I NEED YOUの教育


雨が非常に強い日だった。
雷も鳴りざあざあという音が部屋の中であるというのに響き渡る。

憂鬱だったのはそれだけではなかった。
視線の先、テーブルの上には買っておいたビールが一つ。冷蔵庫から出したところだったのだけど間も無く部屋の温度との差に段々と温くなっていくことだろう。それは恐らく、誰かの手によって飲まれることもなく本日もまた冷蔵庫に戻されるに違いなかったのだけど。

「…まったく、」

彼が来なくなったのは突然だった。
何があったということもない。最後にやって来たのは随分前のようにも思えたがカレンダーを見ればまだそれほど経過もしていない。

『またな、名前』

「またって、いつなの」

イタリアを近場だと言うし、何もかもが大雑把すぎる、良くいえば大胆且つ豪胆な彼の事だからそのまたなという言葉が果たされるのは1年先のことなのかもしれないとふと思ったがそれも有り得ない話ではないのかもしれない。
もしくはこの前に思った本命のところへ戻ったのか、仕事が終わってイタリアへ戻ったか。何にせよ彼にとってそう言う連絡をくれるほどの女ではなかったということだ。

だってそういう事でしょう。

知らず知らずのうちにむくれていく。
そう言えば彼の名前以外、国籍以外のことを知らなかった。聞いたら教えてくれたのかもしれなかったがそうなるともっともっと彼の事を知りたくなってしまうのだからと自制したというところもある。それが裏目に出た。名前は彼の連絡先を知らなかった。そもそも近くに住んでいると言っていたことも今考えれば例の適当さから出てきた言葉で実は遠かったっというところだってある。

「……ほんと、勝手」

本当に勝手なのはこれらが不変であると考えて、来るかどうか分からない人間のためにご飯を多めに作ってしまっている自分の方だったのだけど。
この前出してみた和食が美味しいと案外簡単に受け入れられたのが嬉しくて作ってみたのに結局1人で食べなければならないじゃないか。文句を言ったところで肝心要の彼の耳に届かなければ意味がない。
「いただきます」出汁がしっかり染み込んだ大根は腹の立つほどに美味しい。分かっている。この大根が決して悪くは無い事だって分かっているのだ。けれど八つ当たりをしてしまわなければこのモヤモヤとしているものが一向に晴れることはない。誰もいない事を良いことにテーブルに肘をつき行儀悪く箸を手で握り突き刺し口へ運ぶ。

「ばかみたい」

期待していた自分が。
居なくなったら居なくなったで寂しがっている自分が。
料理のレベルがほんの少し上がった。綺麗な人と少しの間だけ不思議な生活ができた。話のネタが一つ増えた。それぐらいで留めておこうとはまだまだ出来そうにない。
全部スクアーロが悪い。
勝手に自分の生活に入り込んでおいていなくなってしまうなんて。ぽっかりと穴の空いたところを1人で修復していくには時間がかかってしまうものなのだ。自由気ままな彼は確かに小動物だった。餌付けした猫に逃げられたなどという比喩が1番近しいのかもしれないがそれ以上に、これは。

一口。二口。
ぶつくさ心の中で文句を垂れながらゆっくりと口に運び、しっかり味わってから嚥下。誰かの為に作ることなんて滅多に無いことで、もう暫く彼の姿を見ていないにも関わらず今日もまた同じように多めに作って彼用の酒や皿を並べる自分が一番みっともない。それでも喜んでくれるかと作っていた最中の、うきうきとしていた気持ちもまた偽りのないもので。
だからこそ2人前が出来上がった時、1人で消化するのがあまりにも虚しい。

こんな味気ないものだったか。
普段の食事はどんなものだったか。

そんな事を忘れてしまうほどに彼と過ごした生活は楽しかったのだ。そう考えていたのが自分だけだと思うとそれは重い石となり名前の中へ積み重なっていく。


ピンポーン

間抜けな音がしたのはその時だ。
こんな時間に宅配便だろうか。それとも何か勧誘だろうか。後者であればさっさと帰ってもらわなければ。
箸を置き、ゆっくりとドアスコープから恐る恐る覗くとそこには見慣れたようで最近は見なかった銀の髪がそこにある。

「!」

何も考えずに鍵を開けることは一人暮らしである人間にとってどれだけ危険なことか。
だけど今はそんなことに構ってられなかった。
だってそこにいる人は危険ではないから。

だって自分はそこにいる人に会いたかったから。

「…よう」

もし次に会う事があれば、と責める言葉も考えていた。
怒る言葉も、貴方誰ですか?も、何しに来たの?と詰る言葉も用意していたし言ってやるつもりだった。
だと言うのにやっぱり消えていくのだ。実際この銀の髪を見てしまったら。
この、嬉しそうな笑みを見てしまったら。

「悪かった」言い訳も何もせず名前を真っ直ぐ見据え謝罪する。初めて言われたその言葉は名前の中にあった重たい石を払拭させるのに十分な効力を発揮する。そうだ彼は大雑把ではあったが決して適当な言葉を自分に紡いだことは無かった。
ほんの少し痩せたように見えたのは気の所為だろうか。
本当に仕事が忙しかったのかもしれない。疲れているのはその目元の隈を見ればすぐに分かる。
そんな状態であっても彼が家に来てくれたというそれだけで「良いですよ」と無意識に返してしまう程に、手遅れは自分の方なのだ。
だって全てがもうどうでもいいと思えてしまうほどに、

「俺がいねえとだめか」
「…何、が」

S・スクアーロ。
突然やって来て急に名前の日常に入り込み、それから自分のことを盛大にかき乱していった彼はにこにこと、初めて見た時と変わらぬ表情を浮かべながら嬉しそうに名前の手を握りこう言うのだ。

「俺はもう駄目だった」

──お前がいない日常は耐えきれないと。
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