何がどうなってこうなっちまったか。
 そもそも俺は色々とブロークンハートなわけだ。別にフラれたでもないし嫌われてもいないだろうが確実に言えることはひとつ、好かれてもいない。
…駄目だ自分で言えば言うほどドツボにハマってしまっている気がしないでもないがつまるところ現状に変化なし。真尋と進展があったわけでもなければ何もない。
ヴァリアーの敷地内で出会えばあの時追いかけた記憶が思い出すのか一目散に逃げられるか今まで以上に気配を完璧に絶ち俺の前に現れることはない。あいつに会えずにどれだけ経っただろうか。
 そもそもそんなに会ってもいなかったしそんな頻繁に話していたわけでもない。だが意識をしてからというもの逢わなさ過ぎて俺が死にそうだった。口説くチャンスさえくれやしねえ。

「押して駄目なら引いてみろっていう言葉を知ってますか」

 とうとう雨部隊の副隊長である大和に呆れられるようにまでなっていたが俺は押して押して押すことしか知らねえしそれ以外の方法を試すつもりもなかった。どこまで押せばあいつは俺を見てくれるのか。いつになれば俺に微笑みかけてくれるのか。どれだけこの押し問答が続くのか。

「俺は別にスクアーロ隊長の恋路をどうこう言うつもりはありませんがもう少しこれまでのようにすればいいのにとは思いますよ」
「うるせえ」

 最早耐久戦に持ち込んだといってもいい。諦めるという選択肢をそもそも捨てている以上俺の負けは有り得ない訳だが勝つ見込みも殆どない。
 これまでの俺とはどういうものだったか、一番理解しているはずの俺が一番よくわからなくなっていた。あいつの顔を見れば今まで言えていた、それこそ歯の浮くような言葉がてんで出なくなっちまう。あいつの姿を想像すれば、無表情だ何だと言われていた俺の表情も締まりがなくなっちまう。イレギュラー中のイレギュラー、それが真尋だった。

 じゃあどうすればいい?

 そう考えた結果、俺は思った通りで居ようと決めた。話したいから話に行く、会いたいから会いに行く。それが真尋に嫌がられ怖がられ逃げられたとしても全力で追いかける。それしか方法はねえだろうが。
 俺のその態度に何を読み取ったのか仕方ないですね、とわざとらしい溜息の後に副隊長は俺に黒い髪ゴムと櫛を寄越す。一番俺に似合わないものをよく選んだな、お前。
これは一体どういう意味だ。誰のものだ。訳のわからないその行動の意味を理解するのはその数秒後だった。

「…げっ」

 明らかに俺の顔を見て嫌な顔一つ、その反対に俺は一瞬で浮かれた事を自覚する。
 同じく櫛とゴムを手にした真尋がこの雨部隊の奴らばかりいる談話室にやってくるなんて誰が思おうか。
 つーか今おもいっきり「げっ」て聞こえたがどういうことだ。そんなに俺と会うのが嫌だったのか。いやそれはそれでわかっていたがあからさますぎやしねえか。俺だって生きている人間でそれなりに精神力はあったとしても散々真尋にぶち壊されている訳である。もう少しオブラートに包むことはできねえのか。

「ルッスーリア隊長に髪を結ってほしいって言ったのってスクアーロ隊長ですか」
「んな訳「だから頼んだよ真尋」……はあ!?」

 お前らグルだったのか。グルになって俺のことを遊びたいのか。俺の事をどれだけ恨んでやがんだ!
 そう言いたかったものの折角真尋に会えたというこの喜びにそれ以上言えることもなく情けなくも俺は黙りこくる。男に髪を結って欲しがる野郎とか気持ち悪いじぇねえか後でお前ら纏めてたたっ斬ってやる。
任務や頼まれごとには弱いという真面目な性格は知っていた。俺がしなくていいと言えばこの会話は終わるだろう。真尋は喜々として踵を返し、帰るだろう。だが俺はそうしなかった。
 無言のまま真尋を見続けるとハアと先の副隊長と同じく大きくわざとらしい溜息をつき、静かに俺に告げる。

「大人しくしててくださいね」

 命が惜しければ。そう副声音が聞こえたような気がして俺は黙って頷いた。




 では失礼します。
 丸椅子を引っ張ってきて俺の隣に座り、早速とりかかる。俺は黙って目を閉じ、されるがままになっていた。…真尋が隣に座る日が来るだなんて誰が思ったか。
 副隊長にはすぐさま人払いを命じてあるしこの姿を誰かに見られる訳はないだろう。鏡もない今、髪をどう弄られているのかはわからないが確実に言えることはある。

 俺は間違いなく今、鼻の下が伸びている。

 好きな女に触れられるということは悪かねえ。
 それがこいつにとっては任務であると思っていようとも大事なのはその事実だけでいい。残念なことに俺から触ることは叶わないしそれをした瞬間髪を引きちぎられても文句は言えやしねえ。真尋の馬鹿力ならば毛根ごと持っていかれるのは目に見えてわかっている。人質ならぬ髪質だ。

「…綺麗な髪ですね」
「お前の髪も綺麗だぜぇ」
「そういうのはいりません」

 話しかけられて舞い上がる俺の姿なんざ誰にも見せられる訳がなかった。
 早く前を向けと言わんばかりに横を向いていた俺の頭を掴み前へと無理矢理向かせる。グギッと嫌な音が鳴ったが無事だろうか俺の首。
 違和感と共に前を向くと今度は怒られることもないように顔はそのままで真尋の方へちらりと視線を遣った。

 相変わらず華奢な体つきをしてやがる。これのどこにあんなフランベルジュのような大剣を軽々とぶん回す力があるのかと思うぐらいで、どちらかというと俺は少し肉付きの良いほうが好みではあったがそんなタイプだの何だの関係のないほどにこの女に惚れ込んでいるのは確かだった。
 もうこいつをネタに何度抜いてきたことか。どれほど焦がれたことか。
 焦らしに焦らされているのは俺の方。真尋が例え無自覚であっても逃げられるたびに、避けられるたびに募る俺の性欲は馬鹿にならなかった。俺でも正直引いている。

「っ」
「?…痛かったですか、すいません」
「いや、別に…何でもねえよ」

 耳に触れた。首に触れられた。もちろん髪を結っているのにたまたま偶然当たっただけっていうのは十二分に分かっているのだがそのひんやりとした指が、本当に夢じゃねえんだと思うと俺は今この状況に引くぐらい興奮していた。
 今すぐその細っこい腕をつかまえて、そこに見えるソファに押し倒してしまいたい。その柔らかい肌を食みたい。…突っ込みてえ。
 そんな凶暴な性欲と、それとは別にこいつともっと話したい、笑った顔が見たいと、穏やかな日常を望む俺がいた。どっちも俺な訳で、どちらも本音だろう。

 俺の願掛けで伸ばした髪に誰か触れることをそもそもどんな女であっても許しはしなかったな。そう思ったのは出来た、という真尋の言葉を聞いてからだった。
 正直理性との格闘は過酷だった。こいつがもう少し露出めいた服を着ていたならば俺は確実にやらかしていたに違いない。耐えたのは奇跡に近いとさえ思っている。

「…ありがとな」
「いえ、どういたしまし」

 何の他意なく、横を向いた時だった。当然だろう、真っ直ぐ俺が前を見ている中その横で真尋は座っていたのだから。思ったよりも近い位置に、俺が耐えられなくなっていることに、誰よりも俺が一番驚いていた。あまりのことに顔が赤くなっていっていることだって自分でも分かっている。…何だ俺は。何でこんな処女みてえな反応をしているんだ。落ち着け俺。どうした俺。
 その白い肌、薄い唇、華奢な首筋、…指。俺をジッと見る黒曜石の目。そのどれもが、何の意味もなくそこにあるだけだっていうのに俺の鼓動を早くさせる。

「スクアーロ隊長?」
「い、いや何でもねえ!」
「その割に顔、……熱ですか?」

 無自覚とはどうしてここまで恐ろしい。少し腰をあげたかと思うと、ひんやりと冷たい手が俺の頬に、額に。

「う゛お゛ぉい」
「…熱ですね。通りでそんな変なお願いをルッスーリア隊長にすると思っていました」

 誰のせいでこうなったのかと言ってやりたくもなったが何とも情けない姿だ、これは真尋の勘違いのままにしておいた方がいいだろう。
 そのまま俺はされるがままにベッドへ連れていかれ甲斐甲斐しく病人扱いで寝かされた。もうここまでくれば髪を結うだとかどうのこうのと言っている場合じゃない。何が楽しくてこのあまり洗濯もされていない野郎の仮眠室のベッドで寝なけりゃならねえんだ、汗臭え。やがて枕元に水差しを置いた真尋は遣るべきことは終えたとばかりに片付けをし始める。それが少し寂しいと思ったが、これもまた俺の正直な感情だ。

「一緒に寝るかぁ?」
「死ね」
「……」

 …まあ、病人になったからと優しくなる訳もねえか。そもそも俺は熱なんて出ちゃいねえ。もしもここで頷きでもすれば、少しでも照れた様子でも見せれば俺は間違いなくこのベッドで真尋を抱いていたに違いなかったのだが。
 「お大事に」ふんわりと笑った真尋の顔。ああ、と俺は果たして真尋に聞こえるように返せたのだろうか。暫く瞬きも忘れ、俺は呆然とするしかなかったのである。

(……覚えて、やがれぇ)

 全てが俺らしくない。
 ちなみにそのまま抜くこともなく赤面をどうにかすべく転がっている内に眠ってしまっていた訳だが、真尋の不器用さをどうにも侮っていたらしい。
 長い間俺の髪を弄っていたと思ったがそれもそのはず、何故かご丁寧に三つ編みなんぞをやってくれていたようだ。

「…なかなか真尋も芸術的な髪型に」
「うるせえ」

 良いんだよ、これで。
 俺も鏡で見た時はどう反応していいのか分からなかったが俺はその日、そんな事だってどうでもいいぐらいに、非常に上機嫌だったのだ。


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