獄寺隼人は可愛い。
可愛く綺麗で聡明で。校則を破る事が常な問題児ではあったがそれを差し引いても人を惹きつけるには十分過ぎる人間だった。
中学の頃から男子生徒に言い寄られていたのは知っていたが、高校に入ってからもそれは変わらず、というよりも更に増えたように感じる。
告白等の行動に移さないまでも想いを寄せている男は数知れず。
けれど当の本人は想いを寄せられている事に気付くどころか自分がモテるという自覚さえも無かった。人から向けられる殺気や悪意等、負の感情には敏感なのに好意となると途端に鈍感になる。それはわざと気付かない振りをしているのではないだろうかと思ってしまうくらいに。
そんな彼女だ、中学から抱き続けている僕の想いに気付く筈なんて無く。
こんな何も進展せず時間が過ぎ去っていくのも、彼女の周りで飛び回る目障りな虫共も全てが気に食わず。虫共を一気に排除し、尚且つ進展する方法は何かないだろうかと考え思いついたのが学祭のフィナーレ、薔薇を渡した相手とのワルツだった。
彼女が僕に行為を抱いているであろう事はわかっていた。あんな視線を向けられて気付かないような鈍感ではない。
僕が薔薇を渡せばいくら鈍感な彼女でも僕の想いに気付くだろうし、彼女はその薔薇をきっと受け取る。そのまま全校生徒が集まるキャンプファイヤーでワルツを踊れば虫共も思い知り彼女の周りを飛び回る事を止めるだろう。
そう考え、全校生徒の前で行った告白。
差し出した手に重ねられた手の感触も、踊っている時に感じた体温も、僕を見つめ流した涙も、僕を満たし心臓を高鳴らせた。
愛おしくて、愛おしくて、仕様が無い。
可愛く綺麗で聡明で。
僕の彼女はとても可愛い。
昼休みも後数分で終わるという頃、換気の為開けていた窓を閉めようと立ち上がったタイミングで応接室の扉がノックも無く開かれた。
ノックも無しにこの部屋に入るなんて事が許されるのは只一人しかいない。愛しの銀色しか。
「やあ。今日は随分遅いね」
予想通り現れたその子は疲れた様子で黒い革張りのソファーに腰かけた。毎日ここに訪れている訳ではないが来る時は昼休みになってから大体十分以内にやって来る事が多い。
そんな彼女がこんなギリギリの時間に来るとは。その理由は聞かなくたってこの疲れ切った様子を見れば想像がつく。
ふつ、と心の奥底で沸き立った感情が波を立て始めるのを感じながら開かれた窓はそのままに彼女の隣に座る。
そして細い左手首に薄らと赤く浮かび上がる他人の手の跡にするりと指を這わせれば、何故気付いたんだと言わんばかりの驚きに満ちた顔で僕を見上げた。
「咬み殺してきてあげようか?」
学祭でのワルツでこの学校にいる人間は全員僕達の関係を知っている。それによって僕や彼女に想いを寄せていた人間の大半は狙い通り諦めて周りを飛び回る事を止めた。
だが中には関係を知ったからこそ以前より煩くなる、無駄に過剰な自信を持つ輩もいる。自分の方が相応しい、何故あいつなのだと根拠の無い自信を振り回し喚き散らして詰め寄るのだ。
僕の所にもそういう奴らは多少来るが、彼女の所に来る人数と比べればかなり少ないだろう。大方、僕達の交際に納得はいかないが僕に言うには怖い為女性である獄寺の方に言おうという考えなのだろう。そんな腑抜けた考えでどうこうなると思っている時点でもう無駄だという事に愚劣なそいつらは気付きもしない。
恐らく今日もそんな輩に呼び出されて迫られ、断った去り際に強く手首を掴まれた、といったところだろう。答え合わせなどしなくとも彼女の様子と状況証拠で容易に想像がつく。
ああ、咬み殺してしまいたい。
煮え滾る怒りに思わず触れる手首を強く掴みそうになるが何とかその衝動を抑え込む。その気になれば容易く折る事が出来るだろう白くて細い手首に負の感情のまま触れてはいけない。
僕の感情一つで彼女を傷つけたくなどない。
そんな僕の感情に獄寺は気付いたらしく、手首に触れる僕の手の上にそっと右手を乗せた。そして翠の瞳を細め僕を見つめる。
「そんな必要ねえよ」
「そう」
乗せられた右手の第三関節の辺りが赤くなっている。掴まれた際にその男の顔面でも殴ったのだろう。だからお前がそんな事する必要は無いと目で訴えてくる。
君がそう望むのならばそうしよう。その代わり。
空いている手で獄寺の体を引き寄せ抱き締める。そして首筋に顔を埋めれば彼女の甘い香りが胸を満たした。
「ヒバリっ!?ちょ、何っ」
「抱き締めたくなった」
うん、いつもの獄寺の匂いだ。
他の誰の臭いも混ざっていない事に安心し、自分の中の怒りが見る見るうちに凪いでいく。
今まで自分の感情と欲求のまま生きてきた自分が今は獄寺を優先している。以前の自分では考えられないような変化だが、それが不快ではなく寧ろ心地良く感じる。
獄寺という存在によって変わっていく自分が楽しく、面白い。そして同じように僕という存在で変わっていく君の姿を見る事も。
耳元で獄寺が息を詰めている音が聞こえる。抱き締めている体も強張り、徐々に熱くなっていくのがわかってあまりの愛しさに喉を震わせて笑いそうになる。
付き合って約一か月。照れ屋な彼女はまだこういった接触に弱い。恐らく僕の肩口にある彼女の顔は真っ赤になっている事だろう。肌が白い獄寺は赤くなるとすぐわかる。
甘く香る腕の中の熱い細身を冷やすように開けたままだった窓から風が吹き込む。秋特有の枯葉の匂いが混ざる冷たい風。その風に乗ってきたのだろう、赤い葉が一枚二枚と応接室の中を舞うのが視界に入った。
「椛…」
「ここから中庭の椛が近いからね。見るかい?」
ここに来るようになってからまだあまり月日が経ってない上に来てもこのソファーに座って話をしたり昼食を一緒に取るぐらいだ。窓際まで行った事が無いから椛の存在を知らなかったのだろう。
本当はもっと抱き締めていたかったが可愛い彼女が興味を持っているようだし、今はここまでにしておこう。ただ照れ隠しで話題を変えようとしただけかもしれないが。
抱き締めていた体をそっと離し、まだ顔に赤みが残る彼女の腕を引く。そのまま開かれた窓まで連れて行けば枝を大きく広げ見事なまでに色付いた椛の大木に獄寺の目が大きく開かれた。
「すげえ…」
この応接室が椛の木から一番近いとはいえ二十メートルくらいは離れている。それでも同じ高さから見る紅葉は圧巻だ。
「綺麗…」
「そうだね」
風が吹く度にはらりはらりと葉を散らす椛は今が一番の見頃だろう。だが。
「日曜日、切ってしまうそうだよ」
「…え…?」
「この木。もうかなりの老木で腐食も酷いらしい。日曜日に業者が来て切り倒す手配がされている」
「そう、なのか…」
こんな綺麗なのに、と悲し気に呟く彼女の横顔があまりに美しくて愛おしくて、細い銀糸に指を絡めながら優しく小さな頭を撫でた。
「…明日はこの時期にしてはかなり暖かいそうだよ。天気も快晴だそうだ」
「…?」
「草食動物達を誘って中庭で昼食でも食べたら?」
僕の口からそんな言葉が出るとは思っていなかったんだろう、大きな目を更に大きくさせ口をぽかんと開けて僕を見上げる獄寺は随分と間抜け顔で思わず笑ってしまう。その顔さえも可愛いのだが。
「そんなに意外だった?」
あまりに目を大きくさせるものだから乾燥している風で目が乾いてしまうのではないかと中指でそっと瞼を撫でて一度目を閉じさせる。それから開かれた目は先程よりも落ち着いたものになっていたがそれでもそこには驚きの色は残っていた。
「お前…群れ嫌いじゃ…」
「嫌いだよ。見るのも嫌だ」
「じゃ、何で、」
何で?そんなの決まってるじゃない。
「君があの草食動物達の事を大切に思っているのは知っているからね」
だから許してあげるよ。毎日は流石にいただけないけど偶になら群れる事を特別に。それで君が笑うならば。
「…お前、俺に結構甘いよな…」
「甘くしてるつもりは無いよ。只自分の事よりも君を優先しているだけだ」
そう言い、再び顔が赤くなり始めた獄寺の唇にそっと口付けを落とす。唇を合わせるだけの短いキス。それだけで獄寺の顔は紅葉のように更に赤く染まった。
「なっ、な、なんっ…!」
「キスしたくなった」
付き合って約一か月。まだキスの回数は両手で足りる程しかしていないが決して初めてではない。だというのに毎回初心な反応を見せる獄寺が可愛くて仕様が無い。
衝動のまま抱き締めて耳元で好きだ、可愛いと囁く。そうすれば更に熱くなった体が戸惑いながらもすり寄り、おずおずと僕の背中へと腕を回した。抱き締め返すというよりも制服を掴むといった表現の方が正しく感じられるぐらいの弱さだったが彼女にとってたったこれだけの行為もかなりの勇気を振り絞っての事だというのはわかっている。
獄寺は複雑な家庭環境だった所為か甘え方を知らない。甘える事は恥ずべき事で弱味を見せる事だと思い込み、拒否をするくらいに。
そんな彼女が少しずつ甘える事を覚え始め、今日こうして疲れている時に僕の所へ来て背中に腕も回してくれた。これはもの凄い進歩だ。
壁に取り付けられたスピーカーから昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。
漸く甘える事を覚え始めた彼女との時間をそんな野暮なもので邪魔されたくないし、中断もしたくない。
獄寺が応接室から出ていかないようにと強く抱きしめ、片手で開け放っていた窓を閉めた。腕の中の小さな体が身じろぐ。
「…ヒバリ、この後もここにいて良いか…?」
背中の制服が強く握られる感触。笑みが漏れる。
「良いよ」
やっぱり僕の彼女は可愛い。
翌日、前日の天気予報通り空は快晴、気温はこの時期では稀にみる暖かさで上着もいらないぐらいの陽気だ。
昨日同様開け放った窓からは心地良い風が入り込み、草食動物の騒がしい声が聞こえてくる。
椛の木が数日後には伐採される事は恐らく知らないのだろうがこの暖かさだ、中庭で食事を取ろうと考えている生徒は他にも多くいたらしい。
いつもならばこんなに騒がしければすぐに窓を閉めるのだが今日は椅子に座ったままその騒がしさに耳を澄ます。
そうすれば、ほら。聞こえてきた。
「獄寺ー!こっちー!」
「んな大声で言わなくてもわかってる!」
予想通り聞こえてきた草食動物の声と彼女の声に椅子から立ち上がり開け放った窓辺に立つ。
窓枠に腕を置き、声のした中庭を見れば椛の木の下には沢田綱吉、山本武、笹川京子、黒川花が昼食片手に僕のいる校舎側を見て手を振っている。
その視線の先には草食動物達へと駆け寄る獄寺の姿。揺れる銀糸が太陽の光を反射し、白く光った。
ああ、好きだな。
そう思ってしまえば声を掛けずにはいられない。
今は昼休みだ。中庭には他にも多くの生徒がいて、気温の高さから窓が多く開けられている廊下には更に大勢の生徒が行き交っている。
こんな中声を掛ければその大勢の草食動物達に聞かれる事になるだろうがそれでも構わない。
寧ろその方が好都合だ。
「隼人!」
応接室から声を掛ける。
椛の木と校舎の丁度中間辺りにいた獄寺が弾かれるように勢いよく振り返り応接室にいる僕の方を見た。
そんな彼女同様、周りにいる草食動物達も、廊下を歩いていた草食動物さえもこちらを見る。
普段ここまで大きな声を出す事の無い僕の声に驚き、見上げる。
けれど獄寺だけは顔を真っ赤にさせ、驚きよりも羞恥の表情で口をぱくぱくとさせた。
何故声を掛けただけでそんな反応をするのか。その理由はわかっている。何故なら。
「おま、なん、なまえ…っ!」
「どうしたの、隼人」
今、初めて僕は彼女の下の名前を呼んだ。
大勢の人の前で下の名前を呼ばれて顔から湯気が出るんじゃないかというくらい赤くなっている獄寺は可愛いが、少し可哀想に感じない事も無い。
けれどこれで身の程も弁えず未だ僕達の周りを飛び回る虫への牽制には多少なるだろう。
昨日見た彼女の左手首の痣。
僕はやっぱりそれらを完全に許す事も、このまま何もしないでいる事も出来ない。君の事が好きで仕様が無いから。
「隼人、好きだよ」
込み上げた想いのまま告げた言葉は思いの外静まり返っていた周囲に響き、彼女へと届く。
するとこれ以上赤くならないだろうと思っていた獄寺の顔が更に赤くなり、羞恥と怒りで潤んだ翠がキッと睨み上げてきた。
「〜っ!ばっかじゃねえの!?」
「ハハハッ」
「笑うんじゃねえよ、馬鹿ヒバリ!!」
中庭の獄寺と応接室の雲雀とのやり取り。
その二人の姿を見ていた全員が驚愕し固まる。
クールビューティーで高嶺の花と言われている獄寺隼人が赤面し、涙ぐみながら子供の様に言い返す可愛らしい姿と、風紀を乱す者を咬み殺す時ぐらいしか笑みを浮かべる事の無い恐怖の象徴である雲雀恭弥の声を出して破顔する、その普段からは全く想像もつかない姿に。
その姿はきっとお互いがお互いにしか向ける事の無いものなのだろう。
そんな姿を垣間見てこの二人の間に割って入れるような人間はいないだろうと皆が思った。
この二人はあまりにお似合いで、あまりに幸せで満ち溢れている、と。
「あー、あっついねー」
「ふふ、隼ちゃんに見せつけられちゃったね」
「獄寺くん、もし良かったら雲雀さんも連れてきても良いんだよ…?」
「い、いえ!そんな事お気になさらないでください!…って、あいつまだ笑ってやがる…!」
「ははっ!らぶらぶなのなー!」
「黙れ野球馬鹿!!」