商店街のすぐ側にあるコインパーキングに車を停め、家から持ってきた紙袋を手に車を降りる。
 古くからある老舗や最近の流行を取り入れた新しい店が立ち並ぶその商店街はテレビ番組で何度か取り上げられているような場所で平日であっても活気がある。
 その商店街の角、三代続く洋装店が目的の場所だった。
 以前は『金村洋装店』と大きく書かれた良くも悪くも年季の入っていた壁は今は真っ白に塗られ、硝子戸に『suit&cake KANEMURA』と書かれている。
 以前の店構えを知っている分、その佇まいに随分変わったな、と心の中で驚く。そして店の前に置かれたシンプルながらにお洒落なリニューアルオープンを祝うフラワースタンドを見て思わず笑う。
 藍色をメインとしたそのフラワースタンドは名前など見なくても誰からの物かすぐわかる。
 挿されている札を見れば案の定そこにはファッションブランド『Rin'ne』の文字があった。

「…あいつも妙なところで律儀というか…」

 頭に浮かぶのはあの特徴的な髪形をした霧の守護者、六道骸だ。
 自分と同じように転生し、前世の記憶を持つあいつは今は霧崎瑪瑙(きりさきめのう)という名前になっていて、ファッションブランド『Rin'ne』を立ち上げデザイナー兼社長として活動している。
 前世でまだ出会った当初はマフィアを恨んでいた事もあり決して協力的とは言えなかったあいつだが大人になるにつれ丸くなり、よく俺の仕事が立て込んでいると息抜きも必要ですよとお茶に誘ってきた事を思い出す。
 癖は強いし何を考えているかわからない事が多い奴だったが良い奴だったと思う。
 そんなあいつが手掛ける『Rin'ne』の服がこの金村洋装店にも置かれているのは知っている。
 だからこそのこのフラワースタンドなのだろうが、この店だから、というのも大きいだろう。何と言ったってこの店は。

「…鴒人」

 考え事をしていた耳に今生での名前が届く。女性の声だ。近くから聞こえたその声に振り向くとそこには今しがた考えていた男とよく似た髪形をした女が紙袋片手に立っていた。
 かつて共に戦った、もう一人の霧が。

「、篝(かがり)」

 名前を口にするのに一瞬戸惑ってしまうのは許してほしい。前世での名前の方が馴染み深い俺にとって今の世界での名前は咄嗟には口から出てこないのだ。
 それは向こうも同じだと思うが、周りに人がいる時は前世での名前は口にしないというのがいつの間にか俺達記憶を持つメンバーの決まり事のようなものになっていた。
 今は篝瑠璃(かがりるり)という名前のクロームがすぐ傍までやってくる。手にしている濃い藍色の紙袋には『Rin'ne』のロゴが入っていた。
 クロームは今、骸の元でデザイナーをしている。生まれ変わっても骸と共にいる事を選んだのは全くもってクロームらしい。
 そんな自社の紙袋を持ってきたという事はきっと開店祝いの品なんだろう。

「お店、入らないの?」
「いや、入るぜ。随分店の雰囲気が変わったと思って見てただけだ」

 前世で骸同様、クロームもよく俺を気にかけ、話す事も多かった。仕事のやり方を教えてほしい、イタリアの事を教えてほしいと勉強熱心な姿は好ましかった。
 いつだったか骸があなた達を見ていると兄妹のように見えると言った事があったのを思い出す。それはお前らだろとその時言ったが、見た目ではなく関係性がです、と言っていた。
 隼人君を兄のように慕うクロームとそんなクロームを気にかけ面倒を見る姿は仲睦まじい兄妹のようだ、と。
 確かに妹がいたらこんな感じなのだろうかと思った事は何度かあったので否定できなかったのだが、そんな第三者から見ると兄妹のような関係は今の生でも健在だったりする。
 先程の俺のように店を見て本当、と穏やかに笑うクロームに俺も笑みを零し一緒に店へと入っていく。

 手垢一つ付いていない硝子戸を開けて店内へと入れば新しい店特有の匂い。
 店内には一目見て上等とわかるハットやネクタイが並び、その脇には小さいながらも色とりどりのケーキが並ぶショーケースが置かれている。リニューアル前には無かった物だ。
 ケーキのショーケース一つ置かれただけで随分と可愛らしい雰囲気となった店はこの店の主である夫婦らしいなと微笑ましい気持ちになる。

 …平和、だな。

 マフィアという裏の世界で生きていた昔とはまるで違う。

「獄寺くん、クローム!来てくれたんだ」

 店の奥側に位置する階段から馴染み深い名前を口にしながら店主が妻である京子と共に下りてくる。前世でたった一人、己が仕えた主が。

「はい。この度はリニューアルオープン、おめでとうございます」

 深々と頭を下げ、こちら心ばかりですが、と持ってきた紙袋から長方形の箱を取り出し手渡す。
 中身は色違いの二本の万年筆だ。夫婦で使えるようにと選んだ。
 その箱を有難うと笑顔で受け取る。

 今日は沢田綱吉、今生では金村廉(かねむられん)の洋装店のプレオープンの日だ。
 金村洋装店の三代目店主である金村廉は二年前に前世と同じ人物と結婚した。笹川京子、今は真田可奈(さなだかな)という名前だが彼女がケーキ作りが好きでいつかケーキ屋を開きたいと言っていたらしい。
 それを聞き、それならば洋装店を改装してケーキ屋もやってしまおうと考えこのリニューアルオープンとなった。
 洋装店とケーキ屋が合わさっている店なんて聞いた事がなく、ミスマッチな気がしていたが実際来てみると意外と違和感が無いのが不思議だ。
 リニューアル前は壁際一面にあったスーツが見えないが、それはきっと二階へと移動したのだろう。

「ボス…これ、骸様と私から…骸様、今日どうしても仕事で来れなくて…」
「有難う、こうしてお祝いの品を用意してくれて、しかも花までくれて十分すぎるくらいだよ!」
「獄寺くんもクロームちゃんも有難う」

 もし良かったらケーキ食べていって、自信作なんだ、と敬愛する主の妻から笑顔で言われれば断る事など出来ない。
 もっとも前世と違い今は仕えているわけではないのでボスとその右腕という関係ではないのだが、その気持ちは変わっていない。
 じゃあ一つだけ、と何とも可愛らしいケーキが並ぶショーケースをクロームと覗き込む。
 すると階段から何やらどたどたと騒がしい足音が聞こえてきた。その足音が誰のものかなんて見なくてもわかる。
 騒がし過ぎる二人分の足音。その音の主は予想通り過ぎる騒がしい声と共に一階へと現れた。

「獄寺、クローム!久しぶりだなー!」
「極限に久しぶりではないか!元気にしていたか!?」
「あー、お前らほどじゃないけどな」

 そんなだだっ広い場所なわけでもないのに何故こんなに大きな声で話してくるのか。
 前世で慣れたとはいえ相変わらずのその勢いに若干呆れつつも苦笑しながら振り向く。久しぶりの再会を嬉しく思っているのはお互い様だ。
 前世では同じ守護者として毎日のように顔を合わせていたが、今はそれぞれが忙しく平和な人生を生きている。
 山本は鈴木真(すずきまこと)という名で社会人野球で活躍しつつ実家の剣術道場の師範代として子供達に剣術を教えているし、笹川は真田圭介(さなだけいすけ)という名でプロボクサーをしていてこの間も何かのタイトルを獲っただかで新聞に載っていたのを見た。
 要するにそれぞれが忙しなくも今生を謳歌していて昔のように頻繁に会う事が無くなったのだ。
 それでもそれなりに連絡は取り合っているし、月に一回は誰かしらに会っているが。

「ランボの奴は今日来れないんでしたっけ」
「うん、雑誌の撮影があるんだって。何でも表紙を飾るらしいよ」

 何の雑誌か聞いて買わなくちゃねと自分の事のように嬉しそうに笑う沢田に獄寺も笑う。
 ランボがモデルとして中々芽が出ず悩んでいた時期を知っている分、喜びは一入というやつだろう。
 今度はランボの表紙祝いをしようか、等と盛り上がる空間はとても穏やかで幸せしかない。
 前の人生でも幸せな場面はいくつもあった。穏やかな時間が流れる瞬間だってあった。けれどマフィアに完全な平和なんてものは存在しない。
 いつ命を落とすかわからないという思いはどれだけ穏やかで幸せな時間が流れている時でも、全員が持っていた。
 明日、自分は死ぬかもしれない。周りにいる誰かが死ぬかもしれない、と。


 そう、人は突然死ぬのだ。どれだけ強い人間でも。

 最強と謳われたあの男でも。


 脳裏に過った黒に目を閉じる。
 あの男とはこの生を受けてから会った事は一度も無いし、姿を見たという話も聞いたことが無い。

 あの男もこの世界に転生しているのだろうか。
 もしそうならば、あいつもこの平和な世界で幸せに、


「邪魔するよ」


 突然聞こえた声に幻聴かと思った。あいつの事を考えていたから声が脳に再生されたのかと。
 開かれた硝子戸から吹き込んできた冷たい風と共に聞こえてきた低いテノールボイス。
 その声を、自分はよく知っている。前世で何度も聞いた。
 あのクリスマスの夜にも、その体の冷たさを感じる近さで。

 その場にいる全員が硝子戸の方を見て驚きの表情で動きを止めた。
 硝子戸前に佇む黒いコートの男。黒い髪に切れ長の目。獲物を食らい尽くさんばかりの肉食獣のような鋭い光を宿した黒い瞳。
 その姿は記憶の中の雲雀恭弥、そのものだった。


 雲雀だ。
 こいつも、この世界に転生していた。


 その現実に言葉などでは言い表す事が出来ない、様々な感情が込み上げ呼吸さえも止まった。
 血の気が引き、頭が真っ白となってまっすぐ立っているかもわからなくなる。

 確かに前世で関わった人達は殆どが転生していた。雲雀だけが転生していないという事は無いだろうと思っていた。
 けれど、会いたくなかった。会いたかったけれど、会いたくなかった。
 雲雀だけは、俺と関わる事無く生きててほしかった。

「…何、僕の顔に何か?」

 全員から向けられる視線に雲雀が訝し気に目を細める。不機嫌さを隠しもしない顔で視線だけを動かし全員の顔を見るその瞳には友好さは欠片も見えない。

「金村廉はいる?」

 感情の何も籠っていない冷たい瞳はこの場にいる誰にも反応せず、沢田の今の名前を口にする。
 雲雀のその様子に全員がすぐに察した。

 雲雀は前世の記憶を持っていない、と。

「お前…憶えていないのか…?」
「何の事?」

 笹川の言葉に明らかに不愉快な色を滲ませながら眉根を寄せる。
 今まで会った転生したメンバーは殆どが前世の記憶を持っていた。だから雲雀も記憶を持っているものだと思い込んでいた。
 前世で突然死んでしまった仲間との何十年ぶりの再会。その相手が記憶を持っていない事に笹川はありありとショックの表情を浮かべた。そしてそれは笹川だけではない。
 記憶の無い雲雀に少なからずショックを受けている面々の中、けれど獄寺だけが違っていた。

「ひば、」
「十代目」

 雲雀の名を口にしようとした沢田を止める。その制止にこちらを見た沢田と目を合わせれば沢田は一瞬辛そうに目元を顰めた後、獄寺を見つめ一度頷いた。

「…すいません、あまりに知り合いと似ていたもので…金村廉は俺ですが貴方は?」
「…経営コンサルティングの『IKARUGA』の者なんだけど。担当者が急用で来れなくなったから僕が代わりに来た。明日オープンだって話だったから」
「そうだったんですね、この度は色々とご相談に乗って頂き有難うございました。ここでは何ですので奥でお話を…可奈ちゃんも良いかな」
「う、うん」

 皆は自由に寛いでて、と雲雀を伴い沢田は京子と共に店の奥へと入っていく。
 重たい静寂。残された面々の視線は獄寺へと向けられていた。
 雲雀がどのような最期を迎えたのか、雲雀が死んだ後獄寺がどのような人生を送ったのか、ここにいる全員が知っている。
 だからこそ皆、獄寺を気に掛けずにはいられなかった。

「…あいつには、何も言わないでくれ」

 沢田はさっきのあの一瞬だけで自分の考えを察したようだったので雲雀に何か言う事はしないだろう。
 前世を思い出させるような事は一つも。

「…獄寺はそれで良いのかよ」

 そのあまりに辛そうな顔に思わず笑ってしまう。

 何でお前がそんな顔すんだよ。

「いーんだよ。それが一番良い」

 この争いも無い平和な世界に転生して、何も知らずに平穏に、幸せに生きているならばそれで良いじゃないか。
 あんな昔の事など思い出さなくて良い。
 あんな、特に仲が良かったわけでもない男を庇い、あんな告白紛いの事を言い、その男の腕の中死んでいったなんて、そんな思い出す必要のないもの。
 そんな記憶、無い方が良いに決まっている。

「…俺は、あいつには今度こそ幸せに生きてほしいんだ」

 俺を庇って死んだ男の人生に俺は不必要だ。
 俺があいつを殺しただなんて、そんな事は思っていない。けれどあいつが死ぬ要因になったのは紛れもない事実だ。
 もし記憶を取り戻して全てを思い出したとして、その時に己の命を投げ打って庇い、助けた男の存在を思い出したあの男はどうするのかと考えただけで恐ろしくて仕様が無い。
 自分が再びあの男の人生を終わらせてしまうような存在になってしまうのではないかと、恐ろしくて堪らない。

 焦がれていた。あの強さに。あの誇り高さに。あのぶれずに真っ直ぐと立つ凛とした姿に。

 その男が再び生を受けていた事を嬉しく思う。
 だから。

 どうか幸せに。

 それだけを只々祈るように願っている。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -