「私はオッサ・インプレッショーネを盗みました」
どよめき。何と、とあがるわざとらしい悲鳴、怒声。
人殺しと蔑みの声、そして飛んでくるガラス破片。檻の中に居るシャルレは全てを受け入れ、澱んだ瞳で檻の外にいる男のことを見上げた。割れたワイングラスが彼女の入った檻へと投げ入れられる。先ほどとは違いそれはリングの力で弾く事はせずシャルレの身体へと突き刺さり、純白のドレスは徐々に赤へと染められながら苦しげに表情を歪めていた。
男は恍惚とした表情を浮かべる。
今日は何と気分のいい日だろうか。厳かな音楽も、ライトも、すべては自分に当てられている。
唯一憂う事態は目の前にいる女を抱くことが出来なかったことぐらいだ。
目の前の檻の中、項垂れ座り込み、まるでガラス細工のような儚げで、貴族のような高貴さを滲み出す女は己が設定した通りの言葉を吐き出し死ぬための劇を大人しく進めている。当然だ、彼女の死に際まで自分が決めてあるのだから。逃げたり失敗でもすればクラリッサファミリーなんて弱小ファミリーはいくらでも潰してしまえるのだから。
「……皆様、お聞きになられましたでしょうか」
これこそ完璧な、自分の劇。設定。
まるで主役になった気分で、うっとりと高揚しながら男は舞台の真ん中で酔いしれていた。
以前捕獲したクラリッサファミリーの男が速やかに自害しようとしてまで守ろうとした理由が今となってよくわかるような気がした。オッサ・インプレッショーネに愛されてしまった不運な女。その指に嵌るそれのせいで人生を変えられてしまった女は、こんな場になってこそ輝きを、美しさを増上させている。
とある情報屋ファミリーより彼女の持つリングこそ本物であるという確かな情報は得ている。あとは彼女をこの場で殺害し、リングを抜き取りボンゴレへと献上するだけ。
スクアーロが最後に手を貸してくれなかった事は少しだけ残念ではあったが所詮はヴァリアーだ。本部とは不仲とは聞いているし関係ないだろう。
ああ、もうすぐ。すべてが自分のモノに。
銃を片手に構える。
狙うは目の前の、檻の中に居るシャルレの心の臓。
――パアンッ!
静かに倒れるシャルレの細いからだ。檻には彼女の血が少しずつ漏れ出て己の靴を濡らすがそれですら美しいと思う。
やはりこの女は魔女だったのではないかと、思えるほどに美しい女だ。死ぬ間際、…否、死んで尚、そう思わせられる何かを彼女は持ち合わせていた。生きていればいずれ男が作った設定の通り彼女を手に入れるために争いが行われても不思議ではないだろうと思える程に。
男は腕を広げ、彼女に背を向けて舞台の真ん中からゲストへ向けて声をかける。舞台の袖にはスクアーロが控えてあるし術士だって配備してある。もう何も怖いものなどは無い。
「ヘルリングは、これよりボンゴレへと献上いたします。永劫なる平穏を我々に、…」
『愚かな人間どもよ』
しゃがれた声が聞こえてきたのは、屈み、彼女の指からヘルリングを抜こうとしたその時だった。
突然響き渡るそれはまるで聞いた者を闇へと誘うような恐怖を抱かせる。男は慌てて立ち上がり辺りを見回すがそれらしき者は見当たらなかった。その声に、その男の動きに劇の一環ではないのだと気付いたゲストたちは戸惑いにざわめき始める。
『奪え。
お前達の欲しい富が、名声が…オッサ・インプレッショーネはお前達の前に』
彼女の死体が入った檻が静かに霧散する。気が付けば男とシャルレの間に何も境界はなかった。
――まさか。そんな。
何事かと目を見開く男は彼女の身体がゆらりと揺らめき立ち上がるのを信じられない目で見つめた。「そんな、馬鹿な…」へたりと舞台の真ん中で女を目の前に、座り込む。確かに自分の銃は実弾で、間違いなくシャルレの心臓を貫いたというのに。
それが嘘ではなかったと知らしめるかのごとく純白のドレスはドクドクと彼女の心臓の動きに合わせおびただしい血液が左胸にぽっかりと開いたところから流れ出て赤色に染め上げられつつあった。
女は嗤う。
男の考えていたこと全てを見透かし、楽しげに、愉しげに。ニィと赤い唇が弧を描き、その異端さに、美しさに誰もが息を飲み彼女に釘付けとなっている。
男が何も言わないことを不思議そうに見たクラリッサの魔女は首を少し傾げたが大して気にした節もなく次はゲストたちに向けて腕を伸ばし笑みを浮かべた。遠くに居る人間ですら魅了されずにはいられない、美しい、恐ろしい笑みだった。
『なぁお前達。”私”が欲しいのだろう?』
女は歌うように、囁いた。
小さな音であるはずなのにマイクもつけてもいないというのにそれは皆の耳元に囁かれるようにして聞こえ、誰しもが生唾を飲んでいる。
その女の言葉で気がついてしまったのだ。この女は、いや、この女を動かしているのは―――
ボゥッとインディゴの炎が女の後ろで燃え上がる。その色は、その、炎の大きさは、指に輝くそれは、
『欲しいがままに、全てを奪え。奪い尽くせ』
とうとう女はけたたましく笑った。
その恐怖に耐え切れなかったゲストの一人が保身から銃を持ち出し、シャルレの身体へとそれを打ち込む。
パララララと間違いなく女へと、そして隣に座る男へと当たる散弾。傷口が増えさらにドレスを赤に染めあげ、それでも腕を広げて尚笑う彼女は、確かに魔女だった。
『恐れるな、お前達は何が欲しくて此処へやって来た?』
「…そうだ、オレはおまえがほしくてやって来た」
「……そうよ、私はそのヘルリングが欲しくて」
「あの至高は」
「その最高峰のリングは」
誰にも、渡しやしない。
ゆらゆら、
ぐらぐら。
目の前の女を動かすそれの正体は一体何なのだと声をあげる者はもういなかった。もう分かってしまったのだ。
恐れるものは何もない。何故ならばこの女は、この正体は、
『我はオッサ・インプレッショーネ。この至宝を欲しくば奪え!』
その声を合図にバリンと割れる銃弾。投げ込まれる火炎瓶。毒ガス。何処からか取り出した銘々の武器、匣、リング。
そうだ最初からオッサ・インプレッショーネを手に入れるためにやってきたのではなかったか。こんなところで誰かが手に入れるぐらいならば自分が、私が、俺が。
先ほどまで愛を紡いだ相手へと短剣を。
手をとり今後の親交を約束した相手へと銃を。
ゲストの狙いはオッサ・インプレッショーネではなく先に周りの敵へと定められた。殺さなくては。自分以外の全てを滅さなくては。そうでなくてはあの至高の指輪は自分を認めてはくれない。そして、それを成した暁には――…。
飛びかかる男、女。
えぐりだされる目、内臓、ボキリと折れる音は一体どこのものか。
飛び散る血、痛みではなく裂かれる肉に愉悦の声、銃を振り乱す女に、殺した相手の首元へとむしゃぶりつく男、ボディーガードが守っているはずの主人を壁へと顔面から押し付け、また幼い子供はその武器の威力を知らずダイナマイトを放ち、若い女が大きな扉に首を挟まれ、また大柄な男はどこかからか持ち出したギロチンのような器具で近くにいる人間を片っ端から斬首する。誰しもが目を爛々と輝かせながら生命のやり取りを行っていた。
たったひとり、舞台の真ん中で女は笑う。
舞台は一部ではなく会場全体に変えられていた。
いつの間にか生まれた激しく醜い殺し合いの場にて女は、そしていつの間にか観客ではなく参加者へと書き換えられていた者達は笑いながら命を奪い合い、
―――そして、生存者は一人も居なくなった。
罪と罰