※相手無・暴力的・捏造

 自分の前世はボールだった記憶はない。だけど気が付けば自分の手から離れる傘、飛び上がる身体。ドン、ドンとバウンドする私の視界。誰かの悲鳴、塗れる赤、ザアザアと私の頬を叩く雨。おかしいな、私、傘、差していた、はず、なんだけど……な、ぁ。


T



「…ッ」

 目を開くといつもの部屋だった。何だ、またあの夢か。上半身を起き上がらせるとポタポタと流れる汗。ゼエゼエと息は荒い。ソファから身を起こし、同じ部屋のベッドに眠る女性を起こさないよう慎重に動き朝から溜めておいた水で顔を洗う。
 手が、身体がまだ震えている。そりゃそうだろう。雨の日の夜はいつもこうだ。変にリアルな、自分の死ぬ夢。…いや、そうじゃないということも何となく分かってはいる。だけどこの事象に名前をつけられるほど私は頭が良くもない。
 この部屋に鏡なんてものはない。だからこそ私は水瓶に溜まっている透明な水ごしに自分の顔を見る。黒く短い髪、端正な顔立ち。浅黒い肌。年齢不相応な明らかに栄養の足りていない華奢すぎる身体。そして、

「――笑えない」

 お前は誰だと問わんばかりに爛々と輝く赤い瞳。だけどこれが間違いなく私の姿。強烈な違和感と共に数年、育ってきている私の身体だ。


 私の持ち得る記憶が混濁せず正しく在るというのであれば、私はただ平凡に生きる女子大生だったはずだった。それがいつも夢に出てくるあの日の惨劇。恐らく私は雨の日、視界が良くないところで車に轢かれ、死んだ。何だろう、ああ死ぬんだって。自分の心臓が止まる音まではっきり聞こえた。全感覚の中、聴覚が最後まで生きているって聞いたことがあるけど確かにそうだった。
 あーあ、呆気ない人生だったなと嘆く暇もなく、次に目を開ければこうなっていた。

 つまり、――考えたくもないけれど私は生まれ変わったのだ。幸運な事に女の体として。だけどそれだけならまだしも、神は私にとんでもない試練を与えたようだった。

 私はこの水瓶に映っている子どもの事を知っていた。
 最初はただ貧困層に生まれた子どもだと思って、大人しくそれとなく子どもらしく振る舞っていたつもりだった。気がつくのが遅かったのはやはり鏡がなかったからだろう。私の身体を見返すタイミングが一切なかったからだろう。お前の目は気持ち悪いと近くに住む生意気な子どもに指をさされても確認しようがなかったから「そうなんだ」って思うぐらいで。自分の容姿なんて、もう1度死に、生まれたこの時点で随分と気にすることはなかった。
 何というか、この身体は死期が近いのだと思わずにはいられなかったのだ。あまりよろしくない衛生事情、水だって基本的には雨水やらその辺の川から汲んだものだったりする。洗い物をすることもなければお情けでもらう食事を口にする。落ちたものだって食べることに何の躊躇いもなくなった頃、私ははじめて自分の今の姿を見ることになる。

 誰だ、これは。

 愚問でしかないけれど思わずにはいられなかった。当然、生まれ変わったのであれば元々の私の顔ではない。いや、今となれば私の本来の顔というものも記憶はなかったけれどこれは…この、目は。私はこの身体を知っていた。
 XANXUSだ。いや、そんな馬鹿なとすぐに否定する頭と、そうであるとしか考えられないとハッキリとした思考がたちまち戦闘モード。だけどもう一度自分の顔を確認すると否定は消え去った。どうして、なんて疑問も凍りついた。
 有名人でも何でもない。彼は漫画のキャラクターだったはずだ。なのに触れる手は、顔は、足は、心臓は…動いている。私のモノとして。何てこともない、どんな奇跡が、呪いがおきたのか知らないけれど私はXANXUSとして生を受けたのだ。この世界の彼は私が塗り潰したのか、はたまた”そもそも居なかった”のかまでは私には分かりかねなかったけれど。
 試しに母親に私の名前を問うてみたけど名前はまだつけられていなかったらしい。どうせすぐくたばると思っているのだろう。オイ、だのお前、だの呼ばれ手伝いをさせられる。この華奢すぎる身体を売れなんて非道な事はさせられていないだけまだマシか。

「――…さて」

 私はこれからどうすればいい。この世界がもしも知っている”XANXUS”の物語であるのならば私はそれをその通りに歩まなければならないのだろうか。…冗談じゃない。ギリリと唇を噛み締め、赤い目を輝かせ闇夜で自分の顔を睨みつける。

 主人公のハッピーエンド?そんなモノ、どうだっていい。どうして私が、この私がお膳立てをする為に生きなければならないのだ。どうして私が他人の為に自分を犠牲にしなくちゃならないのだ。1度死を体験した所為なのか、それとも今日に至るまで過酷な生活を強いられてきて荒んでしまったのか私には判断ができなかった。だけど一度そう思ってしまってからは優しい気持ちになどなれやしない。先を知っているのであればなおのこと、私はこのままで終わるものか。

 要は全て、彼が歩まなかった人生を選べば良いのだ。
そうすれば私はこのスラム街で生き、死ぬ人生で終えることが出来る。幸いにも今の生活はそこそこ気に入っている。若干登場人物に会いたい気持ちがあったのも確かだけどそれの対価はあまりにも大きい。天秤にかけるほどのものでもない。
 XANXUSという名前が与えられなかった私として、名無しとして、私は死んでいく。その選択肢を一つたりとも間違えてはならない。ボンゴレなんてどうでもいい、全て絶えてしまえ。私には関係ない。今日もマフィアのボスは格好いいなどとほざく近所の子どもをぶん殴り、私はこの付近一帯の子どもの中の、ちょっとしたボスとなっていた。格好いい?夢を見るのも大概にしなさい。あいつらが何をしてくれる。悪い奴等を叩くヒーローでもない。この街の統治者から金を譲り汚い金を握っているのを目の当たりにしてまだ格好よく見えるほどすでに目が腐っているというのか。彼らがいるからと泥水を啜り生きてきた私たちの生活が何か改善されたのか。たまにパンを投げられただけだろう。知っているか、その目は優しさなんかじゃない。ペットに餌を与えるかのように冷たい目であることを。
 ……なんて、こんな小さな子どもたちに説くのも無駄だとわかり、私は自分の把握している長い人生の中、初めて人に力を行使した。ぶん殴った。小さな体だったけどそれを利用し、また、やはり当然のことながら私にはこの無駄に生きてきた知識がある。海外なのだから日本の常識なんかもちろん通用しないけれど筋道立てて話すことも、大人の協力を仰ぐことも、時に媚びることも何でもやった。表情筋が頑なに動こうとしなかったのは果たして私の安易な選択肢に本物のXANXUSが憤っていたからなのかもしれない。だけど生きるために必要な1手。結果、私の敵は誰1人としていなかった。
 この界隈では容姿や収入、家柄なんてものは全く意味をなさず、生き残るために必要なのは武力だった。何と分かりやすい、何と、簡単だ。ますます生きやすい世の中じゃないかと笑わずにはいられない。

 私の原動力は、突き動かしていたのは奇しくも”XANXUS”と同じ怒りだった。

U


 ひとつめ、私はまず選択を誤った。最初にして最悪のミスだ。稼ぎさえ渡して黙っていれば母親は私に対し暴力を振るうことはなかった。部屋の隅でじっとしている私のことを気持ち悪いと言わんばかりに睨みつけてはくるものの突然ある日から少しずつ稼ぎが増えてきたことに満足したのかもしれない。
 親に対する情はほとんどと言ってなかった。というのも子は親を選ぶことが出来ないということをまざまざと思い知らされたのもあるし、何より私の両親は前世の彼らだけでいいと思えたからだ。だけどやはり一応血の繋がりはある。彼女がどんな仕事をしてきたかというのは大体私だって想像がつく。
 夜になれば白粉を施し、夜な夜な路地裏にて男の手を招く。彼女は娼婦だった。それでも稼ぎはどこに消えたのか。行きと違う匂いをさせているし客はとっているのだろう。自分の稼ぎを自分で使うことに何ら私も文句はない。だけどその稼ぎが彼女に費やされているとは到底思えなかった。

「っぐ、ぁぁッ!」

 それはいつの日だったろうか。
 先程まで月が、異常なほど大きく明るい月かこの辺りを照らしていてそれを見ていたというのに暗雲が全てを隠してしまった時分。
家の近く、聞き覚えのある悲鳴にドアをカリカリと引っ掻く音。その声に聞き覚えがあり私はハッと目を覚まし、ドアを大きく開け放つ。

「……何だ、ガキか」
「その人を離せ、カス」

 前言撤回しよう。情はないわけじゃない。だけど不快だった。彼女は私と良いパートナーでもあった。これまで渡してきた稼ぎは奪い取られているんじゃない。この宿代として渡してあると私自身が解釈し、そうであるなら当然だと思ってきただけのこと。
 彼女の庇護はまだこの幼い体には必要だった。幸いにも彼女はまだ息も絶え絶えという所だったが怪我をしている様子はない。首を絞められ、ドアに背中を預けていたところで私がドアを開けたのだから男は驚き手を離す。彼女は私を守ろうと、身を呈して動こうとはせず怯え、家の内側に入ったのを確認し、ドアを後ろ足でガンと蹴り締める。男は、非常に酔っ払っていた。

「ガキ……テメエ、女か」
「こんな小せェ体に興味があんのか。じゃ相手しろよ」

 ならばお望み通り見せてやろうじゃないか。薄っぺらい布を取り外し、全部脱いでやる。我ながら貧相な身体だ。碌な栄養など取らず、喧嘩の日々で骨が浮き出ているしあちこち傷だらけだったがこの夜の世界じゃ全て覆い隠してくれている。
 さっきまでつり上がっていた男の目は私の身体を見、楽しげに笑んだ。
 大方どうせ処女に興味を抱いたのか、私みたいな小生意気な女を泣き叫ばせるのが趣味なのだろう。そう思うとあの私の2度目の母親も似たような性格だった。遺伝?そうじゃない、こんな腐った世界にいりゃ誰でもこうなるだろうさ。

「ッグァァァア!!」

 男の咆哮があがったのは次の瞬間。私の肌に触れたその手が、私の腕に触れようとしたその手が、突然発火し始めたのだ。
 何があった、何が起きた。
 目を丸くして私は男に腕を伸ばすがその時に気がついてしまった。

 彼に纒わり付く炎は、私から生み出されたものなのだと。

「嫌だ!死にたく…ぅがァァ!」

 もんどりうつ男。普通の炎であれば水をぶっかければ消えるだろうがそれは私の中に生まれたものだ。

 …ああ、これもか。

 この亜種の炎も、私は継いでいるのか。思わず自分の手から轟々と輝き続ける炎を見ずにはいられない。何と美しい。こんな、貧相な体でこんな素晴らしいものを出せるのか。
 やがて息絶え、灰になるまで然程時間はかからなかった。人を傷つけることはあっても流石に殺すことはなかったが驚くほどアッサリとやってしまったか、なんて思うだけだった。手でやってないからだろうか。死体は既に灰として風と共に流れてしまっただからか。

「……おまえ、」

 ハッとした時には既に遅かった。
 私のことを抱きしめるその女は恐らく一連の流れを目にしていたに違いない。

「お前の名前が決まったよ」

 そうして告げられたXANXUSという名前。Xが2つついた、あのボンゴレの子供さ。そうに違いないんだ。お前はそこでボスとなるのだ。私はお前の母親であることを誇りに思うよXANXUS。お前はそのボスの子供として立派な男児となるのだ。
 私は彼女がこれほどまでに話したのを初めて聞いた。彼女の細い手は私の小さな肩に痛いほど食いこみ、思わず目を合わせ絶句した。

「私の可愛い息子……」

 女の目はひどく淀んでいた。酷く不快な声音だった。
 ああこの女は炎に狂わされた第一人者なのだ。
 選ぶまいと思い続け否定してきたがボンゴレに、9代目に会わなくては。哀れみでも何でもいい、とりあえず私のことを息子であると認めさせこの女から離れなければ。
 カンカンカンと鳴り続けている、危険を知らせる警鐘音。はたしてこれは私の生存本能が為せた技なのか、はたまた本当にあったのか定かではない超直感の片鱗なのか。生きたいのであれば彼の選んだ道を追わなくてはならない。死にたいならここで否定すればいい。

「そうだ…オレは、XANXUS。9代目の、息子」

 私の選択肢は複数に見えていて、たった一つしか残されていなかった。

 死にたくない。

 私は前の世界よりも遥かに、生に貪欲になっていた。この女に殺されるなんて真っ平御免だったというのもある。彼女の言葉を肯定し、喜びの抱擁を全身で受け止め、初めて彼女と共に食事をとった。
 ざんざす、XANXUS。嬉しそうに呼びかけるこの女は既に何処かイカれてやがる。だけどそれぐらいの方が私だって今後やりやすい。そうだ、XANXUSだ。何度も肯定し、初めてボロ布ではない衣服を着せられた。男だと思っているからだろう、当然ながら用意されたのは男物だったがまだ体格も、胸の膨らみだって何も無いのだ。彼女が現実を見てしまわぬよう、見つからぬよう着替え、髪の毛も彼女の好きなように切らせる。伸ばしっぱなしのボサボサ髪はここで初めてハサミをいれられ、再び彼女が私に頬ずりする頃には私はしっかりと、すっかりと”XANXUS”となっていた。





「10代目のXをとってXANXUSと名付けました…」

 それからどうなったって?
 やってきた運命の日。女の妄言に付き合う私も、それからこの眼の前の男もとんだ愚か者なのだろう。私は知っている。彼は私が”そうではない”と知りつつも私を引き取ることを。血の繋がりなど何もない私をどうにか助けようと是と頷くことを。
 
――…出ておいで、私のチカラ。
 
 私の意志のままに現れるその亜種の力。先日出した時よりも随分と力強さがあったがこれは恐らく私の冷えた感情に比例しているのだろうか。…まあ、良い。何でもいい。ここで彼との共通点を見せつければ私の遣るべきことは終えたのだ。

「ああ…これはボンゴレの死ぬ気の炎だね」

 その柔らかな眼差しは何を思っているのか。9割は同情か。面倒くさい。いや、それぐらいあった方がこれからはやりやすいか。記憶の通り、私の前で膝をつきマフラーを私の肩にかけ”XANXUSと名乗る子ども”を肯定し何か話しているのをぼんやりと聞きながら私は今後どうすべきか逡巡した。まったくもってくだらない世界である。きっとXANXUSはこの感情こそ嫌がるだろうが私は彼の過去を、生い立ちを知識としては知っていたものの追体験する形で識っていくからこそこの人間の不運を嘆かずにはいられない。まあ、何てくだらないんだろうな。きみはこの世界で自分を放棄したのか、はたまた私が乗っ取る形で押し潰してしまったのかさえ定かではないけれど、やはり今、私がきみとして生きているこの数年間はクソでしかなかったよ。

 見るからに高級な車に乗せられ、2度目の母親に見送られながら私は黙って前を見続けた。
 あの女、金を受け取りどうせトンズラするだろう。ちゃっかりしてやがる。兎にも角にも私もあの女から殺されるという最悪の選択肢からは逃れられたわけだ。後はまあ、…今後どうミスせずにいられるかどうかだが。

「疲れただろうXANXUS」
「…」

 とりあえず、そうだな――…とても、疲れた。一時的に生命の安全が約束されたとは言えここからいわば敵の本拠地。それでもホゥ、と詰めていた緊張が解けるのはやはりここからは余計に知った場所であるからか。ゆっくりと、だけど確実な早さで遠退いていく住み慣れた街に離別の言葉を心の中で告げる。
 さよなら、スラム街。居心地はよかったよ、まあまあね。

 XANXUSとして生きる私は、そこで死んだ方がよかったのかもしれないけれど取り敢えずは己の幸せの為に動いてみせましょうか。
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