こすぱに!

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 マンションを出たもののどこへ向かって歩いているのかすら分からないことに気付き、しばらく歩いてから立ち尽くす。並盛中学の制服を着ながら他の学区は歩かない方がいい、なんて隼人に教えてもらったんだっけ。男の子の世界は少し難しい。
 そういえば彼と話すきっかけになったのも黒曜の人に絡まれてた時だったっけ…そう思うと私は色々と、沢山の人に助けられながら生きてきたのだと改めて思う。
 でも、今日は一人で頑張らなきゃ。頼ることもできないこの状態、自分でどうにかしなければ。


「…せめて、駅前に」

 決して方向音痴という訳ではないと信じたいところだけどこれまでのことを振り返るのであればイマイチ自信はない。車を運転してる人間は大体大きな道に、それか駅前に出るとどうにかなるなんて思うこのあるある説。分かったところでどっちに何があるか知らなければ意味がないんだけどさ。

 黒曜からスタートした、2度目のリボーンの世界は相変わらず私にヒントすら与えてはくれなかった。けれど昨夜の彼女の手を取っていたら今頃この世界の流れが少し変わっていたのかもしれない…私は、自分の前に立ちはだかる選択肢を間違えることのできない立場だ。この世界に来たならばそれだけは、違えてはならない。情に、流されてはならない。…うん、大丈夫。言葉にして言い聞かせられるならまだ、平気。


「…大丈夫、」

 ぎゅう、と腕の中の紙袋を抱きしめる。
 私の手荷物はリボーンの世界に来てから増えた、これ一つ。その中には彼女からもらったお下がりの私服と充電のきれた携帯が入っている。
 何度か買い物に行った際、私にも買ってくれようとしていたけど流石に年下に奢ってもらってばかりにもいかず、かといって確かに制服一つじゃ困るだろうと思って譲ってもらった分だ。…まあディーノさんに買ってもらったのは良いとしよう。同世代だし。

 その紙袋の中に入っている私服を見ながら今日は制服じゃない方が良かったかもしれないと、何となく思った。
 並盛中学を目指しているからこそ制服を着ているけど平日のこんな時間に歩いているなんて他の人から見れば立派な不良に違いない。M・Mは学生事情なんて知らなかっただろうけど恐らく夏休みも終わっているし今はまさに授業中だろう。大学だったら休みも長かったような気もしたけどこの世界において私の知っている常識は当てはまらない。何処かで着替えようかと見渡すも残念ながら公共施設らしいものはこの住宅街には見当たらない。
やっぱり当初の目的通り大きな道路を探して歩くしかない、と汗をぬぐった時だった。


「…」

 ふと視界の中に鮮やかな黄色。隣の塀に、気が付くと人形かと思うようなふわふわの生き物が静かにちょこんとこちらを見ていた。

 ひよこかと思ったけどこんなところにいるわけがなく、それでいて瞬きはするものの私を見たまま動く事はない。それに、この鳥に、見覚えは…ある。何でこんな場所に、私の前に現れたのだと思わず身体が固まるものの、例の鳥はぱちりぱちりと瞬きをしながらこちらをじっと黙って見ているだけだった。


「…可愛い」

 素直に感想を漏らしたところでそういえばこの子の初登場は黒曜編で、元の飼い主は恭弥じゃなかったことを思い出す。確か最初は伝令係に使われていたんだっけ。
 つまり、…多分だけど、カメラが搭載されているということで。こんな小鳥に何をするんだとバーズに会った暁には怒ってやりたいところだけど生憎私はお話の舞台に乗り込む資格も、原作に関わることの許されていない異端者だ。このまま無事に並盛へ行って、気がついたら全てが終わっていることだろう。
 私ができることなんて精々彼らの無事を、健康を祈ることぐらいだろう。


(…でも、)

 …でも出来ることならば、と考えてしまわないことも、ない。
 もしも今後の展開が私が知っているものなのであれば京子ちゃんやまだ話したことも無いハルちゃんに危害が及ばないようにもなってほしい。M・Mだって…危ない目には、合ってほしくない。だけどもう黒曜編は始まるのだ。私がそこに加わる事は恐らく前回同様ないだろう。
 私が邪魔をし、何かを回避させるとして、何かを変えたとしてその後が原作に影響を出すことが怖い。皆が辛い思いを痛い思いをたくさんするだろうけど、ハッピーエンドで終わらせるには原作通りそのまま進んだ方が間違いはないのだ。何か一つ私のせいで歪み、欠損し、ズレていくのが恐ろしい。だから私は何もしない。何も、できない。

 原作の知識を持ってその世界へとやって来てしまった人間。それが私。

 恭弥にはいつか話そうとしていたことだ。何も言えずに帰ってしまった私なりの、ケジメ。彼に会ったならば話さなくちゃ。
 そして骸とも会うことがあるなら先読みではないことぐらい、その認識を正さなくてはならないけどまだそれはしばらく先の話になるだろう。

 とにかく、並盛へ行くのが最優先。鳥の事は考えず、それだけを考えなければ。
 それにこの子は何も悪くなく、ただ訓練された賢い鳥なのだ。逃げる様子がないヒバード…はまだ命名されてないのか、鳥の頭を指で頭をトントンと撫でるとチチチ、と鳴かれ少しだけ元気をもらった気がする。


「…藤咲ゆうはこんなところで終わる女じゃないのよ」

 自分を励ますようにパンっと両手で頬を叩き、また前へ進む。

 隣の塀の上に止まっていたはずの鳥はいつのまにか私の前へと移動していて、パタパタと羽音を鳴らしながら私と同じ方向へ飛んでいく。まるで先導されているみたいだ。悪意はきっとないだろうその鳥の行動にようやく笑みを浮かべると疲れた足を動かす。
 十字路が来る度、鳥が私の肩に乗ったりコツン、と小突くその様子はまるで私をどこかへ連れて行こうとしているみたいだった。まさか黒曜に…?と思ったけど気侭な鳥は私が知っているような言葉を発することもなくチチチ、と変わらず鳴きながら通りかかった公園で私からようやく離れる。

 やっぱりどんな鳥でも公園が好きなのだろうか。
 正直私も休憩したいぐらいだったけど休んでばかりもいられない。その代わりちらりと視線だけをそちらにやると、近くのブランコに見知った少年がぼんやりと空を仰いでいるのが見えてハッと息を飲んだ。


「!」

 あのマフラーの柄。茶髪の小さな子。…見間違えようもない、フゥ太くんだ。
 声をかけようか一瞬悩んだけど、ディーノさんと一緒にいただけの彼とそこまで仲の良いわけではなかった。開いた口はそのまま噤んだ。
 彼には最初から人見知りというかどうにも壁を感じてしまったところもあり、あまり良い印象を持たれていないのはわかっている。それに、


「…あ、」

 鳥は私の思惑なんて全く考えるとこともなくまっすぐ、フゥ太くんの隣のブランコへ。止ようとした手は失敗し、空を掴む。
 隣のブランコにちょこんと降り立ったその鳥の姿にフゥ太くんはわぁっと楽しげに笑みを浮かべていたけど後にこちらの視線に気がついたのかパッと立ち上がる。


「こんにちは」
「っ、」

 目があって無視することはさすがに憚れる。
 手を上げて随分久々に見たフゥ太くんに挨拶すると彼は一歩、後ずさった。楽しげだった笑みが一気に引きつり、どちらかというと青ざめた表情の彼は具合が悪いのだろうかと不安になるぐらい少し離れた私でも分かるぐらいガタガタと震えていた。

 一体どうしたのだろうか。
 気持ち悪くなった…とか?彼、追われている身だったっけ。追手が近くにいる…風には見えないけど。
 きっと彼と会うのは随分久々になることだしもしかすると私の事自体忘れられているのかもしれない。そうとでも思わないとまだ人見知りの延長線というにはちょっと、…異常な反応に近い。ならば話しかけなかった方が良かったのかもしれなかったなと思いながらそれでも具合の悪そうな彼へと近付いた。


「…フゥ太くん?」
「っぃ、」
「大丈夫?顔色、悪いけど」

 どうしたものか。
 ツナの家を知っているのであれば彼を背負ってでも連れて行ってあげるべきだろうと思えたし近くにディーノさんが居れば彼に任せようとも思ったけれど残念ながらどちらの選択もできる様子ではない。

 震えている彼の腕にはいつのまにかその小さな身体には到底似合わない大きな本が抱かれている。これが噂のランキングブックか。
 こんな子供にすごい力が備わっているだなんて信じられないけど、その所為で追われたりしてツナの元へとやって来たんだと思うと有り余る力は、異端の力は何も幸せにするだけじゃないんだなと改めて思う。私だって変わった力は、ほしくなかったけど、ね。どうせなら何も知らないまま何もかも忘れたままこの世界にやって来たほうがどれだけ楽しめただろう。
そんな事を思うと少しだけ彼に対して勝手に親近感を抱いていた訳だけど今はそんな話をしている場合じゃない。熱でもないかと手を彼の方へと向けたその時だった。


「っ来ないで!」


 ”顔色が悪いけど、大丈夫?”そう聞こうとした私の言葉の途中、重ねられた彼らしからぬ激しい口調と同時にパシンッと弾かれた手。突然のことに足も手も、思考も停止した。
 瞬間の静寂。
 フゥ太くんはハッと我に返るような表情を浮かべたかと思うとそれ以上の言葉は何も発することもなくそのままじりじりと後ろ足で下がり、くるりと踵を返し子供とは思えないスピードで走り去ってしまった。


「……え」

 声が出たのは、少し経ってからだった。何もかも止める暇は無かった。
 向こう側の出口から公園を出てしまったその小さな背中を、そして例の鳥がゆっくりと羽を広げついて行くのを私はただ見届けるしかできなかったのだった。

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