一体俺が何をしたというのか。
 どのテレビ局の天気予報でも外出は控えて下さいと促すレベルの暴風雨。
 そんな中急遽休んだ奴の代わりにバイトに出た俺は褒められても良いくらいだと思う。
 いつもならこんな天気の日に、しかも人の代わりでなんざ絶対そんなの行くかとなるところだが、今は夏休み中。
 十代目はご家族とご一緒に旅行中で、夏休みの宿題もとっくのとうに終わらせていた俺は暇を持て余していたというのと、最近ダイナマイトの仕入れで金欠になっていたというのもあって出てやっても良いかなと思ってしまったのだ。
 そんなこんなで夏休みも残り一週間という今日、傘一本を代償にし暴風雨の中バイト先のコンビニへ出勤した。
 傘はぶっ壊れるし、ズボンはびしょびしょになるしで散々だったが、暴風雨のピークが仕事中にきたのは不幸中の幸いだった。
 仕事が終わり帰る時にはさっきまでの雨はどこへやら、雨はすっかり上がっていて、これでびしょ濡れになって帰らなくて済むと内心喜びながら水溜まりだらけの夜道を歩いて帰って。
 今日はもうシャワーを浴びて、少しだけピアノを弾いて。んでさっさと寝ちまおうと帰ってきて家のドアを開けた瞬間、目に入った光景に思わずフリーズした。

 もう一度言うが、一体俺が何をしたというのか。

 まだ電気も点けていない真っ暗な部屋だったがそこが明らかにいつもと違うのはわかる。
 室内だというのに感じる外気と風。そして湿った空気。
 今は夏だが、俺はいくら暑いからといって出かける時に窓を開けっ放しになんかしない。しかも今日のあの天気で窓なんて開ける筈が無い。
 なのに今確かに肌で感じる空気は間違い無く外のものだ。
 何故窓も開けていなかった自分の部屋で外の空気が入ってきているのか。
 それは視線の先、暗いリビングに浮かび上がる物体を見れば一目瞭然だった。

「まじかよ…」

 一メートルくらいだろうか、葉が付いたままのそこそこ太い枝がリビングに落ちている。大量の硝子の破片と共に。
 半ば呆然自失となりながらも部屋に足を踏み入れればベランダへと出る為のガラス戸が大きく割れていて、そこから雨が入り込んだのだろう。辺りはびしょ濡れで。
 その様子から暴風雨で折れて飛ばされた街路樹の枝が硝子戸に直撃してこの惨状を作り出したという事を瞬時に理解した。

 暴風雨の中、態々人の仕事を代わって出勤して帰ってきたというのにこの仕打ち、神様とやらがいるのならば胸ぐらを掴んで怒鳴りつけたい。
 しかし今この場に神様は勿論、この行き場のない怒りをぶつけられるような存在など無く、この後どうしたものかと怒りと共に大きな溜息を吐き出すしかなかった。















 夏休み中は咬み殺さなくてはいけない草食動物共が多くて困る。
 夏の暑さで頭が沸いてるんじゃないかと思えるくらいに長期の休みで浮かれ切った草食動物共が夜遅くまで煩く喚き、屯する。
 同じ長期の休みでも冬休みと違って日が暮れても暑い夏休みは夜遅くまで草食動物は出歩くので風紀委員は中々に多忙だった。
 連日の巡回、制裁。
 今日も先程まで商店街で咬み殺してきたばかりだ。
 昨夜から今日の夕方頃まで稀にみる悪天候で、今日はさすがにそんな出歩く馬鹿はいないと思っていたのに馬鹿はやはり馬鹿らしい。
 雨が上がったと見れば湧き始めた草食動物を咬み殺し、気付けばこの時刻。
 残りは委員に任せようとまだ乾ききっていない道を歩き、自宅へと向かう途中、泥濘が残る公園に足を踏み入れた時だった。
 ふと公園灯に照らされたベンチに座っている銀色に気付く。
 この並盛に銀色なんて一人しかいない。
 並盛中始まって以来の問題児であり、さらに秀才でもある帰国子女、獄寺隼人。
 その銀の髪が公園灯の決して明るいとは言えないぼやけた光を反射し、鮮やかに闇夜に浮かび上がっている。
 まるでそこだけ違う空気が流れているような光景に自然と脚は向かった。
 トンファーを構えることなく向かったのは自分の事ながら何故かわからないが、きっとこの空気を壊したくないと心の何処かで思ってしまったからだろう。

「こんな時間に何をしてるの」
「…ヒバリ」

 どうやら手元の携帯に集中していて僕が近付くまで気付かなかったらしい。
 手元から顔を上げた彼の瞳は灯に照らされ煌いて揺れた。
 その碧眼には疲弊が見て取れた。

「帰宅時間はとうに過ぎているけど」
「知ってる。…帰りたくても帰れねえんだよ…」

 溜息混じりに吐き出された言葉に眉根を寄せる。
 よく見れば彼の傍らには一、二泊位出来そうなボストンバッグが置かれている。
 彼の言葉とボストンバッグ、そして疲弊した様子から家を追い出されたのかとも思ったが、確か彼は一人暮らしの筈だ。
 転入してきた時の書類にイタリアから単身やってきて、名前、生年月日、住所や簡単な連絡先しか書かれておらず、その他は家族構成どころか保護者の欄さえも空欄。何だこの適当な転入届はと思った記憶がある。
 その届通り一人暮らしをしているならば帰りたくても帰れないという事にはならない筈だ。
 どういう事だと目を細めれば思っている事は伝わったらしい。
 溜息を一つ吐いて携帯をぱたんと閉じ、僕へと向き直る。

「…暴風雨の所為で折れた木の枝が俺んちの硝子戸突き破ったんだよ。家の中はびしょ濡れだし硝子の破片だらけで帰れねえ」
「…は…」
「…んだよ、笑いたきゃ笑え」

 想像していなかった答えに思わずぽかんとしてしまったのを見て獄寺が自暴自棄気味に吐き出す。
 いつもの彼ならば苛立ちに身を任せて突っ掛かってきそうなものを、こんな投げやりな態度を見せるなんて余程疲れているんだろう。
 確かに暴風雨の影響でいくつかの家や店で軽い損壊が見られるという報告を受けていたが、まさかこんな所にも当事者がいたとは。
 しかし、この時間で部屋がその惨状とは、確かに今日はもう帰る事は絶望的だろう。

「…それでこれからどうするつもりなの」
「あー…取り敢えず今日はどっかネカフェかファミレスで時間潰すかなーって。明日管理会社に電話して修理と清掃してもらうわ」
「…明日電話するのは良いとして、その修理と清掃、一週間以上かかると思うよ」
「は!?」

 静寂を切り裂き響き渡った声の煩さに思わず反射的にトンファーを取り出し頭を殴る。
 本気で殴ったわけではないが案外良い音が響いた。

「煩い」
「いっ…!っつか一週間以上かかるってどういう事だよ!」

 本気ではないとはいえ普通の草食動物なら悶絶して暫く動けないくらいの衝撃な筈だが、そんな様子も無くすぐに睨み付けてくるのは流石と言うべきか。
 弱いくせに決して折れることなく、いつだって真っ直ぐ向けてくる瞳は意外と嫌いではなかったりする。
 けれど煩く喚くのは許容出来ない。
 トンファーを構えて見せればこれ以上喚けば二発目が飛んでくる事を察したのだろう、ぐっと口を閉じ睨み付けてきた。

「…どういう事だよ」
「委員の報告にあった。今回の暴風雨の影響で至る所に損壊が出ている。その修復依頼等でその手の会社は大忙しだ。被害を受けているのは君の家だけじゃないって事だよ」

 出遅れた君の家に手が回るのは大分後になるだろう、と告げればその顔にははっきりと絶望の色が浮かび上がった。

「一週間以上って…どうすりゃいいんだよ…んな金ねえぞ…」
「いつも群れてる草食動物はどうしたの」

 家に泊めてもらえば良いじゃない、と言えば項垂れた頭が力無くゆるゆると振られる。

「十代目も野球馬鹿も家族で旅行中だ…」
「ヤブ医者は?」
「あいつが男なんて泊めるわけねえだろ…」
「…そう」

 さて、どうしたものか。
 本来ならば草食動物の一匹や二匹、知った事じゃないし、放っておけばいい。
 しかし彼の場合はそうはいかない。
 並盛中一どころか並盛町一の問題児である彼を放っておいてなんてみろ。
 普段から喧嘩の多い彼は他校にも敵が多い。
 そんな彼を放っておけばファミレスだろうがネットカフェだろうがそこは忽ち喧嘩の舞台に早変わりだ。
 金が無い、という発言からもホテルに滞在する等という事も到底不可能だろう。
 …となると、もう取るべき選択肢は一つしかない。
 溜息を吐き出し、公園の出口へと体を向ける。
 そして悲壮感漂う彼に視線を向けた。

「…ついてきて」
「え?」

 展開についていけてないのだろう、え、は?と意味の成さない言葉を発し、戸惑っている。
 そんな彼に置いてくよ、と言い、さっさと歩みを進めれば慌てて荷物を掴み駆け寄ってくる気配がした。
 後ろから小走りで近付く彼にスピードを落とすことなくいつもより若干速足で歩く。
 彼も疲れているのだろうがこっちだって連日の制裁続きで疲れているのだ。早く帰って休みたい。

「ちょ、ヒバリ、どこ行くんだよ」
「僕の家」
「…え?」
「だから僕の家」

 まさかそんな展開になるとは思ってもいなかったのだろう、すぐ後ろから彼が息を呑んだのがわかった。

「え、お前、正気か?」
「何、あのままほっぽり出されたかったの?」
「いや、そうじゃねえよ!そうじゃなくて、お前、そんな事するような奴じゃねえじゃん!」

 確かにそうだ。
 そんなの自分でもわかっている。
 他人を自分の家に泊めるなんて嫌に決まっているし、しかも相手は獄寺だ。
 幾度となく共通の敵相手に戦い、ボンゴレ等というマフィアの指輪を受け取ってはいるが仲間だと思った事は無いし、ましてや友人等と考えた事は皆無だ。
 只の問題児で弱い草食動物。
 それだけの認識の人間を自分の領域である家に泊めるなど普段ならば考えられない。
が、今は非常事態だ。

「君を放っておけば他校の人間に絡まれて問題を起こすのは目に見えている。風紀が乱されるぐらいなら僕の家に泊めた方がましだ」

 只でさえ次から次へと湧いて出てくる浮足立った草食動物共を咬み殺すので忙しいというのにこれ以上問題を起こされるなんて堪った物じゃない。
 そう、これは決して彼への親切心等ではない。
 僕の言葉に納得したのだろう、さっきまでの戸惑う空気は消え、斜め後ろの位置から隣へと移動してきた。
 視界の端に銀色が揺れる。

「お前の家って確かすげえでかいんだろ?聞いた事ある」
「実家はね。今から帰るのはマンションの一室だからそんなに広くない」
「…は?」

 きょとんとした顔が僕を見る。
 いつもの眉間に皺を寄せて険しい顔ではない、幼さを感じる表情。

 悪くない。

 何故かそう思った。

「今みたいに忙しい時期は実家じゃなくてマンションに寝泊まりしてる。実家までは距離があるから」

 普段ならばバイクを使って実家に帰っているのだが、夏休み中は毎日のように巡回で一々家に帰るのが面倒なのだ。
 そういう時の為に持った家だったが、まさかこんな事に使われる時が来るとは。

「…お前ってさ」
「何」
「つくづく普通じゃねえよな」
「…君に言われたくないな」

 自分が世間一般で言う普通に当て嵌まるとは思っていないが、彼もそうだろう。
 僅か十四歳でイタリアンマフィアで。
 空欄ばかりの転入届と、周りの言動や雰囲気から何となくではあるが察する事の出来る複雑な家庭環境。
 彼の過去を聞いた事は無いが、普通と言われるものと程遠い環境で生きてきたのは想像に難くない。
 そもそも十四歳で保護者も無く単身イタリアからやってきて一人暮らししている時点で普通ではない。
 そう思い言った言葉に獄寺は「確かに」とどこか陰った笑みを浮かべた。










 ここに人を招き入れたのは初めてだった。
 実家の方には報告等で委員が出入りする事はよくあるが、この家は忙しい時期にただ寝る為だけに用意したものだ。
 風紀委員もこの家の存在自体は知っているが、場所まで知っているのは草壁だけだろう。
 その草壁も訪れた事が無いのだから正真正銘自分以外で家に足を踏み入れたのは彼が初めてという事になる。
 夏休み中、毎日使っているマンションの一室。
 キーケースから鍵を取り出しドアを開ければ、当たり前の如く中は暗闇。
 探る事無く押し慣れた壁のスイッチを押せば点いた明かりが目を刺激した。

「入って」
「お邪魔しまーす…」

 この家に自分以外がいるなんて何とも変な気分だ。
 いつもの太々しさは身を潜め、どこか余所余所しく部屋に上がった獄寺も落ち着かないのかそわそわと辺りを見渡している。

「そこのドアがトイレで向かいのドアが浴室。家にある物は壊したり散らかしたりしなければ好きに使っていいから」
「おう…なあ、お前ここ、一人で使ってんだよな?」
「そうだけど」
「…めちゃくちゃ広くね…?」

 肩から提げたボストンバッグを下す事も無く、リビングに立つ獄寺がこちらを見る。
 自分にとっては見慣れているリビングにはテレビとローテーブル、そしてソファーぐらいしか置かれていない。
 確かに一人で使うにはやや広いのかもしれないが、この家具の少なさがまた余計に部屋を広く感じさせているのだろう。

「そんなに言う程広くもないと思うけど。寝室は狭いしね」
「いやいや、十分広いだろ!グランドピアノ入れても余裕の広さだぞ…普段使ってないとか勿体ねぇ…」

 何やらぶつぶつ言っている獄寺を無視して寝室へと通じる扉を開ける。
 そこはクローゼットとベッドのみの部屋で正に寝る為だけの部屋だ。
 クローゼットを開ければハンガーに掛けられた数着の着替えと、畳まれたリネンセットが目に入る。
 そこから目的のブランケットを一枚取り出し、リビングに戻れば獄寺は未だ先程と同じ場所に立ったままだった。
 その所在無さ気な雰囲気ながら、気を張り詰めている様子は普段の群れている彼の姿とは違う。
 他人の領域に足を踏み入れたことによる警戒心。
 無意識なのかもしれないがそれがぴりぴりと伝わってきて、もしかして彼は自分に似ているのかもしれないと思った。
 飼い慣らされた草食動物ではなく、孤独な野生の獣。それこそが彼の本質なのかもしれない。
 そんな姿は悪くないが、この自分の空間で見せられるのは何故だか気に食わないと感じた。

「…荷物くらい下ろしたら。あとそんなに気を張り詰められるとこっちが疲れるから止めて」
「…あ、わり…」
「シャワー浴びてくるから君も寝るなり後でシャワー浴びるなり好きにして。タオルは脱衣所にあるから。後これ」

 はい、と先程クローゼットから持ってきたブランケットを手渡す。
 すると獄寺は素直にそれを受け取った後、こてんと小首を傾げた。
 随分と幼く感じるその仕草にこれもまた普段の彼からは想像も出来ない姿だな、と顔には出さず心の中で思う。

「何、これ」
「見てわからないの?ブランケットだよ」
「いや、そりゃわかる。俺が訊きたいのは何に使う為に渡したかって事で」
「さすがに夏とはいえ何も掛けないで寝るのは寒いでしょ。いらないなら使わなくても良いけど」
「…ん…?いや、だってベッドあるんだろ?」

 そこまできて漸く彼が何を思い、疑問に思っているのか理解した。
 彼は何と図々しくもベッドを使う気でいたようだ。

「ベッドになんて寝かせるわけがないでしょ、一つしか無いんだから。君が寝るのはこのソファーだよ」
「は!?何でだよ!客人だぞこっちは!」
「頭良い癖に客人と居候の違いもわからないの?寝床を提供してあげてるだけ有難いと思いな」
「んな狭いソファーで寝れるか!お前がソファーで寝ろ!」
「ワオ、居候風情が家主の寝床を取ろうっていうの?随分な恩知らずっぷりだ」

 疲れているというのに尚もぎゃあぎゃあと喚く男にトンファーを叩き込んだのは当然の事と言えるだろう。



 こうして今まで接点らしい接点も無かった彼との期間限定の生活が始まった。

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