明日を染む幸福

「凛、早くしろよー」
「べ、ベルちょっと待って!」

本日のヴァリアー邸はいつもとは違う表情を見せていた。
常日頃から彼らの居城は綺麗にされている訳ではない。自分の部屋のみ、或いは自分の通る場所・使う部屋のみを隊員や雇っている人間に小綺麗にさせてある程度で他人からの評価だとかそういったものは一切気にかけることもなかったのはある意味彼ららしいと言えば聞こえはいいだろう。知らぬ者が見れば化け物屋敷だの廃墟だのと呼ばれるのも致し方あるまい。そういう場所が確かにあった。

それが今はどうだ。
マーモンの幻術の力ではなしに全てが綺麗に磨きあげられ、幹部の人間達の小競り合いの度に割られていた窓が、誰かの癇癪により雷が落とされズタボロにされていた手すりが、誰かの悪戯の所為で傷付きに傷付いた壁が、刺さったままのナイフが綺麗に取り除かれ美しく磨き上げられている。
一月前に訪れた人間が再度ここに生きてやってくるのならばその変わりように驚くだろう。主が変わったのかと思うかもしれない。しかしながらここに住まう人間は誰ひとりとして欠けることもなく、また変わることもない。
その理由はただ一つ、彼女がやってくるからだ。

「……綺麗」

ほう、と開口一番佐伯凛が素直な感想をもらし自分のことのように彼女を連れてきたベルが嬉しそうに笑う。
XANXUSが彼女を連れてくると突然告げたのは先週のことだ。たった一言、あいつが来ると。
今までは彼女の働くリストランテにXANXUS自ら訪れ、彼女のことを気に入った幹部の人間達も同様にしていた。休みの日があると聞けばやはりこれもXANXUSが彼女を迎えに行き、どこかへ連れ回したり、またある時は共にスーパーへ向かい彼女の部屋にて手料理を肖ったりしていた。
彼らしからぬことを、と思うだろうがつまり、彼女をここに呼ぶということはなかったのだ。

『あいつの好きな料理は』
『適当に肉でも食わせろ』
『それはボスさんの好きなモンじゃねえかぁ』

XANXUSから教えられた情報に慌てて立ち上がったのはスクアーロだった。無骨な彼らにでも客人をもてなすという流儀はある。
誰であれこの建物内に一般人を呼び込むことはそう無かった。
ヴァリアーは他の者よりも死に近しいところに在る。そして彼らが恨みを買っていることも、誰もが知っている。彼らの弱みを知り、握ろうとしている不埒な輩も決して少なくはないがそれを今までされることが無かったのは弱み自体を見せることがなかったからだ。
恋人や家族。それらは即ち弱みになり得てしまう。もしもそういう人間が現れたとしていざという時ヴァリアーと天秤にかけられた場合自分達は迷うことを許されてはいない。誰もが知っている”当然”であったが、そんな中でも彼女をそのXANXUSのテリトリー内に呼ぶということは即ち。

その意味を何となく理解し、凛に対しXANXUSを抜いては一番友好的なベルが自ら手を挙げ彼女の迎えに行く係を志願した。
そして、今日に至るのである。ルッスーリア監修の下、最優先されたのは彼女が何処の部屋を開けることとなったとしても、何処の廊下を歩くことになったとしても何一つ不備もないようにという屋敷内全ての修繕だった。中庭にある壊れた噴水を入れ替え、枯れ果てた庭園を全て植え替え。
食事に関しては元々XANXUSや幹部の人間も口にするものだ、当然ながら不味い訳ではなかったが彼女がよく好んで選んでいたメニューをXANXUSに思い出させ、それらをシェフへと伝える。勿論、それに加えてXANXUSの好物を混ぜておかなければ後が大変なのだったが如何せん彼女はどうにも和食を好んでいるようであった。

「凛、休んでる暇ねーぜ」
「えっ、あ、」

いつも気が強く、堂々としている彼女ですらこの状態は流石に予想外だったらしい。はたまたどこかでヴァリアーの噂を聞いていたのかもしれない。だというのにこれでは普通の金持ちが暮らす豪邸。
口をあんぐりと開いた凛を見て楽しげに笑うと彼女の腕を掴み、皆の待つ部屋へと急ぐ。…早くしなければ、腹を空かしたXANXUSがせっかく綺麗にした部屋を壊してしまう可能性もあったので。

「う゛お゛ぉい遅えぞぉ」
「あ、こんにちは皆さん。お邪魔します」

大きなテーブルは、いつも幹部とXANXUSでいっぱいいっぱいだったがこの日の為に更に一つ大きいものにした。取り敢えずは本日のみなのだろうが、それでも将来は彼女が此処に座るのは当然のことになるかもしれないのだ。
ちらりとXANXUSの赤い瞳が彼女の姿を捉え、細める。「来い」静かな一言にベルがトントンと凛の背中を叩き、それから頷くとXANXUSの隣の空いた1席に腰掛けた。
元々小柄な彼女であったがXANXUSと並ぶと余計小さく見える。凛が席についたと同時に扉が開かれ、運ばれる前菜。いつもはマナーなんて何処へやらと言った彼らだったが今日は全く違っていた。

「イタダキマス」

ベルがいつもの凛の真似をし、手を合わせると凛も笑ってそれに倣う。流石にXANXUSはそれをすることはなかったがフン、と鼻で笑うばかりで、しかしそれのみだった。


食事の時間はゆっくりと、ゆったりと進んでいく。
驚くほどに穏やかな時間であったとスクアーロも珍しく自分の分の食事が取られることはない、喧嘩も起きることもない、誰かの皿が投げ飛ばされたり、誰かの酒が頭を直撃することのない食事を楽しんでいた。
凛は食事の最中、あまり話すことはないらしい。というのも恐らく何だかんだと一番食べるのが遅いことに気にしてか早めに食べている節があるが、驚くことにXANXUSが彼女の胃の量を把握しているのかところどころで彼女の皿から掠め取っていることを視界に入れ、目を丸くせずにはいられない。
決してそれは食い気が優先されていたとは言え、彼女を気遣ってのことだった。「ありがと」と小さく聞こえそれに返答はなかったが満更でもないXANXUSの表情。

彼女の存在とは、かくも大きいものに為っていたのか。

いつ出会ったのかは定かではないが、確かに足繁く通っていただけある。自分達のボスは内面を外に出すのが非常に苦手というべきかはたまた分かりにくいというべきなのか、…どう考えているか分からない時が往々にしてある。

「なー凛、次いつ休みなわけ」
「分かったらXANXUSさんに報告するから、また聞いておいて」

個々に彼女と連絡する手段というものは敢えてとっていない。聞けば当然教えてくれるだろうが、XANXUSを差し置いてという行為をとれる訳もない。そうとなれば彼女の休みは間違いなくXANXUSに独占されることは分かってはいるもので、つまらなさそうにベルは口を尖らせる。
ふふ、と笑う彼女の黒髪には赤い髪飾りが靡いていた。
寡黙な男の横に並ぶその女は輝いていた。随分といい女を手に入れたらしいと、そう改めて、思わずにはいられない。大空属性の女、沢田凛。沢田家に連なるとはいえ遠い血筋で超直感の類も持ってはいないと聞いている。そして彼女を娶ったとして、彼女が子を宿したとしてボンゴレの新たなボス候補にすらあがらないことも誰もが知っている。それを承知で、男は女を選んだのだ。こればかりは誰もが分からない結末であったのだけれど。

幸せであれば、それでいい。

そう素直に思ったのはこれまでの事を見てきたからだろうか。血を血で洗う戦いも、身内を手に掛けようとしたことも、世界全ての事象を呪ってきた男。そんな彼が、彼なりの幸せを掴むのはもう見えている。
ずっとこんな穏やかな日が続けばいいとスクアーロは思っていた。否、そうでなければならないのだ。

「また呼んでね、XANXUSさん」
「いつでも来やがれ」
「あ、凛俺がまた迎えに行くから」
「ベル、今度は走らさないでね…」

ちりりと何故だか嫌な予感がしたが気の所為であるとスクアーロは頭を大きく振り、それを吹き飛ばす。何を思ったのか。何を感じたのか、それはスクアーロにすら理解することは出来なかった。全て気の所為だ。
きっと全てが上手くいきすぎていて疑心暗鬼になっているのだろう。そう思うことにし、スクアーロも彼らの会話に混ざっていく。
そうだ、彼の、彼女の幸せはこれからなのだ。こんな日がこれからも続く、はずなのだ。

――…そう、だって来週は。

  

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