寄せては返す波、青い青い世界。空も海も同じ青なのにどことなく悲しく、そして美しい。

『君の世界は相変わらずですねえ』
『私にそんな力はないわ。それがあなたのイメージなんでしょう?』

 私の記憶にない光景だった。こんな美しく、誰もいない海辺なんて来たこともないし映像ですら見たことはない。袖を通したこともないはずの白色のワンピース、彼の髪と同じ色のサンダル。身につけているのは現実では持っていないはずのそれだけで、だからこそこれが私の知っている世界ではないのだとすぐに理解した。

 六道骸は不思議な力を持つ男だったから。

『久しぶり』
『君も慣れたものですね』
『ええ、おかげさまで』

 いつ知り合ったのかすら既に覚えてはいない。かろうじて記憶の片隅には黒曜中の制服を身に着けていた彼の姿があったから恐らくは同じ学校だったのだろう。もしかしたら隣の席だったのかもしれない。だけどそれだけだ。そこまでだ。ほんの少しの期間喋る機会があったその程度で、私も彼も、互いの人生の1%にも満たない期間の接触でしかなかったはずだった。気がつけばいなくなった彼の所在を知る者はおらず私もまた少しだけいつもと違う日常を過ごしたなあという記憶で終え、高校生になり、大学生になり、社会人にもなった。なのにあの不思議な男ときたら突然思い出したようにこの変わった世界に私を招く。
 最初こそ都合の良い夢だったのかと思っていた。だけど彼と話していくうちに私の知らない世界情勢やら単語やら小難しい雑談を聞くにつれどうやらこれはそうじゃないのだと理解し、今では月に1度、或いはそれ以下のこの夢の世界での会話を楽しみにしている私がいる。

『相変わらず君は想い人の一人や二人居ないのですね』
『仕事が楽しいから仕方ないかも』
『クフフ、それは良いことです』

 何も思っていなかった当時からこの不思議な世界で六道くんと話すたびに因われていっていることをあなたは知らないだろうけど。気になる人が年に数回、しかもこちらには拒否権の類いはなく一方的に会いに来るなんて会社の同僚には絶対に言えないけどね。
 きっと私が一言、好きな人ができただの彼氏ができただの、或いはもう会いに来ないでと言わない限り彼はずっと会いに来てくれるのだろう。そして、きっとこの秘めた思いを伝えたときも恐らくは――もう来ないのだろう。それは私の予測でしかないけれどあながち外れではないような気もするのだ。

 髪も背も伸びた六道くんは私と一緒に成長している。昔から穏やかだったけど最近はどうしてだかもっと落ち着いたような気もしている。一時はこの世界で口論になったっけ。ふふ、と笑えば『どうしました?』と楽しそうに聞く六道くんは私のことをどう思っているのだろう。会いに来てくれている以上、嫌いではないのだと願いたいけどそれ以上の感情はないのだろうか。それを問うたところでやってくるであろう離別が恐ろしく私はこの感情に敢えて名前はつけない。


『――時間です』

 終わりの時間はいつも急だ。六道くんの一方的な言葉により綺麗な世界が少しずつ色あせていく。草木が消え、大空が消え、海が消える。そして全てがなくなり世界で私と彼が2人きりになり、そうして彼が消える。私はいつも最後なのだ。せめて私を先に消してくれればいいのにその辺りにだけは私に配慮はないらしい。だから六道くんの消える瞬間、私はいつも見逃すまいとじっと見続けている。

『ねえ六道くん』
『何ですか?』
『今度はあなたの世界が見たいの』

 そう言うと、六道くんは目をほんの少し丸くしてからいつものようにクフフと笑った。『考えておきます』いずれ反映されるかどうかは分からない。是も否も、彼は言わない。彼は約束をしてくれない。だけどそれで良い。本当は会いたくて、触れたくて、この気持ちを伝えたいのにそれができない歯がゆさと情けなさはいつも六道くんを目の前にすると彼の隣に居れるだけで幸せなのだという気持ちが上回り忘れてしまうのだ。

『夜、』
『なあに?』

 たまに名前を呼ばれると”私”という人間を認識してくれているのだなと実感する。決して甘えを感じさせない声で問いかけると今日は珍しくご機嫌なのだろう笑みを浮かべたままの六道くんは私の頬に触れた。赤い右目、青い左目。この世界に赤い色はなく、だけどその青は空でも海でもない。例えるなら宝石。見る面によって色を変える美しい結晶のようだ。
 ふ、と細められる目。吐息が感じられる距離。どうしていいのか分からず突っ立っていると六道くんは耳元で静かに囁いた。





「――どうして、」

 バチリ。目を開くと何よりも先にその言葉が出た。視界が滲んでいて、手をやれば頬には涙の跡。どうやら眠っているうちに泣いていたようだった。長く寝続けていたせいか重たい身体を起こしそのまま両手で顔を覆う。漏れる声を隠すためだった。他に誰もいない、無機質な部屋だけどまるで彼がそばに居るような気がしたのはあの世界が崩壊する前に触れられたからだろう。ああ、あの世界が本物ではないのならこの感触は何だって言うのか。早く忘れてしまいたい、――忘れてしまいたくない。矛盾した思いのまま、とうとう耐えきれず涙を流し声をあげる。


 ”海は君が行きたいと言っていたんですよ。君は覚えていない、些細な会話の流れだったのかもしれませんが”

 ”僕はきっと、連れていってあげられないから”



 ……そんなことをわざわざ伝えるぐらいなら、逢いに来てよ。


「夢で逢瀬、泣いて目が醒める」リクエストありがとうございました!
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