何度目になるかわからないリダイヤル。
 変わらず流れる音声アナウンスに最後まで聞く事無く通話を切る。

 予想はしていたがどうやら僕は彼に徹底的に避けられているらしい。

『羽月鴒人』と表示されるスマホの画面を消し、溜息を漏らす。
 先日の夜、公園での一件。彼に『雲雀』と呼ばせ、彼を特別だと自覚したあの夜。あれ以来彼とは連絡が取れないでいる。
 別の電話で連絡を取ろうかとも考えたが着信拒否という手段を取るくらいだ、他の連絡手段を取ったところで相手が僕だとわかればすぐに切ってしまうだろう。

 何故彼はここまで頑なに僕が記憶を取り戻す事を避けようとするのか。

 金村廉も僕が前世について尋ねた時、過剰な反応を示していた。けれど羽月鴒人の反応はそんなものではない。あれは絶望だ。彼の表情は絶望に染まり、涙は流れずともまるで泣いているようだった。
 彼が雲雀と口にした瞬間、胸の内から込み上げ全身に駆け巡った感情が何なのかあの時の僕はわからなかった。ただ彼だけが自分にとって特別なのだとそれだけがわかった。
 けれど今ならわかる。あれは歓喜だった。愛しさだった。
 果たしてそれが今の自分の感情なのか、それとも『雲雀』としてのものだったのか。もしくはその両方か。
 それはわからないが胸の奥が彼が愛おしいと叫んでいた。彼こそが自分の唯一なのだと訴えていた。

 そんな僕の気持ちを彼は拒絶する。僕の気持ちを受け入れられない等というものではない。その気持ちを抱いた僕自身を彼は拒絶する、否定する。
 それは決して抱いてはいけない感情だと言わんばかりに全身で否定する。その悲痛な姿は僕の目に泣き叫んでいるように見えて痛々しささえ感じられた。

 恐らく彼と僕は前世で何かがあった。彼の心に深く傷をつけ、生まれ変わった今も彼を苛ませる、何かが。
 それが一体何なのか。何故僕は何も覚えていないのか、思い出せないのか。苛立ちだけが募っていく。

 思い出したい。彼との事、全てを。
 きっとそうしなければ目を背け続ける彼と本当に向き合う事が出来ないだろうから。


「僕の会社で鬱々とした空気を出すのは止めて頂けますか?この寒い時期に換気をしたくないので」
「…人を呼び出した上に遅れて来ておいて随分な言いようだね。来客応対について一から学んだ方が良いんじゃない?」
「これは失礼。貴方を客だと認識した事が無いのでつい」

 呼び出され態々訪れたファッションブランド『Rin'ne』本社の応接室。しかし呼び出した張本人である筈のRin'ne社長、霧崎瑪瑙は中々来ず、仕方なしに待っていたというのにようやくやって来たかと思えば先程の台詞。
 元々自分自身不思議に思うくらいこの男が気に食わなかったが、やはりいけ好かない男だ。来るだけ時間の無駄だった。
 脇に置いていたコートと鞄を手に取り、ソファーから立ち上がる。それを霧崎瑪瑙はいつもの神経を逆撫でるような笑みを浮かべ向かいのソファーへと腰かけた。

「羽月鴒人」

 ねっとりとした声で告げられたその名前に扉へと向かっていた足が思わず止まる。

「随分と彼を付け回しているようですね」

 視線が交差する。自分に向けられる藍と緋のオッドアイに溜息を漏らし、再びソファーへと腰を下ろした。そんな僕を見るなり男が喉を震わし笑う。
 やはりこの男は激しく気に食わない。

「…何故彼の事を知っている」
「仕事で少々関りがありましてね」

 応接室の扉がノックされ、入ってきた女性がテーブルに紅茶の注がれたティーカップを二つ置いて退室する。
 そのティーカップを手に取り、男は目を閉じて匂いを嗅いだ後カップに口をつけ満足そうに笑う。そんな男を僕は忌々しく思いつつ腕を組んでソファーに深く凭れた。

「貴方が金村洋装店に初めて訪れた日、うちの従業員もそこにいたんですよ」

 そう言えばあの店はここのブランドの服も取り扱っていたと思い出す。それと同時にあの場にいた、この男と同じような髪形をした女も思い出す。
 そうか、あの女がこの店の。

「彼女から貴方が店に来ていたと聞きましてね」

 カチャリと音を立てカップがソーサーに戻される。目の前の男の口角が上がり、心底不愉快な笑みが向けられた。

「そんなに彼の事が気になりますか?」

 いえ、違いますね。


「自分の知らない前世が、ですか」


 目を見開く。その言葉に全てを理解した。
 この男も彼らと同じ、前世とやらの記憶を持つ人間なのだと。自分と羽月鴒人の前世を知る人間なのだと。

「…その事で僕を呼び出したの?」
「ええ、そうですね。このままでは貴方がストーカーになりかねないと思いまして」

 口元に指をあて、クフフと耳障りな笑みを漏らす。いつもであればそんな男に顔を顰め、早々に話を切るか退室するのだが今はそういうわけにはいかなかった。
 金村廉は口を閉ざし、羽月鴒人は関りを全て絶たんばかりに僕を避ける。
 この状況を打開する何かがあるとしたらこの男だとそう思った。心底気に食わないが。
 腕組みを解き背凭れから背を離す。そして膝の上で手を組み、未だ笑う男を真っ直ぐと見る。

「…彼は何故ここまで頑なに僕を避ける?」

 答えろ、と睨み上げれば漸く男の顔から笑みが消えた。

「…彼が望まない事を教える事は出来ません」

 さっきまでの饒舌な軽い口は閉じられ、再び開かれた口からは打って変わって重々しく真剣な色を含んだ言葉が紡がれる。
 この男とは仕事で過去何度も会った事があるが、いつも人を食ったような笑みを浮かべる男のこんな表情は初めて見た。

「そもそも僕は貴方と彼の間に何があったのかを直接見たわけではありません」

 それは関係の事を指しているのか、それとも何か具体的な出来事を指しているのか。それさえも自分にはわからないが話を遮る事無く耳を向ける。
 僕を見るオッドアイの目はどこか遠くを見ているように感じられて、羽月鴒人の目に似ているとふと思った。彼も僕を見ている時、そんな目をしていたと。

 そうか。彼は僕を見ていた時、前世を思い出していたのか。

「彼がどれだけ傷付いていたのか、僕には推し量る事も出来ません。ですがそれが時間が癒してくれる等という易しいものではない事ははっきりとわかる。…今も彼は痛みに血を流し、声にならない慟哭を上げているのですから」

 痛みに目が細められ、悲しみの色を浮かべる。
 その目を見ただけでこの男が羽月鴒人を慈しんでいる事が伝わり、思わず奥歯に力が入る。
 彼とこの男の見えない絆を見せつけられた気分だった。それでも彼を攻撃する事も部屋を出て行く事もしなかったのはいつもと全く違う空気の所為だろう。
 ふと、僕を見る霧崎瑪瑙の目が変わる。もう遠くを見てはいない。僅かに苦しそうに顔を歪め、口を開いた。

「彼は貴方の記憶が戻る事を、何よりも恐れているのですよ」

 そしてそれはきっと貴方の為だ、斑鳩要。










「…はい、確かに。いつも有難うございます、助かりますよ」
「いや、寧ろ今回は時間がかかっちまって悪かった」

 『Rin'ne』の応接室。そこで今は社長をやっている骸に五日前に依頼された翻訳の資料を手渡す。
 何でもドイツへの出店を考えているらしく、その為のドイツ語への翻訳依頼だったのだがこの程度の量ならば普段は二日もあれば十分なのだが、今回は五日もかかってしまった。
 決して難しい翻訳では無かったにも関わらずこれだけの時間をかけてしまった事を詫びれば骸は優しい目を向けながら苦笑した。

「期日はまだまだ先でしたし、他の人に頼めばもっとかかっていましたよ。隼人君の仕事の速さにはいつも驚かされます」

 仕事の速度に関しては昔取った杵柄というやつだろう。ボンゴレ時代に日々大量の仕事に追われ、自然と作業効率や速度が上がっていったのが今生でも活かされる事になるとは。
 他国の言語に関してもそうだが、日々必死な中で身に着けたスキルがこうして転生しても誰かの役に立つというのは正直嬉しく思ったりする。
 そう考えると俺は自分自身の為ではなく、誰か他の人の為に己の能力を使いたいと思っているのかもしれない。

「今の時期はピアニストとしての仕事も忙しいのでしょう?そんな時にすいません」
「…ああ、いや…」

 即座に返答できず、歯切れの悪い言葉が出る。
 確かに十二月はクリスマスや年末という事もありピアニストとしての仕事がかなり多くなる。
 …自分の場合、毎年クリスマスに仕事は入れないのだが、それでもその日以外は忙しくしてる事が多い。
 けれど今回、翻訳の仕事が遅くなったのはそれが本当の理由ではなかったりする。本当の理由、それはあの夜の公園での出来事。
 雲雀の声が頭に流れる。

『君が、君だけが。僕にとって特別だ』

 絶望だった。
 前世と同じ結果を招かない為、距離を置いてきたつもりだった。前世を彷彿とさせる言動を取らないようにと気を使っていた筈だった。
 それがあの夜、あいつに懇願されるがまま呼んでしまった。『雲雀』と。
 あれだけ記憶を取り戻す切欠となりえそうなものは全て避けてきたというのに、そのたった一つの過ちであいつはあの時と同じ瞳を俺に向けるようになってしまった。最期の時と同じ瞳を。
 何故俺はあいつの言葉に応えてしまったのか。何故俺は雲雀と口にしてしまったのか。
 そんな思考に耽ってしまい、目の前に座る骸が俺へと向ける目に気付かなかった。

「…少し前までここに斑鳩要がいたんですよ」

 斑鳩要。
 今正に思い浮かべていた雲雀の今生での名前が耳に届き、体がびくりと反応する。思考の淵から現実へと戻った俺の目に柔らかなオッドアイの目が映った。

「なんで…」
「誰にも言っていなかったのですが、実は彼とは仕事上の付き合いで以前から知ってたんです」

 彼と知り合いだなんて口にするだけでも悍ましくて黙っていたんです、すいません、と笑顔で冗談めかして言っているが、骸の事だ。本当は俺の為に黙っていたんだろう。雲雀が転生し、身近にいると知ってしまえば俺がこうなってしまう事をわかっていたから。

「骸…」
「安心してください。何も話していませんから。…ただ彼は貴方の事が随分気に掛かっているようでしたが」

 優しい声音と瞳に俺を案じている事が伝わる。けれどそんな気遣いに言葉も返せない程俺の心は波立ち、呼吸さえも浅くなり始める。

 雲雀が、俺を。

 あの出来事の後、あいつからかかってきた電話に出る事なく着信拒否をした時に本当はわかっていた。
 こうしてあいつを拒否したって、こっちがどれだけ関りを断とうとしたって、そんな事であいつは引いたりしないだろう、と。雲雀恭弥はそんな物分かりのいい人間ではないと。
 いつだって自分のしたいようにして、欲しいものの為にはどんな障害も真っ向から破壊し、人の言葉に従うなんてありえない。そんな奴だった。転生したって変わる事はないだろうとわかっていた。
 けれどいざ話を聞くと冷静ではいられない。理解するのと冷静になるのとは全く別物だ。
 …いや、そもそもあのクリスマスから俺はあいつの事で冷静でいられた事は無い気がする。あいつの姿が、声が、頭を過る度に激しく心が掻き乱れる。

 あいつが俺を特別だと言うなら、それは俺にとっても、

「…もう、教えても良いんじゃないですか?」

 眉尻を下げて微笑む骸に目を伏せる。膝の上で組んだ自分の手が力が入ったことによって爪が白くなるのが見えた。

「…あいつが何歳で死んだか、覚えてるか?」
「…ええ」
「まだ二十代だったんだぜ…?財団まで作って世界中飛び回って匣や指輪を集めて、まだやりたい事があったに決まってるんだ…なのに、あの時あいつはあっさり死を受け入れた」

 あいつにとって友人とも仲間とも言い切れないような関係であった筈の俺を守るなんていう、到底考えられない事をして。
 俺を庇わなければあいつはその後も世界各地の匣を研究し、思うが儘に好きな事をし続けていた事だろう。それこそ何十年も、年老いるまで。
 そんな未来をあいつは、あの時捨てたのだ。しかも悔いるどころか満足そうに、幸せそうに笑って。
 なんでそんな事をしたんだと、胸ぐらをつかんで問い質したかった。けれどもうあいつはいない。
 今この世界にいるのは何も知らず、過ちを犯す事無く平和な世界で生きる斑鳩要だ。

「俺はあいつに生きてほしい。今度こそ永く、幸せに」

 あの時俺という存在で死を受け入れたのならば、今生では俺が関わらなければそんな考えを持つ事も無い筈と思っていたのに。
 何故あいつは俺を追うのか。俺に関わろうとするのか。

「俺は、あいつを殺したくない…っ」

 もうあんな過ちを犯してほしくない。最期の時は俺といたかったなんて、そんな考えをもってほしくない。
 俺はあいつに好きに生きてほしいのだ。
 何にも捉われる事無く前を見据え、誰よりも高く空を飛ぶ鳥のように。
 誰よりも強く在り続ける誇り高き孤高の浮雲。俺はそんなあいつに焦がれたのだから。

「あいつ、死ぬ間際に笑いながら自分の望みがわかったって言ったんだ…馬鹿だよな…」
「隼人君…」
「でも、俺も馬鹿だ」

 だって、俺もあの時に気付いてしまったから。
 俺も雲雀を。

「二人揃って、あんな時に気付くなんて本当馬鹿だろ…」

 救いようのない馬鹿だ。

 そう呟いた声は情けなく震え、二人きりの部屋に落ちた。
 この平和な世界であいつらしく好きな事をして、何にも捉われる事無く生きてほしい。俺はそれしか願わないし望まない。
 そう言えば骸は「全く、貴方は…」と悲しそうに笑った。










 吐き出す息が白い。
 外に出ると空はすっかり暗く、ここに訪れた時よりもぐっと気温が下がったように感じられた。
 早く帰ろう。
 あいつの話をした所為だろうか、心は暗く、感じる寒さに巻いていたマフラーを口元まで上げて駐車場へと足早に移動する。
 その時だった。鼻に何か冷たいものが触れ、思わず空を見上げる。
 やや灰がかった黒い空からふわふわと白いものが舞い落ちる。雪だ。
 己の上に静かに降り注ぐ雪に動けなかった。
 ここはイタリアじゃない。自分の足は瓦礫に挟まれているわけじゃなくしっかりと立っているし、自分に覆いかぶさるあの黒い姿も無い。
 わかっている、わかっているのに思考が過去に引っ張られていく。夜空から降る雪にあの時の光景がフラッシュバックする。

『…自分の望みがわかった』

「…言うな」

 一面の瓦礫、血の匂い、酷く穏やかな掠れた声。
 鮮明に浮かび上がる光景と聞こえる声に耳を塞ぎ、目をきつく瞑り蹲る。
 けれどその光景は消える事無く、白い顔のあいつが笑みを浮かべるのが見えた。

『最期の時は、君といたかった』

「言うなっ!!」

 もうここが何処なのか、周りに人がいるのかどうなのかさえわからなかった。
 ただ笑みを浮かべ残酷な言葉を告げて息を引き取った男に血の気が一気に引き、耳を抑える手が震える。
 口から震える吐息と共に「雲雀」と声が漏れた。

 一度言ってしまえば、もう止められなかった。

「…雲雀…っ、雲雀っ…!」

 何度も何度もあいつの名前を呼ぶ。死ぬなと何度も呼ぶ。

 何で死んでしまったんだ。
 お前はそんな死ぬような奴じゃなかっただろ。
 俺に対してそんな穏やかに笑う奴じゃなかっただろ。
 なあ雲雀。返事しろよ、雲雀…!

 歯を食いしばる。
 寒くて寒くて仕様が無い。体の震えが止まらない。

「雲雀…」

 過去の雲雀の姿に今の斑鳩の姿が重なる。
 何故求められたからと言ってあの時公園で雲雀と口にしてしまったのか。

 きっと俺は、ずっとあいつの事を雲雀と呼びたかったのだ。

 だってこんなにも雲雀を求めているのだから。
 雲雀を失ってから俺はずっと心の中で雲雀を呼び続けていたんだ。それに耳を塞ぎ気付かなかっただけだ。
 でももう気付いてしまった。

 震える唇で紡いだ言葉は音になる事無く白い息だけを吐き出す。
 冷え切った頬に冷たい何かが伝った。

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