I WISH YOUの黙殺


奇妙な生活は恐ろしいほど何もなく、穏やかに続く。
どうやらスクアーロはこの家の近所に住んでいるらしく仕事でしばらく並盛に居着いているものの出身も本社もイタリアらしい。どうして自分の家の前で倒れていたのかと聞いてみれば同僚に飲まされた挙句放置されたというのだから何とも不憫な話だ。
もっとも、一番それで被害を受けたのは名前であるに違いないのだけれど。イタリア。聞いたことはあるけれどポンと出てきた国名に疑問符を浮かべた名前に対しスクアーロは嬉しそうにそうだと応えた。

「イタリアと日本じゃ近いぜぇ」

そんな、何でもないかのように付け足されて安心でもすると思ったのか。
こっそり携帯で調べてみたもののかかる旅費と時間に携帯をぶん投げてしまいたくなったのも仕方のないことだろう。
「遠かったです」彼が名前に距離なんて気にしないと言った翌日、それぐらいの文句を言っても許されて良いはずだ。彼の遠いとは何処からを言っているのだ。名前の中での常識で言わせてもらえばそこへ到着するまでの移動方法が新幹線以上になれば十分国内であっても遠い部類に入る。
日付を越えてから返された突然の名前の言葉にちゅるりと最後のうどんの一啜り。驚くこともなく、何が、と聞くこともなくゴクンと飲み込んだ後名前をまっすぐに見据え返す言葉と言えば。

「…わざわざ調べたってことは」
「違います。イタリアは行ってみたいと思って調べただけでそういう意味じゃないです」

彼との不思議な生活の中で学んだ事と言えば暇さえあれば名前を口説こうとしているということと、思っていたよりもポジティブであること、しっかりと否定するときは厳しいぐらいの言葉を言わなければ思わず口車に乗せられてしまいそうになるということ。
「残念だぁ」呟かれる言葉は本当に残念がっているのだろうかと問いかけたくなるほど不敵な笑みと共に。カタン、と置かれる箸。名前の2倍の量をぺろりと平らげたスクアーロは座ったまま背筋を伸ばし恒例のご挨拶。

「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」

どうやら名前が1人でいつも手を合わせているのを見て覚えたらしい。
律儀に同じような所作でこちらを見ながら真面目な顔でそう言われれば嬉しいだか恥ずかしいだかでよくわからない心持ちになるけれど決して不快ではない。もちろん彼の祖国でそういった事はしないだろうと分かっているし、日本の文化を受け入れようとしてくれることは生粋の日本人である名前もほんの少しだけ、嬉しい。
ご飯を食べ終わり、食器を下げ、洗い、食器乾燥機にかける。ここまでの流れを終えた後、見届けた後にスクアーロは帰っていく。

気が付けば1ヶ月。
毎日と言う訳ではなかったがそれでもやって来る頻度は高い。適応力があったのは名前の方だったのかもしれない。
立ち上がり帰ろうとするスクアーロをその場で見送ることはしなかった。これが名前の昔からの友人であったって変わりない。玄関口まで彼の後ろを歩み「おやすみなさい」までが彼との過ごす時間の終わりの合図。
そうしてこれも慣れたものではあったけど、

「またな、名前」

そういって手の甲に口付けられるのだけは未だにどうしていいのかわからずしどろもどろになってしまった。
まるで王子様だといえば聞こえは良いのだが何分相手は自分だ。庶民中の庶民、何も飛び抜けたものもない自分。イタリア人であるらしい彼は情熱的に甲斐甲斐しく自分の元へと通ってはくるけれどこの数時間を越え、……時計を見やり、やはり今日も23時の手前で帰っていくことを確認した。
日本人は時間に律儀で、他国、特にイタリアなんかではそんなことあってないようなものだと文献で目にしたことがある。

それでも彼はきっちりかっちりこの時間。
まるで会社員のようだ。何処へ帰るのか。いつも何処でどんな仕事をしているのか。何処かに本命が居てそこに帰ってるんじゃないだろうかと。たまたま自分の何かが気に入って愛人枠にしようとしているんじゃないかと疑ってかかったこともあったけれどそれであったとして自分にデメリットはない。何も始まっていないのだから何も終わることもない。
ただ晩御飯を一緒にしてくれる友人。それぐらいのイメージでいれば何も失うことはない。逃げの一種であることは変わりないけれど。

そんな事を思いながら彼が扉を閉じ、足音が去っていくのを確認してから数秒後に鍵を閉める。口付けられた手がまだ彼の感触を覚えているけれどこれに気を取られてしまうのであればますますスクアーロの思惑通りになってしまう。
それらを振り払うかのようにぶんぶんと首を横に大きく振り、

「…買い物にいこう」

それから彼が驚くほどたくさん食べることを思い出し、冷蔵庫を開きすっからかんになってしまった中身を見て呟く。
彼は頭は良いのだがどこか世間知らずのようにも見えた。最初の方こそ何処か高級レストランへ連れ行こうとしてきたのでいいえ結構ですと返し、家で名前が食べる晩御飯のついでなら一緒に食べましょうと言えば万札を突き出してくる有様だ。
もちろん一枚たりとも受け取った事はなく、どうせ一人暮らしであれば余らせてしまう食材を全部食べてくれるので作り甲斐があると言えばあるのだけどどうしてもこの小さな冷蔵庫に入る容量というのは決められている。

「和食、食べるのかな」

麺類はまだイタリア人の彼でも受け入れやすいかと思って安易に選んではいたけれどそろそろ自分の中のレパートリーが尽きてきてしまった。
特に気を張るでもない。だからこそ高級な食材を使っての料理なんかはしたことがなかったけれど、和食も今度から取り入れてみようか。
そう考えると突然肉じゃがが食べたくなってくるもので、ほんの少しだけ躊躇したものの必要なものを買い揃えるために翌日の昼、スーパーへ行くと早々に野菜コーナーへと足を伸ばす。

『良いですか、いつもよりも少し多めに作っているだけであってスクアーロの為に作ってるんじゃないです』
『分かってる。けどお前の飯は美味ェ』

「……」

そう言っていたはずなのに、いつの間にかスクアーロの口に合うかどうかなんて考えている。いつのまにやら彼は思ったよりも自分の深いところに居着いてしまっていたらしい。

「……本当に、困ったわ」

気が付けば帰り道。
自分の手の中にある買い物袋の中には今日の晩御飯である肉じゃがの材料、それから彼が酒を飲むためのビールグラス。

自分のコップはあまりにも小さく、可愛らしすぎたから仕方ない。

そう言い聞かせグラスを選んでいた自分の姿がたまたま窓ガラスに映っていたけれど、自分が思っていたよりも楽しそうな表情を浮かべていたのは最早気が付かないふりも出来ず。
だけどまだ彼にこの変わりつつある気持ちは言えないだろう。
だって私と彼じゃ何もかも釣り合わないのだ。
悲しくはない。辛くもない。だけど、ちょっとだけ、寂しい。複雑なその感情の根底にあるものにはまだ気がついていない振りで居たい。

「よう」

買い物袋を持った名前を見つけるや否や嬉しそうな顔を浮かべながら駆け寄ってくるスクアーロはやはり自分なんかが隣に居ていいとは到底思えない容貌をしていた。それでも自分に向けられたその表情は嘘っぱちではないように感じてしまうのは果たして騙されているのか、それとも自惚れか。
うっかり釣られて彼と同じような表情をしそうになったものの、慌てて何でもないような顔を取り繕い「こんばんは」と声をかけた。
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