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なまめかし、1度きりのべエゼ


「俺たち、もう終わりにしよう」

わたしへの怒りと呆れを乗せたお別れの言葉はすんなりと耳の中に溶け、心と脳へ染み渡った。

何度も想像していたので、あまり傷ついていない。そんな自分に驚いている。
そして同時に、ビルから別れを切り出してくれたことに安心していた。

デートをして、好きだと言われて、はぐらかして、それでも好きだと伝え続けてくれたビルを見て、学生の間だけでも夢を見てもいいかも、なんて思いに至り、恋人同士になったのが、たしか3か月ほど前の事で。
ビルはわたしの気持ちを尊重して、節度ある交際を続けてくれた。
手も触れない。ハグもしたくない。キスなんてもってのほか。寮が同じでも他人の目がるから、四六時中一緒にはいられない。たまに会って、話して、笑い合う関係。

みんなはわたしたちを見て、言った。
健全な恋人同士、と。

そんな交際に、ビルが不満を感じていることは知っていた。
友達づてに聞いたのもそうだし、直接会話を交わさずとも、友達から恋人になってからの彼の一挙手一投足は別物だった。
わたしは、そんな彼の気持ちを無視し続けた。

ビルが嫌だったわけじゃない。
でも、ビルだから駄目だった。
ああ、結局この3ヵ月、ビルを振り回しただけだった。

自己嫌悪が顔に出ていたのか、悔しそうに、悲しそうに、ビルは目を伏せてため息を吐いた。

「その顔もきっと、俺と別れることが悲しいってわけじゃないんだろう」
「……うん」
「…そんなに甲斐性無かったかな、俺。…俺はずっと、イリアの事が好きだったよ。好きだったから、イリアの言う健全な交際にも付き合った。いつか変わると思ってたのに。…全然変わらなかったね。…俺がもっと辛抱強ければ良かったのかな」
「それは、本当にごめんなさい。でもビルは悪くない、わたしが…駄目だっただけで」
「……何が、駄目なの」
「……ビルは将来、わたしよりもっと可愛くて綺麗な人と結婚することになるから。仮初であっても、わたしと深い仲になるのは駄目だと思って…」

言い終わる前に、ビルは深くため息を吐き、頭を抱えた。
わたしは彼から目を逸らし、自分で聞いてきたくせに、答えが分かっていたくせに、なんでそんな態度を見せるの、と、悲しくなってしまった。

この世界でこれから起きることは、全部、頭に入っている。
ビル・ウィーズリーの結婚相手の名前も、彼女との間に生まれた子供の名前も、わたしは既に知っている。

要するにわたしは、物語の中に紛れ込んだ異物なのだ。

そんな人間が、ビル・ウィーズリーの学生時代の恋人ごっこの相手になっていいわけがない。
分かっていたのに、なんであの時、ビルの告白を受け入れてしまったんだろう。
驕るにも程がある。

ビルは静かに笑い、前髪をかき上げた。鬱陶しいとでも言いたげに。

「その千里眼はさ、イリアの自信の無さからくる被害妄想だよ」
「……」
「たくさん伝えたのに。俺の言葉じゃ不安を拭い去れなかった?」
「…ごめんなさい」

付き合っていた時とは違う、刺々しく冷たい言葉に、わたしは頭を下げる以外の反応ができない。
これがビルの本心だと理解すると同時に、最後くらいは全て受け止めようと、決して涙は流すまいと、目頭が熱くなるのが分かった。

交際期間は3ヵ月あまり。
ビルには我慢ばかりさせてしまったけれど、わたしも不安ばかり抱いていたけど、それでも、ビルと恋人になれたことが嬉しかった。楽しかった。

わたしだって、好きだった。

泣かないと決めたくせに、涙がポタポタとこぼれた。
ローブで拭いながら、必死に最後の言葉を考えていると、滲んだ視界の中でビルが近づいてくるのが見えた。

もっと怒らせたと思い、ごめんなさい、といつもより大きな声を出した。
それまで聞こえていた足音は止み、しばらく自分の息を整える音だけが聞こえた。
首を垂れるわたしの頭に、静かに何かが乗せられた。

「もう、いいよ」

ビルはそう言って、わたしの頭を撫でた。頭に置かれたものは、ビルの右手だったらしい。

「もう分かったから。泣かないで」

ビルは左手をわたしの肩に回し、優しく抱き寄せた。
初めての抱擁だった。
ビルの息をする音、心臓の音、手の大きさ、香水の香り、柔らかい髪の毛が、すぐそばにあった。

「俺はさ、イリア」
「……」
「数十年後の俺じゃなくて、今の俺を見て欲しかった。イリアの不安が的中することになっても、きっと…俺たちならきっと、もっと良い別れ方をしていたと思うよ」

涙が溢れると同時に、彼の腕に力が込められた。
ビルも深く息を吸って、呼吸を整えているのが分かった。

「ごめんね。いっぱい苦しませて、ごめん」
「ちが…わたしが…」
「ううん、俺のせい。今だって、君との思い出を良いものにしたくて最後の最後にこんなことしてる。無駄な抵抗なのにさ」

ビルはそう言って、自嘲気味に笑った。
顔は見えなかったけれど、泣くのを我慢しているような声で、わたしの視界がまたひどく潤んだ。

「あのさ、イリア」
「…な、に?」

返事がビルの耳に届いたのか分からなかったけれど、彼は、最後にこれだけは教えて、と続けた。

「俺の結婚相手はフランス人だって、言ってたよね」
「…うん」
「イリアより可愛くて綺麗で歳下で、魔法も上手だって」
「…うん」
「俺が初めてキスする相手も、その人なのかな」
「…わ、かんない…」
「そっか。…あのさ、イリア」

名前を呼んでから、ビルはゆっくりと顔を離した。
泣き顔を見られたくなくて、わたしは慌ててローブで残りの涙を拭き取った。

袖の濡れたローブの中、私の両手をビルが包んだ。

「俺、初めてのキスの相手は君がいいんだ」

ビルはそう言って、おでこをくっ付けてきた。

思わず視線を下げたけれど、ビルと目が合うと、どちらともなく目を閉じて、お互いの唇を触れ合わせた。
やめておけばいいのに、わたしはビルの手の拘束から逃げて、彼の首に手を回した。
ビルの手は、わたしの腰をがっちり掴んでいる。

薄っすらと目を開いた。
長い前髪が、彼の顔を隠している。

ビル。ねぇ、ビル。大好きよ。

伝えたい言葉がようやく見つかり口を少しひらいたら、彼の舌が潜り込んできたので、わたしはまた、目をとじてしまった。

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