企画


人間には嗜好というものがある。それは千差万別で、苦いものを好む人がいれば辛いものを好む人もいる。どの嗜好品が一番優れており、逆にどの嗜好品が一番劣っているかを決めるなんて野暮な話であり、一概にどれがいいのかなんて決めてはならない。
なぜなら嗜好とは、その人だけの領域なのだから。無闇に足を突っ込んではいけない。

しかし嗜好は一種の欲を生むのだ。

「ケーキ」
「わたしはケーキじゃありません」
「ケーキが食べたい。この際ケーキじゃなくてもいいから甘いものが食べたい、至急」
「砂糖でも食べてればいいでしょう」

この男に「舐める」なんて概念は通用しない。

ナマエはクラウチの言葉を一蹴して、目の前の課題に取りかかった。悪いが今、彼に構っている暇はないのだ。
しかしそんなことは露知らず、いや知っていても、クラウチはそんなことで身を引くほど聞き分けがいい人間ではなかった。

「ケーキ」
「砂糖」
「クッキー」
「砂糖」
「ガトーショコラ」
「砂糖」
「マドレーヌ」
「砂糖」
「クレープ」
「砂糖」
「砂糖」
「戸棚にあるわ」
「…お前もだいぶ成長したな」

クラウチは頬杖をついて薄ら笑いした。

バーテミウス・クラウチ・ジュニアという男は顔に似合わず甘党だった。
砂糖は溶けきれずティーカップの底に溜まるほど入れるし、パンケーキにメープルシロップをこれでもかというほどかける。
糖分をそんなに摂って何をしたいのかナマエにはわからなかった。聞けば子供の頃から抑制されていた甘いものへの興味が大人になって爆発したらしい。
どんな家庭環境だったのか気になるところである。

そんなクラウチを知人から紹介され、ナマエは一目で彼を好きになった。知人に「彼は甘いものが好きだから」と言われ必死にお菓子を作ってアピールして、ついに彼から交際を申し込まれ今に至る。

が、これほどまで甘いものが好きだなんて知らなかったナマエは、いろいろ悩んでいた。
わたしを好きなんじゃなくて、わたしが作るお菓子が好きなんじゃないか、と。

「なぁ、いつ終わるんだ」

クラウチが退屈そうに言った。

「終わってもお菓子は作らない。寝るから」
「まぁ…確かにそれもアリだな」
「…! 違うそういう意味じゃない!」
「わかってる。からかっただけだ」

クラウチは愉しそうに笑う。
ナマエは顔を赤くしながらクラウチを睨んだ。それを見てクラウチは小さく、可愛いな、と聞こえるか聞こえないか微妙な声音で呟いた。

「安心しろ。別にお前が菓子を作らなくなっても別れるつもりはない」
「…? なに、急に」
「まぁ作ってくれるなら万々歳だが。お前のことは勿論好きだし、お前の作る菓子も好きだ。それ終わらせてさっさと寝ろ」
「え、ちょっと?」

クラウチは立ち上がり、にっと笑った。そしてナマエに背を向ける。

「ちょっ…どこ行くの?」
「生クリーム買ってくる。帰ってくるまでに準備しとけ」
「何を」
「スポンジと苺。ちゃんと起きてろよ。寝てたらお前の体に生クリーム塗りたくってやるからな」

そんな不穏な言葉を残して、彼はドアを開けた。
ナマエが慌てて引き止めると、クラウチは振り向いた。

「今すぐ食べたいなら、買ってきたらいいじゃない。ドーナツとか」
「……」

クラウチは何も言わず、じっとナマエを見つめた。
それから、俺は、と一呼吸置いて、口を開いた。

「お前の不恰好なケーキが食べたい」
「ぶかっ…」
「なんでだろうな。自分でもわからないが、無性に食べたくなる。材料は買ってきてやるんだから、絶対に作れよ」
「作れよって…」
「約束だからな」

最後にもう一度念を押して、クラウチは出ていった。

本当に生クリームを買ってくる気なのだろうか。というか、横暴だ。
なのに、少し嬉しいと感じている自分がいる。惚れた弱味とでもいうのだろうか。

そして結局、自分はケーキを作ることになるんだろう。
滅多に見せない笑顔と、「美味い」の一言の為に。

我ながら安い愛情だとは思いつつも、それで彼が満足するならこちらとしても万々歳だなと、ナマエは思うのだった。




「甘党クラウチが甘いものをねだる話」
雪菜さん、企画参加ありがとうございました!
いいですね可愛いですね甘党クラウチ。もう少しわがままっぽくしようとしたんですが、優しさと大人の余裕を見せたくて、こんな感じになりました。
結局この後二人で仲良くクリーム泡立てたり塗りたくったり苺切ったりするんでしょうね。きっとこのクラウチは自分専用のエプロン持ってますよ。黒くて前掛けタイプのやつ。んで腕捲りするんですよきっと!
甘いものも主人公のことも大好きなクラウチのお話でした。


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