のデスクに座る雨属性の事務員からのもので、彼女は彼女で顔をたいそう赤らめ事務室に入り大声で伝えたかと思うとそのまま泣いてしまったからだ。…ふうん、へえ、そう。その時抱いた感想はその程度で、だけどどうしてだか何だかヒヤリと体温が下がったように感じたのも確か。そしてその次の瞬間、私の名前を大音量で呼ぶ声が聞こえてきて、思わず俊敏に立ち上がり、戸惑った事務員達の視線なんて気にすることもなく隠し通路のひとつである私のデスク下の床の空間へ身を投じ、屋敷の外へ移動した。事務室から「なんでこんなところに!?」なんて悲鳴もあがってるけどそれどころじゃない、私は逃げなくてはならないのだ。
 すさまじい速度で誰かが事務室へ向かっていくのが気配でわかる。セーフセーフ、どうやら間に合ったようだ。無事に屋敷の外へ抜け出し、うんと背伸びする。本日はここらの通常気候のようで雲ひとつない快晴。洗濯日和だ。やわらかな空気を大きく吸い込んで、
 ああ、ようやく終わったのだ、と。それだけは分かって、ほっとした。


I have youの


 何の前兆もなく記憶を失ったS・スクアーロはこれまたあっさりと記憶を取り戻したらしい。そこからは怒涛の日々だった。何しろ忘れていた期間のことを、今度は時の経過で忘却してしまわないうちに色んなアレコレを処理していかなくちゃならないのだから。例えばしばらくの間連絡をとっていなかった情報屋との再コンタクト、S・スクアーロ個人で受けていた依頼の遂行、そして一番時間が掛かったのは最後に本部から受けていたという任務で入手していたデータチップの解析。どうやらパスワードを打ち込まなくちゃその中のデータが見れないみたいだったけど、それがまさかの彼が覚えていたのだ。そこには膨大な資料が眠っていて、ボンゴレが許さないとされる人体実験を行うにあたって関与した人物のデータまでがこと細かく記されていたと言う。私は関わらなかったけれどそれを元に元気になったS・スクアーロと、隊長の記憶が戻ったことにより士気の上がった剣士たちが殲滅に向かったのが翌日のことだった。

「本当に、悪かった!」

 私は、と言うと本人と直接会うこともなく、膨大な事務処理に腱鞘炎になるところだった。なんとなく追われている気はしたので隠し通路を惜しげもなく使いまくり逃げてきたけれどそれも今日まで。頭に包帯を巻いたS・スクアーロに見つかり、それどころか大和にも呼びつけられ今は彼の部屋のソファに座らされている。夜の、しかも電気もつけない状態でしかこの人の部屋に入ったことがないのでとても新鮮な気分だった。まあ…ここに来る時はだいたい良い思い出はないんだけど。
 開口するなりS・スクアーロは大きく頭を下げた。どうやら忘れていた時のこともこの人の記憶にあるらしい。……厄介なことだ。申し訳なさそうに来るものだから私も扱いが難しい。悪びれずにヘラヘラしているようならこちらも怒れるのに、それはさせてくれないらしい。何度も「いいですよ」「お気になさらず」「忘れたものは仕方ないので」となだめ、ようやく彼も気が済んだのか向かいのソファに座った。あ、まだ帰っていいわけじゃないらしい。

「……つかぬ事を聞くけどよぉ、真尋が最終的にあの建物を爆破させたんだってなぁ?」
「…ええ、そうですけど」
「…………アレ、を見たか?」

 質問は一番回避したい話題だった。特に、こうやって二人きりでいるときには。即答を避け、出された珈琲に口をつける。
 熱く、苦いそれになんだか安堵し、「さて、なんのことでしょうね」と返しながらもS・スクアーロの指している物事らしきものを思い浮かべる。あれ、とはきっと私が思っているもので間違いないだろう、と思いつつ。





 任務でやってきた洋館の最奥。そこはもうある意味お約束というか、ボンゴレが最も厭うであろう人体実験を行っていそうなマフィアのラスボスが君臨していた気配があった。実際、私の足元で死んでいた男がそれなのだろう。薬剤でも飲んで死んだのか部屋をじめじめと覆うような独特の匂いに眉を寄せ、その死体をまたぎ、再度部屋を見渡した。
 何かしらのデータが残っているかもしれないパソコンと、その近くに乱雑に積んである分厚い本。すべてが人体に関するもので、まさにここで色々画策していたのだと知る。ボンゴレに気付かれこうやって跡形もなく破壊されていなければ被害はもっともっと及んだことだろうとここに至るまでに沢山ホルマリン漬けにされた臓器の類を思い出しながら、他に何か落ちていないか探しているとようやくソレに気付く。
 本棚に刺さる、一本の剣。それはここ1年ほどS・スクアーロがずっと帯剣し続けたものだった。

『……やっぱり、ここまで来ていたんだ』

 少しだけ考え、その剣を抜きとった。何も意味なくそんなところに差してぶっ倒れたわけじゃないだろう。S・スクアーロは任務中に倒れ、記憶を失った。その最後がこの部屋であるのならば、原因もここにあるに違いない。
 床を見る限りこの棚はどうやら移動させられそうだった。既に黒く固まった、誰かの血が棚の下からはみ出ていることに気付かなければ触らなかったことだろう。
 これは横に移動するタイプか。
 そう判断し、両手で押し込んでみると思ったよりもそれは軽く、簡単に動きだす。そしてその奥にはさらに小部屋があった。……いや、部屋と言うよりは、人間が一人入れるだけの小さな縦長のカプセルのような容器、と言うべきか。人間一人を丸々ホルマリン漬けにでもするつもりだったのだろうかと思えるような悪趣味な装置はさらに嫌気がさす。幸いにもそこに人はいない。実験者も、被検体も。
 ただ、―――そう、何故かその容器の上にはカメラが備わっていて、何となくそれに手を伸ばす。実験を受けた人間の観察記録でもつけるつもりだったのだろうか。ご丁寧にもマイク付きで、まるでそこで話した内容を一言でも聞き逃すことのないようにしているようにも見える。しかも、

『……まだ、回ってる』

 耳をすませば、カメラはまだ回っていた。つまり、もしかしなくともここで何が起きていたのかを見ることができるかもしれない。パソコンの中身を見ることは叶わなくても、幸いさっきの部屋にこの部屋を映している画面があったはず。録画機能がついているのなら巻き戻してみることもできるだろう。

 せめて、ヒントがあれば。
 もしそうでなくとも、彼が記憶を失うまでに何があったのかを知りたい。

 この時すでに私の目的が変わりつつあることに気付かざるを得なかった。組織のためじゃなく個人の意志を出したのも初めてのことだということにも。だけどここには私だけ。何をしようが何を最優先にしようが問題はないのだ。
 そう勝手に判断し、躊躇うことなく映像を巻き戻して、


 ―――私はソレを見た。






「いや、見ていなかったら良いんだ。かなり、…そう、だいぶ弱音を吐いちまってたからなあ」
「それは見たかったかもしれませんね」
「いや! やっぱり見なくてよかった! あんなモンは、」

 S・スクアーロは勝手に盛り上がっていく。
 私の態度から本当に見られていないのだと思い込んだようで、かなり肩の荷が降りたように見える。どうしても見られたくもないものだったらしい。ちょっとだけからかってみようかと考えたけど思ったよりも彼が動揺していたようにも見えたのでやめておいた。声だってなんだかいつもより大きいし、それでいてこころなしか顔が赤い。

「あれは、本来きっちり真っ向から言うべきモンだからなあ」
「……そう、ですか」

 そういえばこれで一応は一件落着、となったようだった。この人の記憶も戻ってきたし、もちろんお通夜状態だった精鋭部隊の士気も元通り。大和も負担が減ったようなのでしばらくはゆっくり休みをとることができるだろう。ボンゴレ本部からの依頼でこうなったとあって、XANXUSが悪い顔をして依頼料を上乗せ請求すると言っていたしもしかするとしばらくは私達に支給される食事が豪華になる可能性もある。…まあ、なんというか、ヴァリアーは一人欠けたって機能はするけど、要の人物が欠けると雰囲気もガラッと変わってしまうんだなと身をもって経験した事件だった。しばらくは自分よりも上の立場であるS・スクアーロに対し皆も過保護な態度になるかもしれないけれどこればかりは甘んじて受けて欲しいと思う。
 ここからはまた日常に戻るだけだ。私は事務員をしたり、そうじゃない仕事をする。この人はこれからも同様、作戦隊長としてたくさんの依頼をこなしていくのだろう。精鋭部隊を育成し、剣士たちから羨望の眼差しを浴びながら。

「つー訳で、だ」

 ガシガシと包帯まみれの頭をかきながらS・スクアーロは珈琲を一気に飲み干す。その表情はさっきまでと違い何か吹っ切れた様子だった。ブンと頭を大きく振り、「っし!」と声を大きくあげた後、膝をぽんと叩いて立ち上がる。そしてこの話は終わりだ、と言わんばかりに銀色の髪が美しいその男は、今度は壁に立てかけてある剣を握り、私に向かって楽しげに笑いかけた。悪い顔をしている、とも言う。

「ンなところにいたら身体が訛っちまいそうだ。付き合え、真尋」

 そこに先程までの優柔不断な彼の姿は既になく、私は私で久々に何のしがらみもなく手合わせができるのだと理解し、言われるがままに立ち上がる。記憶を失ったあの人とは避け続けていたわけだけど、この人と手合わせをすること自体が嫌いなわけじゃないのだ。……むしろ、

「―――お望みのままに」

 私にとっても当然、好物の部類に入るわけで。思わず笑んだけど恐らくそれもこの人と同じく悪い顔をしているのだと思う。本来ならまだ安静にさせておくべきなので後からボンゴレ本部の医療班から怒られるかもしれないけど隊長命令だったのでごめんなさいと適当に謝っておこう。
 この後、復帰のS・スクアーロと私が因縁の対決、なんて剣士たちに勝敗を賭けられるような大事になることも知らずに。ルッスーリア隊長に『なんて色気がないの!』と悲鳴をあげられることも知らずに、私も臨戦態勢だ。久々に本気を出すべく、手持ちの剣を握り、さっさと窓を開けたS・スクアーロの背中を目で追った。人間らしく階段を下りることすら面倒くさいらしい。それぐらい手合わせを楽しみにしてくれているということは、まあ私も同じなんだけど。

 …これで、いいんだと思う。

 任務中に記憶喪失に陥ったS・スクアーロが元に戻った。しばらく休んでいたせいで滞っていた任務が一気に動き出し、組織は活気を取り戻した。給与もあがるかもしれない。今日も皆、元気に生きています。そんなハッピーエンドがいちばん、いい。……それに、



『俺は一度お前を忘れちまうらしい』

『……あーそうだな。起きた時の俺は…間違いなく、俺の知ってる俺ならクソみてーな奴だ。本当はお前に知られたくねえ。が、俺もお前も、ヴァリアーで生活している以上どうしようもねえから大目に見てやってくれ』

 映像はほんの僅かだった。それは任務のことや彼が死に体で持ち帰った端末の話なんかは一切なく、ヴァリアーの人間同士が利用する暗号なども使用されていない、ただのメッセージだった。誰が見るのか分かっていないはずなのにまるで誰がその建物の奥へ辿り着き、誰が彼の示す部屋に気付き、テープを見るのか知っているような口ぶりだった。
 画質は荒く、音質は非常に悪い。
 そんな画面を血まみれにさせながら、S・スクアーロはこちらを見て笑っていた。苦しい思いをしているだろうに、なんだかひどく、優しげな表情を浮かべ。灰色の目はもちろんこの映像を録画しているだろう機械を見ているはずなのにどうしてだか私自身が見られているような感覚に陥り、思わずあの部屋で立ち竦んでしまった。それなのに彼はまだ話そうとする。画面が彼の血でベッタリと張り付き、何も映らなくなっても、彼はまだ言葉を紡ぐ。

『――愛してんぜェ、真尋』



「真尋? どうした、体調でも悪ィのか」
「いえ、何もありません。…手加減はしませんので」
「そりゃ大歓迎だぜえ」

 それは紛れもない、とても熱く、赤く、血の滾るような、愛の告白だった。
 …あれは私だけが覚えていれば、それでいい。


end_



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