こすぱに!

桜色に染まる  

 恭弥は過去、サクラクラ病という厄介なモノに冒されていた。
 あれはいつの日だっただろうか、細かい記憶も知識も失いつつある今それを思い出すのは大分と苦労するけれど彼に想いを告げられる前のことだった。それだけは何とか覚えている。
漫画で、アニメで見ていたからどんな症状になっているかは分かっている。だけどもちろんそれは私の知識として、な訳で私が体験している訳ではないからそれがどんなもので、どれぐらい苦しいのかは流石に理解はしてあげられなかった。


「窓、閉めて」
「はいはい」

 日曜日、応接室。ふわりふわりと入ってくる桜の花弁も恭弥はどうやら不快らしい。
 あのサクラクラ病の原因はDr.シャマル。彼の仕業であり、例の黒曜編の中盤で綺麗さっぱり治ったはずだというのにそれでもやっぱり、一度嫌いになったものはそう簡単に好きになるものでもないらしい。
 彼の仕事をしているデスクは背中を外に向ける形で設置されてあり、私が換気のために開いた窓から入ってくる花弁が手元についただけで一気にムッとしたのがすぐに分かる。表情に出やすいんだよねえ、ホント。まああんな体験をすれば嫌になるのも分からないでもない。だけど日本人から桜を楽しむ心を奪ってしまうなんてそれはちょっとDr.シャマルとやらに出会う機会があるのであればちょっとお説教をしたくなる気分にもなる。
 恭弥の言う通りに窓を閉めると一気に空気が籠もり、私は窓枠に肘をついて外をぼんやりと見ることになった。

 今日は珍しく夕方から一緒に買い物をしにいこうと恭弥からお誘いがきた。ガラケーを久しぶりに駆使し、恭弥からのメールを見た後に例のワンピースを着て応接室にやって来ると少しだけ待っててと言われ今に至る。後ろから恭弥の仕事を覗き見したけれどどうにもこれは私が会社でやっているような事務作業に近い。機械のように間違いなく同じような場所に判子を押し続ける恭弥の作業を暫く見ていると段々眠くなってくるけれど流石に人の仕事中にそんな図々しいことは出来る訳がなかった。草壁くんがもしかすると見に来るかもしれない。その時にどう言われるかわかったものじゃない。
 欠伸を噛み殺し、また外を見る。ここからは正門しか見えず、運動場で恐らく試合の真っ最中だろう野球部を見ることも出来ない。閉まりきった門、時々右から左へ風にのって流れる花弁。それから恭弥が書類に押印していく音、カリカリとペンを滑らせる音。

 何とも幸せだなあと思う。私の知っているストーリーは終えてしまった。だけど私は変わらずこの世界にいて、帰るタイミングを掴みかねている状態で、でもそれでも後悔はしていない。
 いずれ帰ることになるのであればその日がくるまで此処にいると決めたから。恭弥がそれを許してくれたから。なんていうとちょっと自惚れているかもしれないけど実際そうなのだ。


「…ねえ」
「!びっっくりした」

 ぼんやりとしている間に恭弥も仕事を終えていたらしい。気がつけば椅子にかけてあった学ランはまた肩にかけられていて、処理済の書類の山が出来ていた。
 ぐるりと私の座っていた回転椅子を回され、窓枠についていた肘がカクンと落ちる。危うくそのまま落ちるところだったけどこれぞ押切パワー、身体能力は未だ健在。何とか体勢を立て直し頭を思い切り窓にぶつけたものの恭弥の目の前でみっともない姿を晒すことだけはどうにか避けられた。
 ふうん、とその一連の流れを見て楽しげに目が細められたあたり普段から私のことを随分と「ドジ」だの「危機管理能力無し」だの言いたい放題な彼も、私のこの能力だけは若干認めてくれているのだと…思っている。…一応ね。


「お疲れ様」
「うん」

 疲れた、と伸びをする恭弥は本当に中学生なのだろうかと思うほど色気があるというか大人びているというか。仕事疲れなんて義務教育中の人間がするものではないとも思っているわけだけどまあこれも漫画クオリティということにしておこうか。
 どう、表していいのかわからないのだけどやっぱり、幸せだなと思う。結局そこに戻ってきてしまうのだから随分と重症だなとは自分でもよく思っている。何気ない毎日、気がついたら一緒に過ごし、隣にいてくれる。だけどそれって当たり前の事象ではない。私が生まれ育った世界からこちらの、リボーンの世界にやってきて、一度元の世界に戻って。次元を隔て、離別を経験したからこそ分かる、その大事さ。私はこの気持ちを、大事にしていこうと思っている。例え、彼がそういう風に思っていなくても、だ。


「ゆう」
「え」

 つ、と頬に伸ばされる指。何事かと思い目を見開くと恭弥の表情は至極真面目で。椅子に座ったままの私に対し、屈みこまれ、近付く顔。青灰色の瞳にポカンとした私が映っている。


(う、わ…!)

 こういう時にどうしていいのか、どういう反応を取れば良いのか分からないのは私の知識と経験不足だ。思わずぎゅっと目を閉じ近付く気配に構えるとクスリと笑う声。離れる気配にそっと伺うように目を開ければ恭弥の指には桃色の花弁。


「ついてたよ」
「……」
「顔、真っ赤だね。何か期待してたの?」
「…ばか」

 楽しげに笑う恭弥に敵うわけがない。次いで本当に額に唇を押し付けられた訳だけどそれに対してはもう何の反応もとれることもなく降参の意を込めて両手を挙げる。
 本当に、彼に勝てる気は一切なかった。

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