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地獄は燃えているか


火のない所に煙は立たないという諺を鵜呑みにするなら、サバトについても何らかの根拠があり全くの虚構とは言い難いのではないか。
現に今、自分は、魔女の才覚有りと判断され、魔術学校に通っている最中だ。ただ、その学校生活も、自分で描いていたものより平凡過ぎて退屈極まりない。
サバトもない。悪魔崇拝の授業も無い。サタンが地獄からやって来て、教鞭を振るうこともない。悪魔の存在は、こっちでもカルト、宗教、空想の生き物という枠の中でしか認知されていないのはなんとも勿体ない、そして、面白くない。

しかしわたしは、サバトを信じていたかった。それは嘘だというのなら、嘘である証拠が欲しかった。魔女と悪魔は全くの無関係だという、証拠が。




「それこそ悪魔の証明だな」

――悪魔の証明?

「不可能に近いってこと。無理難題とでも言えばいいのか? まぁ、そういうニュアンスだ」

――なぜ、そう思うの?

「今いる魔女、今までの魔女に聴取できるのか? 悪魔と縁がありますかって。無理だろう。魔女と悪魔は全くの無関係だという証拠を出せって言うのは、そういうことだ。そもそも、マグルではサバトをそういう儀式として吹聴されてたなら、もうその時点で魔女と悪魔の接点ができてる。一体どんな馬鹿がそんなこと触れ回ったのかは、アンタ知ってるみたいだけど興味ないから聞かないでおくわ」

――じゃあ、クラウチも悪魔を信じていないんだ。

「まぁな」

――いたらいいなって思わない?

「別に。でも、いても不思議じゃないと思う。それだけ」

――いる派ってことにしていい?

「えぇ? なんでそうなる。まぁいいけどさ…。…っていうか、本当にいたら、今頃こんな平和ボケした世界にはなってないだろ。軍事利用されて世情はぐちゃぐちゃになるのがオチだ。そうなっていない今の平穏な状態が、案外答えなのかもな。…アンタも悪魔を使役したいのか?」

――最初はそう考えてた。自分自身が強くなるより、最初から強いものを用意したほうが手っ取り速いじゃない。

「いかにもな考えだな。中途半端に合理的で、中途半端に夢見がち」

――悪い?

「悪くないよ。馬鹿にしたかったわけじゃなくて、多種多様だなと思っただけ。俺にはない発想だったから。…でも結局、悪魔を使役したり、悪魔とまぐわって自分の力を高めたりするのは効率が悪いんじゃねぇかな。俺も詳しくは知らないけど、あれだろう、悪魔って、契約とかなんとか言って、生贄とか求めてくるんだろう。最悪自分の魂とかそういう話だろう。そりゃ流行らねぇよ、悪魔使役は」

――効率を考えない愚か者が悪魔を召喚してるって言いたいのね。

「…アンタは悪魔を使役して何がしたいんだ? やっぱり、声か?」

――ええ。声が欲しい。両親の魂があればなんとかなるかな。

「ははっ。図太いヤツ。…ていうか、悪魔ってなんでも願いをかなえてくれるようなモノなのか?」

――そういう逸話はたくさんある。魂と引き換えに願いを叶えるらしい。だから、わたしの願いが叶った瞬間、わたしの死後は決定しているわ。

「地獄へ?」

――ええ。

「いいのか? 今世きちんと生きて、死んだ後に天国に行くか、来世望んだ姿で生まれるほうが良いと思うが」

――わたしにとって重要なのは今だから、先の事なんて知らない。願いが叶った後にわたしの魂が切り刻まれ、磔にされ、地獄で燃えようとも、今が良ければかまわない。

「いいね、その考え。身を滅ぼしそう」

――また馬鹿にして。
――自分だってわたしがどんな声なのか、気になるんじゃない?

「……気にならないって言ったら嘘になるけどさ。俺は今のこの感じも好きだよ。手話も覚えたし」

――早かったよね、覚えるの。魔法でも使ったの?

「反復魔法を少しだけ。こういうのって繰り返さないと身に付かないと思って」

――そっか。
――考えてみれば、悪魔を召喚しても、わたしは声が出ないから意思疎通ができないかもしれない。盲点だった。

「悪魔ならテレパシー対応してそうだけどな。手話は…流石に人間世界の教養なんて知らねぇか」

――もしくは、わたしの代わりに召喚してくれる人を用意する必要があるのね。面倒だわ…。
――ねぇ、もしよかったら、クラウチが代わりに…。

「ばか。誰がするか」

――ゴメン、冗談。あなたの魂まで地獄で燃やすなんて、忍びないわ。

「…俺にそれを言うってことは、自分でも危険なもんだって分かってるんだな。常識が残ってて安心した」

――勿論。
――自分の為に自分が危険な目に合うのはいいの。それを覚悟して魔女になるって決めたから。

「両親を生贄にするくらいだもんな」

――親の義務よ。これくらい当然でしょ。

「…義務、ねぇ」

――生贄要因はばっちり。召喚してくれる人は、生きているうちに探すわ。

「いたらいいな。俺は止めないよ。背中を押しもしないけど。こうやって話くらいは聞いてやる。あとは…」

――何?

「…もし悪魔を召喚できる目途が立ったら、俺を呼べよ」

――なんですって?

「天使か悪魔かで言ったら悪魔だろ? 俺って。もし俺が先に死んでたら出てきてやるよ。最小コストで願いを叶えてやる」

――早死にする予定でもあるの? それとも、そんな先の長い研究やめとけって言ってる?

「……好きなように受け取れよ」


クラウチJrはそう言って、少し悲しげに笑った。

後に、彼が、彼の友人と一緒に、死喰い人の道に進んだと知った。
学校を卒業してからも続いていた交流は、彼が新聞の表紙を飾ると共に、途絶えた。
わたしはあの時の彼の言葉の意味を思い出し、ひっそりと涙を流すだけに留め、研究に邁進した。











彼の言っていることは正しかった。
悪魔を召喚するのは全くもって効率が悪い。
時間は食うし、神経は磨り減るし、体は老いる。生贄にしたかった両親もとっくに死んでしまったし、わたしの代わりに声を使ってくれる人間も結局見つからなかった。

「嘘つけよ。見つけなかったんだろ? 俺なら手話が通じるもんな」

クラウチJrは生前と変わらぬ姿、否、生前よりも健康そうな顔つき体つきで、聞き覚えのある懐かしい声はあの時のまま、やって来た。
彼の背中には真っ黒な翼があり、それはわたしがずっと夢見てきた、思い焦がれていた、悪魔の羽根、そのものだった。

「尻尾もあるぜ。でも角は生えなかったんだよな。期待を裏切っていたら申し訳ない。…しっかしまぁ、本当に悪魔になるとは思わなかったし、お前が本当に俺を呼ぶことを諦めなかったことにも驚きだ。あれから何年経ったんだ…俺が死んでからだから……今は67歳か。うん、歳相応って感じの顔だ」

――おばあちゃんになっちゃった。

「そりゃあなるだろうよ。でも、お前が生きてるうちに会えて良かった。死んだら多分二度と会えなかっただろうから」

――わたし、そんなに真っ当な人生を生きてないわ。

「知ってる。自分の夫と一人息子を生贄にするくらいだ。これを見越して結婚出産したんだろう。流石、イリア・リービッヒ。図太さは天下一品。最小コストでって言ったはずなんだけどな。これなら御釣りが来るぜ」

――余計だった?

「いや。考え方を変えれば、もっとイイ事ができるって意味になる。そうだな、まずは少し若返らせるか」

――ちょっと、勝手に…。

「悪魔は勝手なんだよ。何が悪い? ほうら、出来た。…さて、清算してやる。お前の望みを教えてくれよ」

――分かってるくせに。

――声。

――声が、欲しい。

「やっぱりそれか。心変わりしなかったんだな。やっぱり流石だよ、お前は。…さて。もう喋れるはずだ。第一声は決めてるのか?」

――決めてる。
――言ってもいい?

どうぞ、と彼に促され、わたしは、息を吸い込んだ。




「バーテミウス・クラウチJr」

名前を呼ぶと、彼の目が少しだけ見開かれた。刹那、瞳が、炎のように赤く煌めいた。
彼は、炎の悪魔かなにかになったのだろうか。それとも、名前を呼ばれた悪魔はみな、そういう反応をするのだろうか。
なんであれ、彼を驚かせたことが、誇らしかった。

「ああ、やっとあなたの名前が言えた」
「…俺の名前で良かったのか?」
「本当は、自分の名前を。イリア・リービッヒって言うつもりだったんだけど、あなたを見て気が変わったの。ありがとう、望みを叶えてくれて」
「どういたしまして。それより、これからどうするつもりだ。悪魔なんぞに肩入れして、健やかに過ごせるなんて思わないほうがいいぞ」
「勿論、波乱万丈、好き勝手に生きてやるつもり。あなたと一緒に」
「俺も一緒に?」
「当たり前でしょう。何の為にあなたを呼んだと思っているの。何の為に今まで我慢して生きてきたと思っているの」

クラウチJrはにやりと笑い、一歩前に踏み出た。
わたしも一歩、彼に近づき、左手を差し出した。彼はその手を取り、まじまじと見つめた。

「ダッセェ指輪。捨てるぞ」
「どうぞ」

忌々しい、と唾を吐き捨てるように、薬指にはめていた指輪を抜き取り床に投げた。カランカラン、と小さな音を立てて転がっていったその先、夫の足に当たりそこで止まった。
視線を戻そうとする前に、クラウチJrはわたしの顎を掴んで定位置へと戻した。

「随分、乱暴だこと」
「悪魔だからな」
「免罪符にするつもり? 悪魔になれたからって、あなたの生前の行いをわたしは許すつもりはないのよ」
「はいはい。一人にして悪かったよ。でもあれもこれも、お前の願いを叶えるために仕方なくやったことなんだ」
「自己犠牲だと言いたいわけね。虫のいいひと」
「もう悪魔だよ」

彼の目に、わたしが映っている。数十年前の、若々しい姿。
その中で一筋の炎が走る。
まるで、死後を暗示しているように。

「ひとつ、聞いてもいい?」
「なんだ?」
「地獄は燃えていた?」
「…ああ」

クラウチJrはにやりと笑い、わたしもそれを見て笑い、抱き締めて、初めてのくちづけを交わした。

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