あの日君の体温を感じながら終わった僕の人生は、君によって再び始まった。
 この胸を震わし、体を熱くさせる程の歓喜を、欣幸を、きっと誰も理解できないし、理解してほしいとも思わない。
 けれど同じ位の喜びと幸福を君に与えたいと、この鮮やかな世界でそう思う。

「ひばり…?」
「うん」

 震える声で僕の名を口にする彼に微笑む。
 瞬間、泣き出す寸前のようにくしゃりと顔が歪められた。揺れる瞳からはこの距離でも様々な感情が綯交ぜになっているのがわかる。
 それだけで彼が今この瞬間までどれだけの想いを抱え生きてきたのかが伝わり、彼を抱き締めたい衝動に駆られた。

 けれどその前に片付けなくてはいけない事がある。

「嵐の守護者に続き雲と霧の守護者まで現れるとは…」

 獄寺と対峙していた男が呟く。六道が言っていた事が正しいのならばこの男こそが匣を組に売ろうとしている人物なのだろう。
 そして恐らくは件の元凶。
 男の呟いた声は決して大きくはなかったが静かな倉庫の中でよく響き、耳に届いた。

「完全な想定外ではあるが…私の作った匣のデモンストレーションには丁度良い!」

 狂気じみた悪声に眉根が寄る。この手の人間は数え切れないほど見てきた。だからこそ知っている。狂った人間には話など通じないと。
 男が藍色の炎で匣を開匣し、中から出た短剣を構えたのを見た瞬間、僕は地面を蹴った。
 獄寺の横を通りアスファルトを駆け、握ったトンファーを勢いのまま男に向けて振り下ろす。男が笑みを浮かべたまま短剣で受け止め、金属同士がぶつかる大きな音が倉庫内に響き渡った。手に何十年か振りの衝撃が伝わる。

「ちっ…!」

 思わず舌打ちする。
 地面を蹴った時点で気付いてはいたが、体が重い。まるで他人の体を借りているようだ。
 記憶が戻った事により戦闘に関する感覚は昔のものだが、その感覚に今の体がついていかない。
 当然と言えば当然だ。前世と違い極々普通の一般人と同じような生活をしていた体がすぐに順応し、戦いに対応できるわけがない。圧倒的に筋力が足りない。

「っ、!」

 マインゴーシュに似た両刃の短剣を逆手に持ち、攻撃を受け止めた男がにたりと笑う。そのままトンファーを弾き、反対の手に握っていた同じ短剣で斬りかかる。それを後ろへ飛び、躱した。
 近距離型で両刀。戦闘スタイルは自分と近い。だからこそぶつかり合えば力量の差は如実に出る。この程度の相手ならば前世では一瞬で倒せていたが、それが今の自分には出来ない。
 護身術ではなくもっと戦闘向きの武術を身につけていればまだまともに体が動かす事が出来たのだろうが、と考えるが今更そんな事を考えたところで無意味だ。そもそも平和な世界で記憶も無く生きてきた自分にこんな日が訪れるなど思う事も無かった。
 動体視力も元は筋力だ。使っていなければ衰え、鍛えれば研ぎ澄まされていく。今の自分は一般人と然程変わりはしない。そんな動体視力では相手の繰り出す攻撃を避けるので一杯で反撃の糸口が中々掴めない。
 記憶の中の自分と現実の自分の肉体の差。思い通りに動かない感覚に苛立ちが募っていくのがわかる。
 苛立ちは思考も動きも鈍らせる。男の斬り上げた短剣が肩を掠める。コートの肩口が斬られた感覚がした。

「雲雀っ!」

 獄寺の悲鳴にも似た声が耳に届く。それと共に不愉快な笑い声も。

「クハハハ!あの雲雀恭弥が聞いて呆れますね!やはり僕や隼人君に任せて貴方は後ろで隠れていた方が良いんじゃないですか?」

 やはりあの男は人の神経を逆撫でる事に関しては天才的だ。今すぐにでも顔面をトンファーで殴り飛ばしたい衝動に駆られ、攻撃を避けながらちらりと視線を移せばいつの間にやら取引時間になっていたらしく倉庫に姿を現し始めた組の人間相手に藍色の炎を纏う三叉槍を振るう男が見えた。
 その動きは記憶の中にあるこの男と同じで、それがまた気に食わなく心の中で舌打ちする。

 これが記憶を持っていた人間と持っていなかった人間の差か。

 例え今の世界で昔のように戦う事が無いとしても記憶が有ると無いとでは筋力の付き方は大きく変わるだろう。本人は意識せずとも無意識の内に記憶の中の感覚との差異を埋めようと体を動かし、自然と前世と似た体の作りとなっていく。だからこそあの男は自分の体に違和感を感じる事無く前世と同じように戦う事が出来る。
 それをたった数分前に記憶を取り戻した自分が同じようにやろうとしても無理だ。そんな瞬間的に人間の体は変わらない。

 ならば技術で補うしかない。

 躱し続けていた相手の攻撃を左のトンファーで受け止め、思い切り弾く。それによって男の体が僅かによろけた。
 今だ。
 左足を軸に体を捻り、遠心力を利用して右腕を振り被る。力が足りないのならば別の力でそれを補えば良い。
 体を後ろまで捻る分、モーションが大きくなり隙も出来るがその分遠心力が上乗せされ威力も大きくなる。瞬時に変えた戦闘スタイル。
 肋骨を砕くつもりで振り被ったその一撃は体勢を崩しながらも出した男の短剣に当たった。大きな金属音が響き、衝撃が右手にびりびりと伝わり歯を食いしばる。

「っ…!」
「ぐ、あ…!」

 金属同士がぶつかる衝撃が骨にまで響く。たかがこれだけの事でここまで負荷がかかるとは。
 男が大きくバランスを崩すのが見える。痺れの残る右腕では十分な攻撃は出来ない。咄嗟にトンファーを握る左手に力を込め、多少無理な体勢ではあったが振り被ろうとした瞬間。

「伏せろっ!」

 届いた声に一瞬の躊躇も無く従い、身を低くする。目の前を一閃の赤い光が通った。目を奪う鮮烈な美しい赤が。
 その赤が男の肩を貫き、声を上げて倒れ込む。それを最後まで見る事無く、僕は視線を赤い光が放たれた方へと移した。

「獄寺」

 澄んだ赤い炎を纏う弓を構えたままの彼と目が合う。苦しげでありながらも真っ直ぐと見つめてくるその視線に心が満ちていくのを感じる。
 彼が確かに僕を見ている。前世に思いを馳せるわけでもなく、遠くを見て恐れるわけでもなく、今この時の僕を。
 その瞳に、凛とした美しさに、懐かしさと共に込み上げた喜悦のままに僕は目を細め微笑んだ。




「まさかオメーらが先に片付けてくれるとはな」

 匣の取引を持ち掛けていたらしい男を倒し、その取引相手である組の人間も六道が全て片付けた倉庫内。
 そこに突然聞こえた聞き覚えのある声に入口の方へと視線を向ければ入口前に立ちこちらを見る沢田綱吉と彼の家庭教師でもあったヒットマンの姿が視界に入った。

「予定外ではあったが手間が省けたぞ」

 そう言うなり後ろに控えていたらしい黒服の男数人が倉庫内へと入り、貫かれた肩を抑えながら呻き声を上げて床に転がる男を拘束する。
 先程の赤ん坊の台詞から既にこの男については調べ上げており、僕達が倒さなくても彼らが始末するつもりだったという事だろう。
 図らずも手伝うような形となったらしい事に若干気に食わない気持ちもあるが、それよりも今はこの状況について説明して欲しい。
 一方的に巻き込まれた此方とは違い、恐らく事の真相を全てわかっているであろう彼らを睨むように見れば沢田が慌てた様子で口を開いた。

「えっと、こちらもすぐに皆に連絡を入れたんですけど二人だけは繋がらなくて…それでもしかしたら何か起きてここにいるかもって、」

 どうにも要領の得ない答えに眉間に力が入る。以前の彼はもっと的確にこちらの意図を酌んでいたような気がしたのだが、もしかしたら六道が幻術を使えないように彼もこの世界では超直感とやらが使えないのかもしれない。
 そんな事を聞きたいわけではないという思いが自然と視線を鋭いものにしていく。
 それを察してか、前世と違い大人の姿の赤ん坊がハットのブリムを上げ、僕へと視線を向けた。

「俺の方から説明してやる。…どうやら記憶も戻ったようだしな」

 にやりと笑う姿に決して気分は良いものではなかったが黙ってトンファーを匣にしまい、視線で先を促す。
 予想はしていたが知らないところで自分の情報が共有されているというのはあまり気分の良いものではない。話の腰を折る程のものではないが。

「まずは俺が今何をしているか説明した方が話がはえーな。今俺はパラレルワールドから流れてくるモノを探しだしてそれを片付ける仕事をしている。そのモノによってその場で始末するか元の世界に送り返すか変わるが、今回もその件で日本に来ていた」
「パラレルワールドから…?」
「そうだぞ。オメーらの前世でだって未来や過去を行き来できる装置があったくれーだ。パラレルワールドへの行き来がもっと簡単に出来る世界があっても不思議じゃねーだろ」

 確かにそうだ。自分達のいた世界しか知らない為そこまで考えた事は無かったが、そういった世界があっても何ら不思議は無い。様々なパラレルワールドを見た入江正一や白蘭辺りはそんな世界を実際に見たかもしれない。もしかしたら今いるこの世界さえも。

「…待って下さい、パラレルワールドから流れてくるモノ、と仰いましたよね…?それってもしかして、」

 獄寺の視線が己の手に持つ弓へと向けられる。この世界に存在しない筈の匣から出た、前世で使っていた武器とよく似たそれを。

「そうだ。オメーらの今持ってる匣とリング、そしてそれを持ち込んだそこの男もだ。その男は俺達がいた世界の未来から来たらしい」
「あの世界の…」

 並盛もボンゴレも存在し、壮絶な戦いを何度となく繰り返した、自分達の記憶にはっきりと残るあの世界。
 その世界の何十年後か何百年後かは知らないが自分達が確かにいた世界の未来からこの男は匣とリングを持ち、やって来たという事か。

「未来では更に科学が発展し、パラレルワールドへ安全に行き来出来る技術も確立されているらしい。勿論一般人が気軽に使えば世界がめちゃくちゃになっちまう。だから使用できるのは一部の人間や組織、機関のみな上に、いくつもの厳密なルールが設けられている。その内の一つが『行き先である世界に存在しないテクノロジーを持って行ってはならない』ってやつだ」

 存在しないテクノロジー。この世界にそれを当てはめるのならば正にこの匣とリングの事だろう。
 先程、この男が匣とリングを持ち込んだと言っていた。という事はこの男は向こうの世界のルールとやらを破ってこの世界に来たのだろう。何かの目的を持って。

「そいつはパラレルワールドへ飛ぶ許可も取ってねえ上に存在しないテクノロジーである匣とリングを持ってきた。それでそういう違反者を取り締まる組織の人間がやって来て犯人探しに協力してほしいって依頼が俺に来たわけだ」
「でも一体何の為に…」
「…あの世界での匣研究は、雲雀、獄寺。オメーらがいた時代が最盛期だったそうだ」

 ぴくりと眉が跳ねる。
 確かに僕は財団を作り匣とリングの研究、収集を行い、獄寺はボンゴレで同じく匣研究の部門を統括、担当していた。だからこそ任務依頼以外でも匣関連で獄寺と話をする事はあったが、それから先、パラレルワールドに行き来出来る技術が確立されるくらいに科学が発展した未来であの時よりも研究が進んでいないとは。
 自分に関りの無い未来に興味は無いが、その事が純粋に意外に思えた。

「あの時代から匣研究に関して風紀財団とボンゴレは他の組織と比べて抜きん出ていた。それを実質牽引していた雲雀と獄寺がいなくなったんだ。研究は思うように進まなくなり、完全に停滞した」

 僕達が死んだ後どうなったかなんて勿論知らないが、その事を思い出しているのか暗い表情で沢田が視線を落とす。六道は目を閉じ腕を組んで倉庫の壁に凭れているがその反応の無さからそれが事実なのだと窺い知れる。

「サンプルとなる多くの匣とリングを所有していた俺達でさえそうだったんだ、他の組織の研究が進んでる筈がねえ。そのまま匣研究は衰退の一途を辿り、この男のいた未来では何とか作り出した匣も粗悪品ばかりだったらしーな」

 成程、合点がいった。
 この男はこの匣を「私の作った匣」と言っていた。恐らく元の世界で匣の研究、製造を行っていたのだろう。
 だが作られた匣は先程使った武器を見れば明らかだ。匣から取り出した時点ですぐに気付いたがコピー品とも言えない質の悪い粗悪品だった。十中八九、あのまま戦っていればどちらの武器も衝撃に耐えきれず壊れていただろう。
 そんな匣をあんな自信有り気に出したくらいだ、元の世界では余程質の悪い匣ばかりが溢れ返っているのだろう。ただこの男が実力にそぐわぬ自信家である可能性も大いに有るが。

「匣を作れど周りに大量に出回る粗悪品に埋もれ買い手も見つからねえ。自分の作った匣で富も名声も手に入れたいと思っていた男がその為に取った行動は言わなくてもわかるだろ」
「…それで匣が存在しないこの世界に来て組へ取引を持ち掛けた」
「そういう事だ。見た事も無い強力な兵器だ、すぐに食い付くと思ったんだろ。これでこの世界で匣が普及すれば唯一の匣を作れる存在として望み通り富も名声も独り占めだ」
「…しかし予想に反してこの世界ではあまりに現実離れしたそれは信用してもらえず、買い手がつかなかった。そこで実際に匣を使える僕達にそれを送り、強襲をかけるつもりだとデマを流し、匣に対抗するには匣が必要だと話を持ち掛けた。未知の兵器に怯えた彼らは僕達に襲い掛かり、僕達はそれに対して匣を使用する。その力を見れば匣が必要だと思い知り今度こそ食い付いてくる。そう考えた訳ですね」
「よく調べたな。俺よりも早く此処に着いたのも道理か」
「知っていた情報と今の話を照らし合わせただけですよ。実際この男がパラレルワールドからやって来たという事は知りませんでしたから」

 赤ん坊と六道が色々と言っているが要するに富と名声等という下らないもの為にこの男は僕達を巻き込んだという事だ。本当に心底下らない。
 こんな事ならば倒れるあの男の顔面を数発殴っておけば良かったと今更ながらに怒りが湧いてくる。

「ま、大体の説明はこんなところだ。この男と一緒に匣とリングは元の世界に送り返すからオメーらのも回収するぞ」

 前世では財団を作ってまで研究していた物だが、今のこの世界と自分には全く必要の無い物だ。これに対して何の執着も無い。寧ろ持ってる事によってまたこんな厄介事に巻き込まれるぐらいなら今すぐ手放した方が良いに決まっている。
 リングは砕け散ってしまったので手にある匣だけを赤ん坊に放ろうとした、その時だった。外からけたたましくサイレンの音が聞こえてくる。どうやら警察が来たようだ。
 哲に警察を呼ぶように連絡したのが今来たのか。それとも銃声を聞いて近所の住民が通報したのか。
 どちらにせよ一人で倉庫に逃げ込んできた時には早く来いと思っていたそれが今は只の邪魔な存在にしか思えなかった。

「警察か。やべーな」

 赤ん坊のその発言は警察を恐れているからという訳ではない。この状況を見られ、警察で事情聴取となるのが厄介なのだ。
 まさかこの世界の警察にあの男はパラレルワールドからやって来て、匣兵器という未知の武器を売りつけようとしていた等と説明をしたところで彼らが信じる訳がない。
 寧ろこっちが精神の問題や薬の使用を疑われて数日間拘束されるのがオチだ。適当に誤魔化すにしても此処にいる全員の辻褄を合わせるのは時間的に無理がある。

「…仕方ない」

 面倒事は嫌いなのだが。
 溜息を一つ漏らし、今度こそ匣を赤ん坊に向かって放り投げる。そしてそのまま赤ん坊と沢田の背後にある入口へと足を向けた。

「警察は僕がどうにかしよう。多少顔が利くからね。これだけ大きな倉庫だ、何処かに別の出入口くらいあるだろう。僕が警察を足止めしてる間にその男を連れて脱出しな」
「…雲雀」

 後ろから聞こえた声に入口へと向かっていた足を止める。彼の声はどんなに小さくても僕の耳に届く。
 呼ばれた名に心地良さを覚えながら振り向けば僕を見つめる切なげな瞳と目が合い、微笑んだ。

「獄寺」

 君の名を呼べる事がこんなにも嬉しく、幸せな事だと君は知っているだろうか。

「また、後で」

 獄寺からの返事は無い。けれど逸らす事無く僕を見つめ続ける瞳がゆっくりと瞬いたのを見て自然と口角が上がった。背を向け、今度こそ外へと向かう。
 もう何処にも焦りや不安は無かった。










 結局連れていかれた警察署から出て来られたのは完全に日が暮れてからだった。
 相手が訳の分からない事を言い、一方的に襲ってきた為反撃したと説明したが不審な点が多いからか、解放されるまでかなりの時間がかかってしまった。
 とはいえ相手は警察に普段から危険視されているような組織だ。そんな組織と一般人である僕とではどちらが信用できるか等そんなもの考えるまでも無く決まっている。例えそれが真実ではないとしても。
 警察の上の人間に話はしといたので後日また呼び出されるという事も無い筈だ。目を覚ました組の人間達が口々に匣の話をしようがそんな話を警察が信用する訳がない。流されるか、薬による幻覚作用を疑われるか、それとも話を通した警察上層部によって揉み消されるか。いずれにしてもこれで匣の件は表に出る事無く幕引きとなるだろう。
 数時間振りに出た外は凛とした空気を持って寒さを伝えてくる。頭上からは雪が舞い落ち、今朝の天気予報通りのホワイトクリスマスになった。
 だが積もるまではいかないようでアスファルトの上に落ちたそれは白く残る事無く、只地面を黒く濡らして融けていく。その濡れたアスファルトに足を踏み出し、すぐに前方の人影に気付いた。

「雲雀さん、有難うございました」

 数時間前に倉庫で会った見知った人物、沢田綱吉が笑みを浮かべながら頭を下げる。礼を言うその男に対し何の感情も思い浮かべる事無く見つめながら僕はコートのポケットに手を入れた。

「別に君の為にした訳じゃない」

 警察の件についてか、獄寺の件についてか、それともそれら全てか。何に対しての礼かはわからないがいずれにしてもそれは目の前の彼の為に取った行動ではないので礼など全く必要無い。
 それに対し彼は「わかってます。それでも有難うございます」とまた感謝の言葉を口にした。

「あの匣を持ち込んだ男なんですが、無事あの後匣と一緒に元の世界に連れ帰ってもらいました」
「そう」
「あの男のいた未来では俺達は匣最盛期のメンバーとして匣に携わる人にはかなり知られている存在だったらしいです。それで俺達の武器を模した匣を作れば売れると思ったようですが結局売れずこっちの世界に来たみたいですね。開匣するにも、中の武器を使いこなすにも本人が一番適しているという理由で俺達に匣を送ったみたいですけど、どうやってこの世界での俺達を見つけたんだか、」
「沢田綱吉」

 放っておけばまだ喋り続けそうな口を、名を呼び遮る事で閉じさせる。そんな話を聞き続ける程僕は暇ではない。

「君はそんな話をする為に此処に来たの」

 さっさと本題に入りなよと視線で促せば目の前の男は浮かべていた笑みを消した。
 打って変わり真剣な表情が僕へと向けられる。さっきまでとは全く違う雰囲気に彼が何を言いに来たのか、予想は出来た。

「…獄寺くんはずっと貴方を見ていました」

 転生してからもずっと、貴方だけを。

「俺達では駄目なんです。雲雀さん、貴方だけだ。だから獄寺くんを…獄寺くんを、もう独りにしないで下さい。例え獄寺くんがそれを拒絶したとしても、離さないで下さい」

 どうかお願いします、と苦し気に顔を顰めながら頭を下げる。
 そんな彼を視界に捉えつつ、僕は止めていた足を動かして彼の横を通り過ぎる。

「…君に言われるまでも無いよ」

 誰に言われなくとも、僕はもう彼を離すつもりはない。

 すれ違いざまにそう言えば後ろで沢田が振り返り、深く頭を下げる気配がした。それに対し僕は振り向く事も声を掛ける事も無く、足を進める。
 雪が舞い落ちる夜道。きっとこの先に彼が待っているだろうから。









「獄寺」

 最初から決められていたかのように迷う事無く真っ直ぐと向かった駐車場。端に設置されているいくつかの照明灯のぼんやりとした明かりだけの薄暗い其処に予想通りの色を見つけ思わず笑みと共に名前が口から零れた。
 どんなに暗くてもはっきりと鮮明に浮かび上がる銀色は眩く、己に向けられる僅かな光で煌めく翡翠に思わず目を細める。
 彼の車なのだろうダークシルバーのセダンの横に立ち、彼はポケットに入れていた手を出して僕を見据える。白い雪が降る中、彼の白い吐息が空中に溶ける。
 一歩、また一歩と近付く。あと一歩踏み出して手を伸ばせば彼に届く。その距離で僕は足を止めた。

「獄寺」

 もう一度名前を呼ぶ。噛み締めるように、大切にその名を。
 視線の先で僕を見つめる翠が揺れた。

「……雲雀」
「君とこうしてまた話せる日が来るとは思わなかった」

 あの日も確かクリスマスだった。今と同じように雪降る夜に君の体温を感じながら瞼を下ろしたあの時、僕の人生は終わった。
 それがまたこうして君に名前を呼ばれ、話す日が来るなんて誰が想像できただろう。

 終わったと思っていた物語はここに続いていた。

「…あの時」

 あの日の事を思い出しているのか、微かに震える声で彼が呟く。表情は変わらない。けれどその声は胸の奥から絞り出しているように苦しく感じた。

「お前は、自分の望みがわかったと言った」

 その言葉に頷く。
 そう、僕は確かにあの時そう言った。あの全てを理解した瞬間に、充足感に包まれながら。
 彼にとってはあまりに残酷であっただろう望みを。

「…今の、お前の望みは何だ」

 その姿はまるで審判が下されるのを待つ信徒のようだと思った。必死に苦しみと恐れを抑え込みながら答えを問う。その姿に僕は漸く彼が何を恐れていたのかがわかった。

 そうか、君はこれを恐れていたのか。
 記憶が戻る事で僕があの時と同じ望みを持つ事を。そして同じ結末を迎える事を。
 そんな事、あり得ないというのに。

 あの時の光景が感情と共に蘇る。
 確かに僕はあの時、最期の時を彼と共に在れた事に幸福感を覚えた。彼の腕の中で幕を下ろす事に少しの後悔も無かった。
 あの瞬間気付いた自身の気持ちに、これが今自分が望む事だと満たされていく胸の内でそう思った。今でもはっきりと思い出せる。あの多幸感も充足感も。
 けれど、今は違う。

「…今の僕の望みは」

 再び君とこうして出会えた。望む事は唯一つ。

「君と生きる事だ」

 死がふたりを分かつまでなんてそんな軽いものではなく。
 肉体が朽ちようとも、この魂が朽ちるまで。

「獄寺隼人。君と共に歩んで行きたい」

 この先何度転生しようと君と。

 そう告げれば彼の顔がくしゃりと歪められた。潤む瞳が灯りを反射してきらきらと光る。

「触っても?」

 彼からの返事は無い。只、唇を引き結び眉根を寄せて僕を見つめ続けるだけ。そこに拒絶は無い。
 一歩足を踏み出し、右手を伸ばす。白い頬にそっと触れて親指の腹で目の下をなぞった。

「…泣かねえよ」
「うん」

 それでも何度も拭うように親指を動かす。

 君はその瞳で、心で、あれから何度泣いたのだろう。あの日死んだ僕はそれを知らない。
 それでも僕は謝罪の言葉を口にしない。
 そんな言葉が何の意味も成さない事を知っている。そして彼もそんなものを望んでいない事を知っている。
 ここで謝罪する事は目の前の涙を流さず耐える彼を侮辱する事だ。彼の今までの想いを軽視する行為だ。
 だから僕は只頬に触れ、君を見つめ続ける。

「冷たいね」

 あの君の腕の中にいた時、温かく感じた目の前の体は今は冷たさを掌に伝えてくる。

「君の体は温かいのだと思っていた」

 その言葉にされるがままだった獄寺が左手を持ち上げ、頬に触れる僕の右手を包むように掴んだ。

「…俺は、お前の体は冷たいと思ってた。…あの時、雪みたいに冷たかったから」
「…そう」
「温かかったんだな、本当は」

 そんな些細な事を、違う生を受けた今更に知る。
 泣き出しそうに、けれど幸せそうに笑う彼に僕も微笑んだ。

 僕達はここから漸く始まるのだ。

 お互いの事を何も知らずに死に際に自分の気持ちに気付き、そして生まれ変わって再び出会い、全てが始まる。
 人はこれをきっと奇跡などと言うのだろう。けれど僕は決してそうは思わない。
 これは間違いなく僕が望み、そして手に入れたものだ。

 これから羽月鴒人として生を受けた君から獄寺隼人について知っていくのだと思うと何だか面白く、不思議に思う。
 そんな事を考えているとふとある事を思い出した。彼の名前にある鳥の事を。

「鶺鴒」

 突然僕の口から鳥の名前が出た事に不思議に思ったのか、獄寺が怪訝な顔をする。そんな彼に微笑みながら僕は続けた。

「知ってるかい?君の名前の鳥、鶺鴒は別名恋教え鳥というらしいよ」

 一度番になれば生涯伴侶を変えず、共に行動するという小さな鳥。
 その鳥が君だと言うならば。

「僕に恋を教えてくれたのは正しく君だったという訳だ」

 空いている左手で彼の右手に触れ、ゆっくりと指を絡める。
 そうすれば冷たい彼の指が恐る恐る僕の指に絡み、隙間を埋めた。
 二つの体温が混ざり、溶けていく。

 時代も世界も超え、漸く二人の男は想いを通わせ寄り添った。まるで番となった二羽の鳥のように。
 それは雪が静かに舞い落ちるクリスマスの出来事だった。

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