「色々とお世話になりました、スクアーロさん」
”ユーリア”ではなくシャルレとして出会ったあの日と同じようなTシャツにジーンズといった出で立ちの女は今までに無い晴れやかな笑みを浮かべていた。化粧もせず髪の毛も乱雑に後ろで一つに括っている彼女はしかしそれでも十二分に美しい。
任務は無事に終了、つまり彼らの離別の時を表していた。
シャルレにとっては生命を常に削られていた状態だったはずだ、短いようで長かった1ヶ月だっただろう。緩められた口元は何の憂いも含まれてはおらず本当に昨日はクラリッサの魔女だのとはやしたてられた女と同一人物なのだろうかと疑ってしまうのも無理はない。
「これからどうすんだあ?」
「一応悪役としてマフィア界に君臨してしまいましたし皆は戻ってこいって言ってくれたんですけどやっぱりクラリッサにはもう戻るワケにもいきませんし」
ああ、こんな事だったら貯金ボスにあげなかったら良かったなんて呟く彼女は相変わらずで。
確かに彼女はこの事件が起きる前、偽のヘルリングの所為で街一つを血の海に変えたという例の件の後にまったくもって有難くもない”クラリッサの魔女”、”最凶の女術士”なんて異名をつけられていた。そんな彼女が信頼を売りにしている情報屋ファミリーに出戻ることなんて出来るはずもないし、その選択肢などそもそも選びやしないだろうとスクアーロでもわかる。
「一度実家に帰るも良し、もし就職先に困ったら沢田さんのとこが面倒見てくれるらしいのでそれに甘えようと思います」
彼女の荷物は此処へ来るときに持ってきた小さなリュック一つ、そしてスクアーロが彼女に贈った黒のブレスレット。それだけだった。
本来ならこれに上乗せで任務終了として依頼料が支払われる予定だっただろうが死んでしまった依頼人、潰れてしまったファミリーから奪うものなどなく、マーモンの目利きによって売れそうなリングやボックスが少しだけ贈られただけだ。
けれど、それでも生きている。生きていれば何とかなると流石の守銭奴もそれは分かっているらしい。何一つ不満そうな表情を浮かべることのない彼女に対し「そうかぁ」とスクアーロは返答に応えた。
別れのときだ。
言葉にせずともそれぐらい両者ともに分かっている。これからシャルレは恐らくマフィアの世界から退き、そしてスクアーロはこれまでの生活に戻る。たったそれだけだ。
だからこそ、少しだけ悩んではいたのだが。
「やっぱり、ちょっと寂しいものですね」
そんな風に彼女が苦く、笑うのであれば。
―――もう、知らねぇ。
シャルレに向かって握手を求めるよう手を伸ばし、彼女はそれを疑うことなく返す。細く柔らかいその手がスクアーロの手に重ねられたその瞬間、強く握りしめぐいっと遠慮なく引っ張ると「うひゃあ!」なんて色気のない声をあげて容易く腕の中に倒れこむシャルレ。
静寂。
あの時のように縋り付く抱擁ではない。どうしたのかと、もぞもぞと腕の中からスクアーロを見上げる彼女の頬にゆっくりと触れその耳元で、
「……じゃ、連れ帰っても文句ねーなぁ?」
「へ」
てっきり別れの言葉でも囁かれるとでも思っていたのだろう。声の裏返ったその様子に喉をクツクツと鳴らしその唇を掠め取った。
あれからずっと考えていたがやはり目の前の女は放っておくには惜しい。ただの己からの一方通行であれば割り切ろうがそうではないと知りながら愛しい女を手放す愚かな男が何処にいる?
要は護ればいいのだ。全ての災難ごとから、この腕の中の女を。あの時、彼女のことをもっと早く知り守っていればと十分に悔いた。
もう2度とあんな思いはしたくもないし、させるつもりはない。覚悟は出来ている。
「…ちゃんとボスからの了承は得てるよ」
「えっ、マーモンさんそれ私の許可「俺の女ってちゃんと伝えてんだろうなあ?」
「そんな面倒なこと無償でやるわけないだろう。取られたくなければ自分でしなよ」
スクアーロの腕に抱かれたまま繰り広げられるマーモンとのやりとりにどうやら流石のシャルレもついていけていないらしい。それどころか途中で彼女の言葉を遮って話を進めていることで言葉を失っていた。
任務のことと、それから自分以外のことであれば多少頭は回っていたのだろうがどうやら任務も終わった後で気が完全に抜けていたのだろう。何よりもこの会話の中心となる人物が己であることが未だに何故だか理解できていないようだった。
だからスクアーロはシャルレの柔らかな髪に口付け彼女に最もわかりやすい言葉で伝えるべく口を開く。
「俺のところに来い、シャルレ」
それは色々と順序をぶっ飛ばした告白に違いなかったがとうとうシャルレの思考が停止したことはピシリと固まるその身体の様子で理解した。
死ぬと信じていたからこそのあの大胆な彼女だったと今更ながらに分かるとある意味とんでもない告白を寄越してきたものだとスクアーロの笑いは止まることを知らない。
逃がしはしない。もう、彼女の独断で自分から離れることは許さない。
「お前をヴァリアーまで連れて行く。それまでにそれっぽい設定作ってろ」
「…設定?」
「あー…お前好きだろ設定とかそういうの」
もうその単語は勘弁してくださいよと困惑気味にシャルレは眉を潜めた。この1ヶ月の間、彼女の中には一体どれぐらいの無理な設定が詰められていたのだろう。
開放された今でこともう聞きたくない単語だろうがそれでもスクアーロの言葉に少しだけ思考をめぐらせる。今現状を考えると彼女が頼れる相手はスクアーロとマーモンだけなのだから。
「スクアーロさんが私のこと好きすぎてヤンデレルートに突入し拉致しましたとかそういうのでいいんです?」
なかなかに、笑えない冗談だ。
聞いていない振りをしていたマーモンがどこぞで笑う気配がし、そしてスクアーロ自身もひくりと頬を引き攣らせる。それもあながち間違いではないと言い切れない辺りが何ともいえない、が。
「…それは、ちょっと勘弁しろぉ。お前は俺の女で、追われている。それで良いな?」
「えー、何て単調……んんっ!」
これ以上の会話は邪魔臭い。
それにシャルレが自分の言葉全てに対し否定しそれでもまだ実家に帰りたいと一言でも言わなかったことに気付かぬほど鈍くはない。
強引にシャルレの唇に己のそれを押し付け再度その柔らかな感触を堪能するとどうしていいものやらとしどろもどろする彼女が愛おしい。とは言え、帰るつもりだったのがこうやって引き留められ、かつヴァリアーに連れていくだなんて言われ平然としている方がおかしいのだが。
どちらにせよ沢田綱吉をさっさとボンゴレ本部へと帰らせた以上無一文の彼女は目の前にいる自分に頼るしかないのだからもう彼女に道は、ない。
ようやくそのことを悟り、諦めた表情を浮かべながらスクアーロの言った通りの設定をもう一度呟く様子が見て取れるとシャルレを横抱きにした。突然のことに「わあっ!」と素っ頓狂な声をあげるシャルレを見ながら助走をつけて屋根の上へ飛び乗る。
驚いて不安げに見上げたシャルレの額に優しく口付け、前もっての忠告を。
「しっかり掴まってろよぉ!」
「す、す、スクアーロさん安全運転でお願い……ぎゃああ!」
腕の中には愛しい女。
きらりと光る黒のブレスレットは確かに彼女を厄から払いのけたらしい。シャルレを抱く腕にもう少し力を込めるとゆっくりとシャルレの手が重ねられるのを感じスクアーロの口元は自然と緩んだ。
もう絶対、何があってもこの腕から離すつもりはない。
「愛してるぜぇシャルレ!」
「わっ、わかりっ、わかりましたから前向いてくださいスクアーロさん!前!前!」
遠慮なく彼女を抱きかかえたまま闇夜を駆け抜ける。
早まる鼓動も、足も、止めるつもりは、止まるつもりは毛頭ない。
――もっとも、設定で終わらせるつもりはさらっさらねえけどなぁ!