よくもまあこんなに毎日湧いてくるものだ。
 足元に転がる咬み殺した草食動物共を一瞥し、トンファーを振って付着していた血を飛ばした。

「一度家に帰る。後は任せたよ」
「はっ」

 咬み殺し終わったものに興味など一ミリも無い。
 地べたに転がるそれらの処理を委員に任せ、彼がいるであろう己の家へと脚を向けた。
 携帯で時刻を確認すれば十五時を回ったところで、それを認識した途端空腹を感じ息を吐く。
 別に昼食などその辺の店に入ればタダで食べれるのだからそうすれば良いのだが、今自宅へと向かっているのはそこにいる居候が理由だ。
 昨日、暴風雨が去った夜に転がり込んだ居候。
 今まで自分の領域に人を長時間置いた事が無く、しかもそれがあの獄寺隼人なのだから不安に思うのは当然の事だろう。
 家にある物は好きに使って良いが壊したり散らかしたりはするな、と伝えてはいるがあの問題児がそれを守れているかは疑問だ。
 何せ彼とは今まで深い関りを持った事が無いのだから、彼がどういう人間なのか理解しきれていない。
 昨夜の短い時間で、彼はもしかしたら今まで自分が抱いていた印象とは本当は違うのかもしれないと思ったりもしたが、それは確信も無く何となくそう思った程度だ。
 もし彼が自分を始め周囲のイメージにあるような行動を家の中で取っていたとしたらしっかりと躾をしなくてはならない。
 自分から招き入れた居候とはいえ、躾は必要だろう。

 僕がいない家で、あの草食動物は何をしているのか。

 その確認の為の一時帰宅だった。










 鍵を開け、帰ってきた家は予想に反して静まり返っていた。
 彼の靴はあるし、確かに気配もする。
 なのに物音一つしない。
 テレビも点けずに彼は何をしているのだろうか。
 もしかして昼寝でもしているのかとリビングに足を踏み入れるとすぐに獄寺の姿が目に入った。
 彼は眠っていなかった。
 昨夜、文句を言いながらも眠ったソファーで膝を抱えるようにして座り、眼鏡をかけて本を読んでいる。
 その全く予想していなかった姿に思わず動きを止め見つめてしまうと本から顔を上げた獄寺と目が合った。

「なんだ、もう見回り終わったのか?」
「…いや、昼食を取りに来ただけだ。食べ終わったらまた出掛ける」

 本当は彼が何か問題を起こしてないかの確認が主な目的だったのだが、それを正直に言ってしまえば彼はきっといつもの調子で突っ掛かってくるだろう。
 それが何となく嫌でおまけ程度だったもう一つの理由を口にした。
 この、今まで見た事の無い穏やかな空気を出している彼との空間を壊したくないと思った。

「…君、目悪かったんだね」
「ん?」
「眼鏡」
「ああ、俺遠視入ってるから。近くのものだと見ずらいんだよな」

 裸眼だと疲れるから本読む時は大抵掛けてる、とローテーブルの上に読みかけの本と合わせて外した眼鏡を置いた。
 置かれた本の表紙を見てみると日本人ならば知らない人は殆どいないであろう有名文学作者の名前が書かれているが、作品自体はかなりマイナーな物だ。
 有名な作品もある中で何故彼はこの作品を選んだのだろう、と何となく疑問に思う。

「随分マイナーな作品を読むんだね」
「あー、有名どころはもう殆ど読み尽くしちまったから」
「へえ」

 成程、彼は読書家なのか。それもかなりの。
 意外な彼の趣味に傍目ではわからないだろうが僅かに口角が上がる。

「その作品は僕も昔読んだ事がある」
「まじか。あ!じゃあさお前のおすすめの本とかある?色んな本読みすぎちまって次何読めば良いか毎回すげー悩んじまうんだよな」
「君がどんな作品を好むのかによる。いつもどんな本読んでるの」
「んー?何でも読むぜ?まあこういう文学作品が中心だけど詩集とか古典作品とか倫理、哲学書とかも読むし…あー、海外の本も結構読むな」
「…全く参考にならないね」

 口ではそう言いながらも内心はかなり驚いていた。まさか彼がここまでの読書家だったとは。
 普段の喧嘩っ早くてすぐダイナマイトを放り投げる姿からこんな彼を想像できる人間がいるだろうか。
 自分もそれなりに本を読むがさすがに詩集や哲学書の類までは手を出したことが無い。

「それなら古本屋で軽く試し読みして面白そうなのを選べばいいんじゃないの。確か君の家の近くに古本屋あったでしょ」

 普通の本屋ではじっくりと試し読みするのは難しいかもしれないが、古本屋ならば多少は気兼ねなく出来るだろう。
 しかも確か彼はお金が無いと言っていたし、それならば尚更古本屋の方が都合が良いだろう。
 そう思い言えば、彼は視線を逸らし、口を少し尖らせて拗ねたような表情見せた。
 …この表情も初めて見る。

「…あそこの店、漫画ばっかで文学作品は少ししか置いてねえんだよ」
「…なるほどね」

 だから有名作品は殆ど読み尽くしてしまったというわけか。
 大方その店の文学作品のスペースには狭いからこそ売れそうな有名作品ばかりを置いているんだろう。
 漫画ばかりを置いているのはこの辺りは並盛中を始め学校が多く、客層が学生中心だからなのだろうが読書家の獄寺には全く合わなかったようだ。

「じゃあ古書店に行ってみると良い」
「古書店?」
「商店街の金物屋の所に細い脇道があるでしょ。そこを暫く行くと古書店がある。君が読むような本も置いてあると思うよ」
「へえ!」

 良い事を聞いたと言わんばかりに目を輝かす獄寺に自然と口元が緩む。
 この歳でそういった文学作品を好む人間は決して多くない。
 自分以外にこんな身近にそんな人間がいたとは。しかもそれがあの獄寺隼人だなんて。
 面白くて仕様が無い。
 共通点なんて無いと思っていた彼との意外な共通点に僕は酷く楽しい気持ちになっていた。
 その楽しい気持ちのまま僕はポケットからキーケースを取り出し、そこから鍵を一本外して彼に向って放り投げる。
 突然放り投げられたそれに彼は驚きながらも即座に反応し、掴んだ。

「え、なに」
「この家の鍵。出掛けるなら必要でしょ。それ使って」
「え、お前は?」
「合鍵がある」

 全く。誰も入れた事の無い自分の家に人を泊めたどころか、その人間に鍵まで渡してしまうなんて。
 自分自身でも信じられない行動だ。
 けれどそんな行動をとってしまう自分を不快に思わないし、寧ろこれは自然な事のように思えた。
 昨夜、彼と会ってからまだ二十四時間も経っていないが確実にこの短時間で彼との関係に変化が起きている。自分の気持ちにも。
 他人によって自分の何かが変えられるなんて不愉快以外の何物でもないと思っていたのに、意外と悪くないと感じられた。
 さんきゅ、と小さく聞こえた声に、どういたしまして、と答え、上向きの気分のままキッチンへと向かう。
 狭くは無いが特別広くもない対面式のキッチンには必要最低限の物しか置かれていない。
 ケトルに電子レンジ、トースターと炊飯器。
 元々寝る為だけに持っている家だ、然程使われていないそれらは購入当時と変わらず綺麗なままで、それはシンクやコンロも同様だ。
 ともすれば生活感があまり感じられないその場所は今は朝食をとった形跡が残っているが綺麗なままで。
 そう、今朝、有り合わせの物で適当に作り、獄寺と朝食をとって片付けた、そのままの状況。
 コップ一つさえ使った形跡の無い、朝見た時と何一つ変わらない光景に僕は視線を向けることなく彼の名前を呼んだ。

「…獄寺」
「んあ?」

 気の抜けた返事をする彼がのそりと立ち上がり、こちらにやって来る。
 その姿は他の人間と比べるまでも無く、明らかに平均より細いのがわかる。

「君、昼食とった?」
「いや?とってねえけど?」

 それがどうしたと言わんばかりに首を傾げる彼に思わず溜息が漏れた。
 そう、目の前のキッチンは朝の景色と何も変わらないのだ。それは自分がいない間、全くこの場所を使っていなかったという事を表している。
 家に帰ってくる前に確認したが、時刻は十五時をとっくに回っている。
 見回りをずっとしていた自分と違って彼は家から一歩も出ずに恐らくは本を只管読んでいた筈だ。
 なのに昼食もとっていないとは。

「だからそんなに細いんだよ。ある物で適当に食べてって言ったじゃない」

 確かに自分は今朝家を出る時に彼にそう言った。
 寝る事だけが目的のような家でもここ最近は毎日使っている家だ、簡単な食事が出来るぐらいの食材は用意してある。
 普段彼がどんな食事をとっているかは知らないが何かしらは食べられるだろうと思いそう言ったというのに。
 当の本人は「別に普通だろ、そんな細くねえよ」と不満顔を見せている。

「本読んでると集中すっからあんま腹減らねえんだよ」
「…普段からそんな生活してるの?」
「大体は。学校がある時は十代目と昼食はご一緒するから購買のパンとか食うけど、休みの時はめんどくせえし金かかるから食わない事が多いな」

 そもそもあんまり料理出来ないから食うとしてもゼリータイプとかクッキータイプの栄養補助食品食べるぐらいかなーと言う彼に本気で呆れてしまう。

「…君の分も作る」

 本当はトーストでも食べてさっさと見回りに戻ろうと思っていたのだが、こんな偏り過ぎた食生活を送っている人間を置いていけない。自分のいない間に家で倒れられたら迷惑だ。
 まじで、と驚く獄寺を無視し、この不健康体に栄養を摂らせるべく冷蔵庫の野菜室を開けた。










「お前、料理上手いよなぁ」

 リビングのローテーブルを挟むようにして座った獄寺がうどんの上に乗ったほうれん草を食べながらしみじみと呟く。
 作ったばかりの湯気が立つうどんの上にはほうれん草と椎茸、刻んだ葱が乗っている。
 本音を言えばもっと野菜を食べさせたかったが、冷蔵庫に大した入っていなかったので仕方が無い。
 これは帰りにでも買い出しに行かないと駄目だな、と考えながら椎茸を口に入れた。

「そう?普通だと思うけど」
「朝飯だってささっと作ってたじゃん?手際良いし美味いし、すげえなぁって」

 朝はただ魚を焼いて、豆腐の味噌汁をつけただけだ。
 今もちょっとした具が乗っただけのうどんを作っただけで、何の手の込んでない、大抵の人間が作れる物しか作っていない。

「君だってこのぐらい作れるでしょ」
「いや、多分無理。俺日本食全然作れねえんだよ。簡単なイタリアンしか作れねえ」
「ふうん」

 成程、全く作れないというわけではないのか。
 という事は普段は本当にただ面倒臭くて作っていないのだろう。
 確かに忙しい時や疲れて帰ってきた時は作るのが面倒な時も有りはするが、と、そこまで思ったところで一つの考えが浮かんだ。妙案が。

 そうだ、作るのが面倒ならば彼に作ってもらえば良いのだ。

「獄寺、夕ご飯は君が作ってよ」
「は!?」

 まさかそんな事を言われると思っていなかったのだろう、驚いた拍子に彼の箸からうどんが滑り落ち、テーブルに汁を飛び散らせる。

「ちょっと汚い。そこにティッシュあるから拭いてね」
「いや、いやいやいや!何で俺が夕飯作るんだよ!」
「何、君、三食全部僕に作らせるつもりだったの?只でさえ居候させてもらってる身なんだから夕食ぐらい作ってくれても罰は当たらないんじゃない?」
「う…!で、でも俺料理出来ない、」
「簡単なイタリアンなら作れるんでしょ?」

 さっき君がそう言っていたよ、と笑って見せれば目に見えて言葉に詰まる。
 恐らく彼自身も世話になっているという申し訳なさを感じているのだろう。
 そしてこのまま世話になりっぱなしで良いものかと思っている。
 …これはあと一押しかな。

「食材費なら全て僕が出すし、何なら欲しい物を連絡してくれれば買ってくるよ。君が夕食を作ってくれる代わりに君がいる間は毎日朝食と昼食は僕が作ろう」
「で、でも、俺、お前の連絡先知らないし、」
「そんなの後で教えてあげるよ」

 まだ他に何か?

 口の端を持ち上げ、目を細めて目の前の彼を見つめる。
 自分で言うのも何だが恐らく今の自分はとても良い笑顔をしている事だろう。もう勝利は確信している。
 再度言葉に詰まった彼が、けれど観念したようで息を深く吐き出した。

「…大したもんは作れねえからな」
「うん、良いよ」

 これで彼は三食しっかり食べるという健康的な食生活を送れるし、僕は疲れた体で料理を作らなくて済む。良い事尽くめだ。
 とは言っても後六日の間だけだが。

 そこまで考えて、そういえばこの事をまだ伝えていなかった事を思い出す。
 帰ってきてから色々と予想外な事が起きてすっかり忘れていた。

「君の家、後六日で直るそうだよ」
「へ?」

 ぼーっとした様子でうどんを啜っていた彼の目がこちらを向く。
 大方、夕食に何を作れば良いのか悩んでいたんだろう。
 意外な姿を見せていたと思えばこうやってわかり易いところもあったりして、本当見ていて飽きない男だ。

「六日って、お前後一週間以上はかかるって言ってなかったか?」
「そうだったんだけど、さっき僕が電話したら最優先でやってくれるって話になってね」
「…お前がどう思われているかがよくわかるな」

 呆れた様子で笑う彼に、僕はただ後何日で出来るか訊いただけだよと言えば、どうだか、とまた笑う。
 実際脅すような事は一切言っていないのだが、もし期間の短縮が一切無かった時は多少圧をかけようと思っていた事は事実だ。
 空気が読める相手だったので今回はしなくて済んだが。
 後六日ならギリギリだが夏休み中に終わるという事になる。
 それは獄寺にとっても有難かったらしく、安堵した様子が見て取れた。
 けれどそれも一瞬で、すぐに彼の表情は曇り、何やら僕の様子を窺うように視線を向けてくる。
 明らかに何か僕に言いたいが、言うのを躊躇しているといった感じだ。

「何」

 言いたい事があるなら言いなよ、と促せば獄寺は目を伏せ、視線を彷徨わせた。

「あー…いや、ここまで世話になっといてさすがに悪いし、言い辛いっつーか…」
「悪いかどうかは僕が決める。何」

 どうやら彼の様子から何か僕に迷惑が掛かると思って言うのを渋っている事があるようだ。
 だが僕にしてみれば言う前から勝手に人の気持ちを決めつけ、目の前で悩まれる方が迷惑だし不愉快だ。
 早く言えと僅かに強めた語調と視線で先を促せば戸惑いがちながらも彼の口が開く。

「…ピアノ…」
「ピアノ?」
「俺んちにピアノがあって…触んないと何か落ち着かなくて…もし出来るならここに運びたいなー、なんて…」
「………」

 反応の無い僕にやっぱり迷惑だったのだろうとでも思ったのか、まあ六日間だけだし我慢すりゃ良いんだけどよ、と取り繕うように眉を寄せながら笑ったが僕が黙ったのはそんな理由からではない。
 確かに普通ならば考えられないだろう。
 僅か六日間の為に人の家にピアノを運ぶなんて常識的ではない。
 彼もそんな事はわかっているからこそ、これだけ言い辛そうにしていたのだろう。
 けれどそんな突飛な事を言う位、彼にとってピアノという物が大切な事がわかる。
 彼がピアノを弾けるという事自体知らなかった僕には、それは酷く驚く事で。
 その驚きのあまりすぐには言葉が出なかった。
 偏り過ぎた食生活、ジャンルに捉われない程の読書家で、数日間ピアノに触れないだけで落ち着かない。
 今まで全く知らなかった姿ばかりだ。
 彼は一体、どれだけ僕の知らない姿を持っているのだろう。
 それは僕の胸を酷く高鳴らせた。

 獄寺へ返事はせず、ポケットから携帯を取り出して慣れた手つきでまだ外で巡回しているであろう自分の右腕的存在に電話をかける。
 優秀な彼は二コール目ですぐに電話に出た。

「獄寺の家にあるピアノを僕のマンションに運ぶよう手配して。出来るだけ急ぎで」

 電話口にだが突然の僕の指示に驚いている様子が伝わる。
 目の前の彼も目を大きく見開き、口をぽかんと開けている。
 耳元の機械からはすぐに「わかりました」と音が返ってくる。そこに理由を尋ねる声は無い。
 副委員長は獄寺が今僕の家にいる事も知らないし、何故僕がこんな指示を出したのか想像すらも出来ていないだろう。
 けれど余計な事は聞かず、察して僕の指示に従う。
 彼のそんなところは結構気に入っていたりした。

「うん、そう。…獄寺、ピアノってグランドピアノ?」
「え、あ、ああ、そうだけど」
「そうだって。うん、宜しく頼むよ」

 指示を出し終わり通話を切る。
 目の前を見れば獄寺は変わらず呆気にとられた間抜け顔のままで思わず笑ってしまった。

「何?」
「い、いや、まさか本当に運んでくれるとは思わなくって…」
「…君に遠慮は似合わない」
「…んだよ、それ」
「そんなつまらない気なんて使わずに何でも僕に言えば良いって事だよ」

 そう言えば彼は小さな声で礼を言い、再び麺を啜り始めた。
 その白い肌は目に見えて赤く染まっていて、口元が自然と綻んでいく。

「…君の知らない一面を知るのは悪くないね」
「?何か言ったか?」
「何も」

 すっかり温くなってしまったうどんを啜る。
 麺は伸びきってしまっていたが、不思議と不味くは感じなかった。

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