それは突然訪れた。
 朝早くにいつに無く焦った様子で十代目から「大至急俺の店に来てほしい」との電話に俺はコートを羽織るなりスマホと鍵だけを突っ込み急ぎ家を出た。
 十代目は気心の知れた相手への電話一本にしても気を使われる優しいお方だ。それは前世で長年右腕を務めてきた自分が一番よく知っている。
 そんな十代目がこんな朝早い時間に、しかも用件も無くただ急ぎで来てほしいと仰るとは、何か余程の事があったに違いない。

 …酷く胸騒ぎがする。

 漠然とした只々嫌な予感に、乗り込んだ車のハンドルを握る手に力がこもる。
 まだ出勤時間にも早い車通りの少ない道を早く早くと急く気持ちでスピードを上げ車を走らせた。





 やって来た金村洋装店はガラス戸にCloseの白い札がぶら下がり、覗く店内も薄暗い。
 だがあのような電話をかけられたくらいだ、恐らく開いているだろうとドアに手をかければ案の定そのドアは確かな重みをもって開かれた。
 店内はガラス戸越しに見えた通り明かりも点いておらず薄暗く、人もいない。けれど上の方から複数の人の気配と決して大きくはないが話声が聞こえ、階段に足をかける。
 まだ新しく目立つ汚れや傷の無い木目の階段を上ればラックにかけられた様々なスーツ、そして隅にある作業机を囲うように立つ数人の人物が見えた。

「獄寺くん!」
「すいません、遅くなりました」

 立っていた人物の一人、十代目が俺の姿を見るなり焦りを滲ませた様子で駆け寄る。そこにいた全員の視線が俺へと向けられるがその全員がよく見知った顔だ。
 山本に笹川、ランボ、骸、そして。

「久しぶりだな、獄寺」
「リボーンさん…日本にいらしてたんですね」

 黒いスーツにハットを被った大人の姿のリボーンさんが笑みを浮かべ立っていた。

「ああ。偶々こっちに用事があってな」

 リボーンさんは俺達と同じく前世の記憶を持ち転生したがこの平和な世界に呪い等というものは存在する筈もなく、今生で再会した時には当たり前のように大人の姿だった。
 ただ何をしているかは謎で、日本とイタリアを行き来しているという事くらいしかわからず今生での名前さえも不明だ。
 滅多に会う事は無く、十代目でさえ二、三か月に一、二回位しか会わないと以前仰っていたので、そんな人物の突然の登場に驚く。
 という事は今回の電話での呼び出しはリボーンさん絡みという事だろうか。
 そんな事を考えながら十代目と共に皆が囲んでいる作業机の方へと向かう。その作業机には『Caro Vongola Decimo』と書かれた白い紙が貼られた一つのアタッシュケースが置かれているのが見えた。

「これで全員揃ったみてーだから話をするぞ」

 急いで来たつもりだったのだが家から店までの距離もあり、どうやら自分が最後の一人だったらしい。
 十代目と守護者。…雲雀がいないのは呼び出しに応じなかったからなのか、それとも記憶を持たないという事で最初から呼ばなかったのかはわからないが今の俺には有難かった。
 あれ以来自分でもわかるぐらいに精神が安定していない。あいつに会って、もしその時に何かあったら自分がどんな言動をとってしまうか正直わからない。
 今まであれ程己の言動に注意を払い、頑なに距離を置いてきたというのにそれらを全て無に帰すような言葉を口にしてしまいそうで怖かった。

 それ程までにあいつを、雲雀を求めているという自分自身が、恐ろしくて堪らなかった。

「今朝、この店の前にこいつが置いてあったそうだ」
「こいつって、このアタッシュケースか?」

 俺を含め、全員の視線がリボーンさんの言葉にアタッシュケースへと注がれる。今朝置いてあったという事はいつかはわからないが店が閉まっている間に何者かが置いていったという事だろう。
 只のアタッシュケースなら警察に連絡をすればそれでお終いだろう。けれどこれは。
 全員の目が真剣なものへと変わり、一瞬で空気が張り詰める。これは一般人が置いていったような只のアタッシュケースではない。
 イタリア語で『親愛なるボンゴレ]世』と書き、態々十代目の店先に置いていくなど『金村廉』が前世でボンゴレ]世、沢田綱吉だと知っている者としか考えられない。
 十代目の前世の事を知っている人間は同じく前世の記憶を持つ、親しい間柄のごく僅かな人間しかいない。そんな親しい人間がこんな事をするとはまず思えない。

「朝開店準備で来たらこれが置いてあって…ボンゴレ]世宛なんて普通じゃないと思ってすぐにリボーンに連絡したんだ」
「丁度日本にいたからな。すぐ来て中身を確認してお前らに連絡させたってわけだ」
「それで中身は…」

 その言葉に十代目がちらりとリボーンさんを伺う。俺達からはハットを目深に被り俯くリボーンさんの表情は伺い知れないが十代目が小さく頷き、アタッシュケースの金具に手をかけた。
 二つの金具がパチンと音を立て外され、ゆっくりとアタッシュケースが開けられる。その中身を見て、息を呑んだ。

「…っ…!」

 瞬時に言葉も出なかった。只、この世界に何故これが、と一瞬で血の気が引く。
 アタッシュケースの中。そこは赤いベルベットが敷かれ、窪みに嵌め込まれるようにして七つの四角い箱と色の違う指輪が収まっていた。
 それが何なのかわからない筈がない。デザインは違うが前世で俺達はこれを使い、戦っていた。

 これは、匣と炎を灯すリングだ。

「…これは本物ですか?」

 骸が静かに尋ねた事はこの場にいる呼び出された全員が思った事だろう。何故ならばこの世界には炎を灯せるリングも、そして匣兵器も存在しないのだから。

「残念ながら本物だ」
「さっき皆が来る前に試しにやってみたんだけど、しっかり炎も灯せたし、開匣も出来た」
「因みに匣の中身は」
「…俺のは、グローブだった」

 グローブ。十代目が前世で使われていた武器だ。間違いない、これを置いていった人物は前世の十代目を知っている。そして恐らく俺達の事も。

「そのグローブって実際にツナが使っていたやつなのか?」
「いや、質の悪い模造品だ。実物を元に精巧に作ったコピー品でもねえ。恐らく映像か何かで一度見たとか人伝に聞いた程度で真似て作ったんだろう。…とはいえ、死ぬ気の炎を纏う武器だ。この世界ではかなりの脅威になるだろーな」

 今俺達が生きるこの世界はとても平和だ。平和といっても勿論世界では戦争や紛争はあるし、マフィアだって存在している。けれどそれらで使われている武器は一般的とも云える銃火器で、現実離れした威力や効果を齎す匣兵器は存在しない。
 そんな世界に質の悪い模造品と云えど匣兵器が投入されたら。そんなもの火を見るよりも明らかだ。
 世界は確実に変わる。悪い方向へと。

「一体誰が何の目的でこんな物を作り、置いていったのかはわからねえ。だが相手の意図がわからない以上破壊するわけにもいかねえし、一箇所に纏めて保管するのも危険だ。だからオメーらを呼んだ」

 そう言い、ハットの下から鋭い眼を覗かせ俺達を見る。そして一度アタッシュケースの中に並ぶ匣とリングを見た後、再び俺達へと視線を戻した。

「この件に関しては俺が調査する。オメーらはその間自分の属性の匣とリングをそれぞれ保管しとけ。最悪戦いになる可能性もあるからな。もし何かあったらすぐに連絡しろ。いいな」

 七色のリングと七つの匣。まさかこの世界で見る事になるとは思わなかった。
 思い出すのは前世での壮絶なまでの戦いの記憶。そして、あいつの。

 見つめる先で皆が次々と匣とリングを取っていく。残されたのは匣二つと、赤と紫のリングのみ。
 持ち上げる腕が重たい。赤い石の嵌ったリングを手に取り、その隣に並ぶ匣に触れる。触れた指先が微かに震えた。手が冷え切っているのが自分でもわかる。
 掌に載せられた匣は昔自分が使っていた物とは対照的にとてもシンプルで角に僅かな装飾があるだけだ。けれど匣の一つの面にだけはっきりとイタリア語で『Caro guardiano della tempesta,Hayato Gokudera』と刻まれているのが見えた。

『親愛なる嵐の守護者、獄寺隼人』

 その文字に震える。これは確実に俺へと送られた匣だ。恐らくこれだけではなく全ての匣にそれぞれの名前が刻まれているのだろう。そして中にはそれぞれが前世で使用していた武器が入っている事が予想できる。
 俺の場合は赤炎の矢(フレイムアロー)か、もしくはGの弓矢(アーチェリー)といったところだろう。
 この匣の送り主は金村廉が沢田綱吉だと知っている。なら他の守護者の事も知っている可能性が高い。そしてそれはこの場にいない、前世の記憶を持たないあいつも。

「獄寺」

 びくりと肩が跳ねる。恐らく長い時間ではないと思うが匣を見つめ思考に耽ってしまっていたらしい。呼ばれた声にぎちぎちと音が鳴りそうなぎこちなさで顔を上げればこちらを見るリボーンさんと目が合った。

「雲の匣とリングはオメーがどうするか決めろ」
「え…」

 突然の言葉に驚き、瞠目する。周りもリボーンさんの発言に一瞬驚いた様子を見せたがすぐに納得した目に変わり、俺を見た。

 今、この場に本来この匣とリングを持つべき人間はいない。あの雲を司る男は。それはそうだ、前世の記憶を持たないという事は匣やリングの事も勿論知らないという事だ。そんな人間をこの場に呼ぶわけがない。
 そうなるとこれらを預かり、保管する人間がいない。順当に考えれば十代目が代わりに保管するというのが普通なのだろうが、リボーンさんは何故か俺を指名した。
 何故俺なのか。
 俺が雲の波動を持っているからだろうか。確かにあいつ以外で雲の匣を開匣出来るのは俺しかいない。
 けれど俺の予測が正しければこの匣の中身はあいつが前世で愛用していたトンファーだろう。俺が開匣したところでそれを使いこなすなんて事は到底出来ない。
 ならば何故。
 リボーンさんは「預ける」ではなく、「どうするか決めろ」と俺に言った。
 それは俺が持っても良いし、他の人間に預けても良い。何ならあいつに渡したって良いのだと、この匣とリングに関して俺に全てを委ねると、そういう事だろう。
 俺に本来雲雀が持つべき物を預ける意味。そこまで考えてようやく理解した。
 雲雀の物だからこそ俺に委ねたのだ。
 あのクリスマスの日から今もあいつに捉われ続けている俺だからこそ。

 雲雀が死んでからの俺は酷い有様だったろう。
 忘れたくても忘れられず、そもそも忘れようとする事自体良くないのではないかと悩み。
 最後の最後で告げられたあいつの言葉と気付いてしまった己の想いに雁字搦めに捉われ、先を歩く事さえ出来なくなり。
 全てから逃げ、遮断するように仕事に没頭した。眠ればあいつの夢を見てしまいそうで限界まで睡眠も取らなくなった。
 そんな俺を近くで見ていた周りはどう思っていただろうか。
 かけられる俺を気遣う言葉に礼を言い、案じる目に笑顔で返す。周りが心配してくれていたのはわかっていた。けれどその全てに俺は従わなかった。口では感謝を述べながら決して受け入れなかった。
 そして俺は最期まであいつに捉われたまま短い一生を終えた。

 本当は皆、あいつの記憶が戻っても構わないと思っている筈だ。いや、寧ろ戻った方が良いと思っているかもしれない。
 けれどそれでも皆があいつに前世の事を思い出させないようしているのは俺の為だ。
 俺があいつに思い出してほしくないと思っているから、願っているから、俺の為に協力してくれているのだ。この優しい仲間達は。
 この匣とリングもそういう事だろう。あいつに今も捉われ続けている俺に全て任せると、まだ逃げるなら逃げても構わないしケリをつけるならそれでも良いと、優しさから提示された選択肢だ。

 匣兵器はその名の通り兵器だ。戦う為の道具だ。それは自分の身を守る為でもあり、相手の命を奪う物でもある。逆も然り。
 そんな物をあいつの手に渡すなどという選択は俺にはとてもじゃないが出来ない。この世界で平和に生きてほしいと願う俺には。
 匣を手にしてしまえば記憶が蘇らないという保証はどこにもない。そして戦いに巻き込まれないという保証もどこにもない。
 何せ現状、この匣を送ってきた人物の意図がまるでわからないのだ。匣を手にした事で戦いに巻き込まれる可能性は大いにある。ならば俺が選ぶ選択肢は一つしかない。

 あいつの手にこの匣を決して渡してはいけない。

「…骸」
「はい」

 俯き絞り出した声は酷く掠れていたが、その声を拾い骸が答える。
 顔を上げて見た骸は真剣な表情だったが俺を見つめるその目はどこまでも優しかった。

「…お前が持っててくれ」
「僕で良いんですか?」

 こくりと頷く。
 あいつの手に渡らないようにするには骸が持つのが一番良いと思えた。
 俺自身が保管する事も考えた。けれどあいつは何を思ってかはわからないが俺と接触しようとしている。そんなあいつともし何処かで会ってしまえば精神が安定していない今、何かの拍子で口走り、匣を渡しかねない。
 自分自身の行動に自信が持てない。突発的な出来事に対応しきれる自信が全く無かった。
 もしあいつと次会う事があった時、俺はどんな言動を取るのだろうか。予想がつかない自分自身を信じる事が出来なかった。
 その点骸は誰よりも冷静だ。俺を何かと気に掛けてくれている骸に頼めばあいつに渡すという選択を選ぶ事は無いだろう。
 しかもあいつと骸は前世では犬猿の仲だった。出会いが最悪だったせいか、それとも性格の問題か。顔を合わせば嫌みの応酬で一触即発の空気となった回数は数えきれない。それほどまでに仲が悪かった。
 今生では仕事で関りがあるとは言っていたが、その時の骸の口振りから記憶を持たないあいつ相手でも前世と変わらずの関係である事は予測出来た。
 そんな骸が態々あいつと接触して匣を渡す等という行動をとるなんて事は無いだろう。
 他のメンバーは優しすぎる。預けてしまえば気を回しすぎてあいつに匣を渡しかねない、そう思った。
 そう考えるとやはり骸が一番適任だ。
 そんな俺の考えを全て察してか、骸は理由を尋ねる事も無くわかりましたとアタッシュケースから雲の匣とリングを手に取り、ポケットへとしまい込んだ。

「何かわかり次第連絡する。それまで安易に開匣するなよ」

 この世界には存在しえない物だ。開匣するところどころかリングに炎を灯したところさえ人に見られればパニックになりかねない。相手の意図さえわからない今、リボーンさんがそう言うのも当然だ。
 リボーンさんの言葉に全員が頷き、その日はそれで解散となった。



 一人となり、車に乗り込むなり目を瞑り項垂れる。
 ポケットの中にしまわれた匣とリングという存在は思考を否応なしに前世の記憶へと引き摺って行く。
 もう手にする事はないだろうと思っていた匣兵器とリング。前世ではその存在が当然の世界にいた為何も思わなかったが、この平和な世界ではそれがあまりに恐ろしく感じられる。
 この世界では人智を超えた、非現実的な物。現実の武器よりも遥かに恐ろしく、いとも容易く命を奪うような強力な兵器。それがこの世界に。
 考えれば考えるほど手が震える。その震える手でスマホを取り出し、先日登録したばかりの人物へと電話をかける。
 数コール後に聞こえた声に、俺は震える唇を動かした。

「…草壁。暫く雲雀の周辺に気を付けてくれ。…もし何かあったらすぐ連絡を」

 匣を置いていった人物が雲雀が記憶を持たない事を知っているかどうかはわからない。けれど斑鳩要が雲雀恭弥だと知っている可能性が高い今、記憶の有る無しに限らず何か行動を起こしてくる可能性がある。
 只この世界で平和に生きていた筈のあいつが、全く知らない前世の事で本来関わらずに済む争いに巻き込まれていく。それを何が何でも避けたかった。

「くそっ…何で…っ」

 何でこんな物がまたこの世界に。

 通話を切り、震える手で掴んだハンドルに額を当てる。
 匣兵器は自分の身を守る事が出来るが、相手の命を奪う事も出来る。そう、あいつの命を奪ったのも匣だった。
 閉じた瞼の裏に浮かぶのはあの日の屋敷での大爆発。そしてその爆発から俺を守るようにして覆い被さった黒い影。

 命を奪い合うような戦いがこれからまた起きてしまうのだろうか。
 あの絶望がまた訪れるような出来事が起きるというのだろうか。

 只あいつに何も知らないまま平和に、穏やかに生きてほしい。幸せであってほしいと、そう願っただけだというのに、それがこんなにも難しいなんて。
 まるで世界がそれを許さないと言っているかのようにさえ感じてしまう。これが運命なのだと、逃れる事は出来ないのだと。

 嫌だ。そんなのは嫌だ。
 どうか全てが杞憂であれば良い。

 大丈夫、何事もなく全て解決し、あいつの記憶も戻る事無く今までの生活に戻る。きっとそうなる筈だ。

 気付けばハンドルの上で祈るように組まれていた手に額を当て、そう強く願う。
 けれどその願いは数日後のクリスマス、草壁からの電話によって何の前触れもなく打ち砕かれる事になった。

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