授業が終わって、さあ、あとは寮に帰るだけだぞってなるとどうしてだか気が抜けて、なんとなくだけど動きたくなくなる。
 それは別に私だけというわけじゃなかったらしい、と知ったのはつい最近の話だ。

「只野はまだ帰らねえのか」
「そういう轟くんこそ」

 このやり取りをするのはもう何度目だろう。隣の席の轟くんは教科書やらノートをしっかりと鞄に入れて帰る準備は万端なものの動くことはなく、私は授業が終わった状態のまま、行儀悪く頬を机にぺっとりとつけて窓の外を眺めているという状況。性格が如実に出ているけどこればかりはどうしようもない。
 そもそも、私は授業に追いつくのに必死なのである。やっぱり受かりたかったからそりゃあ努力もしてきたし、それが認められた結果ヒーロー科にいるわけなのでお門違いというレベルではないのだと信じたい。体力がないわけでもないし、頭がものすごく悪いわけでもないはずなんだけど、やっぱり授業が終わるとホッとして、身体が重くなってしまうわけだ。もちろん定められた下校時間までには帰るけど、しばらくはこうやっていたい。そんな気持ちで毎日この時間はのんびりと過ごしているのだった。
 なにしろ、窓際の席は最高だ。あくびをしても窓の方を向けば誰にも見られないし。天気が良すぎると眠くなっちゃうのでそれだけが欠点といえば欠点なんだけど。

「今日も大変だったねえ」
「そうだな」
「あ、でも大活躍だったね。やっぱり轟くんはすごいねえ」

 別に友達が欲しくないわけじゃないし、クラスから浮いているわけでもないと信じている。ただこの時間ばかりは私もずっとこのスタンスを貫いているので誰も早く帰ろうとか、遊びに誘ってくることはない。それだけの話だ。たぶん。きっと。おそらく。そういうわけで今日も人が減りつつある教室の中、隣の席の轟くんと話す時間はレアといえばとてもレアなのだった。
 私があまりにも周りを見ていなかったようで、彼も私と同じタイプだったらしい。先週あたりから突然話しかけられ、気がつけばこうやって席がお隣同士で話したりしている。今日の授業は難しかったね、とか、お昼ごはん何食べたとか、そんな他愛もない話をするのは全然苦ではないし、どうやら彼も時間つぶしのように話しかけているようで私がだらしない態度でも何の文句を言うこともなかった。お互い無関心だけどお互いに暇つぶし。それぐらいの、何も頭を使わないような会話は気楽で私も結構好きだった。

 轟くんといえばA組の優等生、というイメージに近い。この時間以外に話すことはそうないのでどんな趣味を持っているか、とかそういうことは全然分かんないんだけど実技の授業ともなればどうしても模範的な動きだったり圧倒的な火力で優位をとったりと、いつも必死な私とは違うんだなあと実力がかけ離れているのを漠然と感じるほどだ。そんな彼も授業さえ終われば普通の男子なんだなあ、と思うようになったのがこの何ともない会話を始めてからになる。愚痴らしいものはないし、逆に私に対しての軽口もない。あ、そういえば爆豪くんにも以前この状態で話しかけられたこともあるけどあの時は机を軽く蹴られて『死んでンかと思ったわ』なんて言われたっけ。死んでるんですぅ、って返したら呆れられた記憶がある。
 それに比べてこの轟くん、なんてできた子なんだと思うよ本当に。最初に話しかけられた時なんて体調が悪いのか心配してくれてたし。今となればこれが普通なんだとわかって何も言わないでくれている。自分の気が済んで帰るときも律儀に『また明日』なんて挨拶までしてくれるし爪の垢どころか爪を引っ剥がして飲み込ませてやりたいぐらい。あ、もちろんそんなことは実行しませんけどね。これでもヒーローをめざしておりますので。

「……只野はまだ、帰らねえのか」
「あ、轟くんはもう帰る?お疲れさま!」

 何となく喋って、何となくどちらかが先に立つ。
 こういう時はほとんど轟くんがこうやって先に帰ることになって、私は座ったまま彼を見送り、一人になった教室でちょっとだけぼんやりとしてからのんびり帰る。それが日常風景となりつつあった。引き留めることは当然ない。何となく察するのが得意だしね、私も。
 だからもちろん今日もそうだろうと信じてやまず、轟くんが帰る時間なんだろうなあと頭を上げ、彼の方を見ると思ったよりも真面目そうな表情を浮かべこちらを見ていた。そんなに表情豊かってわけではないだろうけど、今日は何だか違う気がする。パッていつもみたいに立ち上がったりもしないし。そのまますぐ帰ろうとする気配もないし。

「一緒に、帰らねえか」
「…え?」

 時が、止まったような気がした。
 何を言われたのか分からず、思わず聞き返してしまったけど彼はもう一度真顔で言ってくれた。「只野と一緒に帰りたいんだ」と。
 違うんだ、聞こえなかったわけじゃないんだ。その意味が理解できなかっただけで。あ、いや、そりゃ話していた人間と会話が盛り上がって寄り道したりするのは分からないでもないんだけど、わざわざ誘ってくれると言うか、…轟くんの言葉がストレートすぎて、変な方に受け取ってしまいそうで、混乱してしまう。

 ――いやいや勘違いもいいところだよ、只野夜

 相手は轟くんだよ。絶対絶対有り得ないから。ボッチを極めてる私を哀れんで話しかけてくれてただけだろうし、そろそろ外も暗くなってきたから帰りを心配してくれてるだけだから。
 なのに、轟くんは何も言わない。この場合は私の返答を待っている、というところなんだろうけど明らかに説明不足な気もして私はどうしていいか分からないでいる。

「えっと…?」
「急に、悪い。でも俺、只野と帰りてえの、前から言おうか悩んでた」
「あ、私になにか相談ごととか?」
「? いや、俺はただお前と話したいだけだ」

 私の方が恥ずかしくなってきた。これら勘繰るよりも、ただ仲良くなりたいと思ってくれているのかもしれない。

「もっと、只野のことを知りてえから」

 そして、もしかして、とかまさか、とかそういう妄想を肯定する言葉ばかりをぶつけてくる轟くんから逃げる術を、私は知らない。
 轟くんはあまりにも真摯に誠実に声を掛けてくれている。私と帰りたいことを伝えてくれている。それがどういう意味なのか、ただの仲良しこよしの意味合いなのか。……後者だったら良かったかもしれない。そうしたら何も考えずに私もヘラッと笑って『いいよ、帰ろう』って返事ができたに違いないから。それができなかったのは、取り繕えなかったのはその視線が、声が、熱を帯びているのに気付いてしまったからだ。

「あ、明日なら」

 声は、上擦っていなかっただろうか。
 態度はおかしくなかっただろうか。
 ヒーローを目指している以上、何が起きても冷静であるべし――なんて、そんな言葉が脳裏に過ぎったけれどできるわけがない。だってあの轟くんだよ。あの轟くんが私を誘ってくれて。
 「わかった」素直に頷いたのは彼らしいと思って、正直助かったと思った。だからそのまま安心して顔を上げたのだ。もうとっくに彼は帰る準備をしていると、そう信じて。
 なのに轟くんは私の顔を見たまま。
 真面目な顔して、私の答えにほんの少し口元を緩ませて。

「じゃあ、明日な」
「うん、…また、明日」

 ドアが閉まった後、私はようやく顔を上げ、誰もいない教室で顔を手で覆った。
 明日、彼の視線から逃げ出せる方法が、何も思いつかない。
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