出会う

 審神者。
 この世界に顕現し、そして人型としての姿を得たときに目の前に居る人間がそういうものであるとインプットされる。最早刷り込みに近く、そしてその後に自分は付喪神である等といった情報が誰に教わることもなくただ自分の姿が人型となったときに何となく把握するものであった。知識としていつの間にか己の内にあるのだ。
 呼吸をしている。瞬きをしている。
 人間であっては当然の動き。自分を鍛刀した者達にとっては生きるために誰に習うでもなかったそれらは、元々刀である自分にとってそれがどれほどまでに奇異であったか。誰かにその感想を告げたことはないが大概にして刀剣男士と呼ばれる者達は同じような事を思っていたに違いない。何故自分達が人の形をとることとなったのか。その理由は誰から聞かされた訳でもなかったがしかし、自分の手元にある本体、即ち己の刀を見れば湧き立つ闘志に薄らぼんやりとでも見えてこよう。

 自分達は、自分達の刀を持ち、構え、何かを斬り殺す為にこの世に顕現したのだと。
 しかし、である。三日月にあまり人を殺したような記憶はない。永い時の眠りにより忘れてしまっているのか、元々そういった事象に出くわすことがなかったのか。そもそも自分でもあまり戦い向きである造りをしているとは思ってもみなかった。
 美しいと。そう言われ続けてきた記憶は朧気に、だがそれだけだった。そんな自分に何か出来ることがあるのかは疑問ではあったがこの世に顕現した以上やらなければならないのだ。誰かに下命された訳ではない。そうしなければならないと己の内側から呼びかけられ其れが自然と己に馴染んでいた。

 だが、と三日月は空を仰ぎ見る。
 雲もなく本日も快晴、岩の上に腰を下ろす三日月の周りに人は居なかった。否、己が目を開けたその瞬間から自分の傍に生きた人間等が居なかったのである。色々な知識が己の中にあったというのに肝心要である審神者と呼ばれる自分を扱うことの出来る人間は居なかった。
 つまり、彼は――…野良と呼ばれる存在であったのだ。誰かが自分を此処に捨て置いたのか、誰の力も借りず何らかの異常によりこの世に顕現することもあったのかそれすらも判断はできなかった。そのような知識は残念ながら与えられてはいなかったのである。
幸運なことにそれでも敵と思わしき者と出会ったことはなかった。自身の力がどれほどなのかは計り知れなかったが恐らく年を召して居ようが何の実績も積んでいなければ戦闘の記憶等もない己の戦力は生まれたての赤子のようなものだろうと分かってはいた。いつかその時が来るだろう。三日月は大して、焦ってはいなかった。いつかその時がきっと来るだろうと分かっていたが故に。この身、この刀剣が錆び、朽ち果てるまでにそのような人間に会えるか否かそこまでは分かってはいなかったのだが。


 彼女が現れたのは突然だった。
 近くで生きている全ての動物が眠る夜半時、ほんのりと淡く輝いたのは気の所為ではなく、目を開き様子を探ればそこに異変はあった。
 一人の少女だった。
 身を丸め縮こまる彼女は寒そうにブルリと身体を震わせ、目を堅く瞑っている。いつの間に現れたのだろうかふと触れた肌はとても冷え冷えとしていた。
 「おい」声をかけ跪き、少女の頬へと手を伸ばす。柔らかなその感触は今まで経験したこともなく更にもう一度。次いで頭の下に手を遣り起き上がらせると先ほどよりも少し呼吸がしやすくなったのか大きく肩を上下させ、しかし未だ尚起きる気配はなく。
 何故こんな場所で居るのか不思議に思わざるを得なかった。誰も来ぬような山奥である。天候の良い日等であっては山頂から辺りを見渡しても何も無いようなこの場所に、何故突然現れたのか考えても答えは出なかった。


「…ん」

 ようやく少女が目を開く。縁取られた黒の睫毛がふるりと震え、夜色の瞳が三日月を映し出す。その時の少女の、僅かな時間での変貌を三日月は忘れることなど出来やしないだろう。


「―――」

 聞き取ることはできなかったが短い固有名詞。誰かの名前だろうか。その後に絶望に染め上げられた彼女の表情、じわりと滲む涙の膜は瞬きと同時に先ほど三日月が触れていたその頬を滑り地へと消えていく。
 しかしそれだけだった。その後、すぐに涙は乾きゆるりと自分の力で起き上がる。不慣れな動きは随分長い間固まるようにして眠っていた所為なのか、それとも自分と同じなのか。カチャリと彼女の腰元で音を立てたのは一振りの剣。よくよく見れば彼女の衣服は自分とはまた時代が、否、世界が違えているようにも見える。もっとも自分にはそういった格好を何と呼ぶのかすら分からなかったが、たった一つ理解したこともある。


 異国の者であると。

 彼女の持っている剣は異質であった。当然鞘に収まっているのでその刀身を見ることは叶わなかったが持ち手の部分は蒼く、またあまりにも細い。これで人を斬る事など出来やしないというのに同じ刀剣であるからこそ、異端の力を持ち得ている事もすぐに分かった。


「お前、名前は何と言う」

 果たしてそんな彼女に自分の言葉が聞こえるのか。どうやらその眼に敵意は感じられず、また此方が危害を加えるつもりもないということは分かっているらしい。もしかすると彼女もまた、自分と同じ存在であると勘付いたのかもしれなかった。彼女も付喪神なのかと思ったが刀剣に女が居たなどということも聞いたことはない。否、もしかすると此度の三日月自身の顕現のようなイレギュラーが発生しているかもしれないが少なくとも彼女は敵でもなければ味方でもない。そのような感想を抱いていた。

 「…なまえ」幸い、自分と同じ言語を有していたらしい。呆然としながら話し、しかしその後びくりと身体を震わせた彼女はゆっくりとその小さな手を己の首元に持っていく。まるで話せているのかが不思議で仕方ないというように。広げ見る手指がまるで新たに得たものであるというのに。
 目を細め、三日月はそう彼女の事を観察していた。恐らく、――…同種だろう。そう感じたのは恐らく間違いではない。


「呼ばれたこと、ない」

 名前は、ない。
 そして厄介なことに、返された言葉に瞳に、嘘など見えることはなかったのである。 
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