赤色クリック要注意「愚かですねえ」
「そう?」
日当たりのいい部屋、揺り椅子で穏やかな表情を浮かべた私は目の前にやってきた骸の言葉に小首を傾げ、微笑んだ。薬指にリングを嵌めたその細い手で自分の僅かに膨らんだ腹部を撫でながら。
私は間もなく母となる。このお腹の子は骸との愛のあかし。まさかあのボンゴレの霧の守護者とこうなることなんて到底私は思ってもいなかったけれど今はそれよりもこの幸せを噛みしめていたい。時に内側から元気に動くわが子を感じ今はもう幸せの絶頂にあった。
男の子だった。今日の診断でわかったこの子の性別。ちょっと控えめな性格をしているのかあまり動くことがなかったので不安だったけれどそれはきっと骸に似たのだろう。
生まれてくる子はどんな容姿だろう。
男の子はお母さんに似るって聞いているけど実際どうなるのかな。髪は私に似ているのかな。でも癖毛だし骸に似てくれているといいな。色はどっちも白いから真っ白かな、目はどうかな。私みたいに真っ黒なのか、それとも青いのか。そう考えると全体的に骸に似てくれた方がイケメンになるに違いないと思うんだけど、ちょっとぐらい私に似てね。と今からお願いをしておいた。そんな一人のやり取りなんて骸にとっては奇異だったのだろう。ほんの少し眉を顰め、私の事を優しく見下ろした。
「こんな身重になれば狙われた時どうするのですか」
「その時は骸が守ってちょうだいね」
「…まも、る」
頼ることもなかった男にその言葉はどう響いたか。聞きなれない、言いなれない言葉にカタコトになっている骸が愛おしい。
まもるという言葉に赤い目が、青い目が僅かに揺れる理由を私は分かっていた。そうだった、骸の幼いころの話は知らないけどどうやら人に頼ることもなく生きてきていたらしい。そんな彼の目には確かに身籠り今までのように一人で戦えるようにならない私なんて不思議で仕方ないに違いなかった。
今までなら私だってそう思っていただろう。だけどこれからは違うのだ。だってこの子は、私たちの子。骸だってもちろんそういうつもりで一緒に生きてきたわけだけど、実際こう大きくなると不安になっているという様子も見え隠れしている。
やがて優しく細まる瞳。仕方ありませんね、といつも私を甘やかすそ時の目だ。
「…君だけですよ」
「違うよ、この子もです」
「分かってます」
伸ばされた大きな骸の手。黒い手袋を引っ張って脱がすとそのまま骸は私の大きなお腹を撫でた。
力加減なんて、わかりません。恐々と触る彼のことを愛おしくおもわない訳がない。まるでこどもが2人いるようなそんな錯覚にも陥って骸の長い髪に触れると今度は私のその手を握りしめ口元へと持っていく。ちゅっと響くリップノイズ。ああ私はとても今、幸せだ。
ゆらゆら、ゆらゆら。
揺り椅子を揺らすのはいつだって骸。まるで寝かしつけるようにするから単純な私はそれでふああと大きく欠伸をする。きっとこの後眠ったら骸はいつものようにブランケットをかけてくれるのだろう。おやすみと額にキスもきっとくれる。何も言わず見下ろした骸の顔を見ながら私はそっとまた、お腹を撫でる。
これから生まれてくる愛しい子へ。
私たちの元に生まれてきてくれてありがとう。宿ってくれてありがとう。どうか先に骸のことをぱぱって呼んであげてね。ままは後からでいいからね。たぶんきっと、怖い顔しているかもしれないけどそれはあなたみたいな可愛い天使に会ったことがないから、びっくりしているの。だから、どうか怖がらないであげてね。それからぱぱみたいに強くて、格好いい子になってね。でも彼女作るのはゆっくりでいいからね。まま寂しくなっちゃうからね。
いつものようにまだ見ぬ天使に声をかけ、ゆっくり目を瞑る。
「──と、愚かな女は夢見ましたとさ」
音もない静かな部屋。
カーテンを閉めたことにより薄暗くなってしまったその中で煌めくオッドアイ。一人の女は揺り椅子ですやすや眠るのみ。女は幸せを全身で感じ、生きてきた。またこの僕もそれと同じぐらいに楽しく過ごしてきた。
嗚呼、何と愉しい日々だったか。
ゆらゆら、ゆらゆら。
僕の手を離れた揺り椅子は未だ彼女を眠りから覚まさせることのないようゆっくりと揺れ続けていた。いつだって揺らすのは僕。転がすのはこの僕。そして、他者で遊ぶ権利を持つのも、また僕だけだ。
それなりに面白い日々だった。あの気の強い女は”母になる”という夢を持っていた。何処で出会った女だったのか既に覚えても居なかったがただ適当に手を出しただけの女。
少し話しかけてみれば嬉しそうに話すその小さな夢。僕にとって想像を絶する、吐き気のしそうなものだ。子を手に入れてどうするのか。子どもとはそのファミリーにとって全員の所有物であるべきであり、研究材料でしかない。この僕のように。愛する?何だそれは。僕に似ている?何だそれは。気持ちの悪い、見えもせぬそんなものに縋るなんて恐ろしくて仕方がない。
「…さて」
彼女はどんな反応を見せてくれるだろう。その腹にいのちなど宿っている訳がないと知ったその時には。
それどころか彼女の周りで倒れ伏している人間達のどれかがこの女にとっての一番の男であっただろうが今となればどれがどれだか分かりやしない。彼らは既に事切れて数日経過していた。女に見せていた数か月の記憶は、しかし実際は数日でしかない。僕の幻覚により”幸せであった”日々の最中には既にその下で地獄があったことにこの女は見ることがなかった。何度か移動中にもその死体を踏ん付けさえしたのだが幻覚の最中、それらに気付くことはなかった。
女はその間腐臭に気付くこともない。
女はその異変に気付くこともない。
築き上げてきた幻覚は今日も今日とて大成功。
クフフといつものように笑ったとしても彼女は起きる訳ではない。そう、いつだって目を覚ますのはこの合図。もう君にも飽きましたから解放してあげますよ。それにもう十分に、眠ったでしょう?
「さあ、目覚めの時です」
パチン、大きく響く指の音。ゆっくり開いた目が絶望に暮れる様を見る時、僕は至福を感じるのだ。