シロップ | ナノ

頭の中で、低脳な、つまらない罵詈ばかりがまわっている。
ジャッカルの馬鹿野郎。あほ。ハゲ。etc。

それもこれもジャッカルが悪い。

俺がこんなに胸をムカつかせている間にも、あいつは飽きもせず赤也に構ってばかりいる。
けどそんな光景が面白くないと強烈に感じ始めたのは、つい最近になってからだ。

登校する時も、帰る時も、どちらかと言えば大勢の方が好きな俺は、周りに居る何人かを巻き込んで行動する事が多かった。
物静かな空気を得意とする柳や真田なんかとは違って、一人、二人で居るのはつまらなく感じてしまうからだ。
それなのに今は、二人きりが苦でもなくて、むしろ一人で居たって構わないくらいになってる。一人だと、気兼ねなく考え込む事が出来る。自分で言うのもなんだけど、今まであまり物事を深く考えようとした事がないから、こんな自分が新鮮で面白い。

時々苦しかったり腹が立ったりするけどまぁ仕方ない。
これが、アレなんだ。きっと。

ただ、相手がジャッカルってところが少し気にかかる。俺は並に女が好きだったし、彼女が居た事だってあるのに。
今そういう存在が居ないのはジャッカルを意識しているからかもしれない。つくりたいとも思わないし、女と付き合う過程が今は面倒に感じている程で。
こういうの、相当ヤバイんじゃないかって自覚はある。
男を、しかもあんな風貌の奴を思うあまり、女への興味が薄れるなんて。ホモっ気があったつもりは毛頭ないのに。

これは後悔なのかもしれない。
普通の恋愛から遠ざかり、男を好いてしまったのだから、後悔くらいする…割り切るのは得意だったはずなのに、今ではこんなに言い訳がましく考えるようになってしまった。

それもこれもジャッカルが悪い。






「先輩、今日モス寄って帰りましょ!」
「お前よく金もつなぁ」
「へへっ、昨日小遣いもらったんで」

赤也の嬉しそうな顔を見ていると、胸のモヤモヤが広がる。

「おい」

思わず口から飛び出した言葉は、自分で想像していたものよりずっと怒りを含んでいた。機嫌の悪さが滲み出ている。

「……、なんだよ?」

暢気にジャッカルは聞き返してくる。
お前の所為だよ。
――なのに。

赤也の方はと言えば俺の方をじっと見ている。出方を見られているみたいで居心地が悪い。同時に、計画性の無い自分に苛立つ。
こんなに感情任せに動く事なんて、そう、多くないと思っていたけれど。

やっぱりジャッカルの所為だ。

「どうしたんスか、丸井先輩」
「…はは、」

赤也の問い掛けに、ジャッカルは困ったように笑った。その表情に、ドク、と心臓が強く波打つのを感じた矢先。

「腹減ってるんだろ?」
「あ、そういう事!」
「一緒に行くか?」
「…は?」

あまりにも的外れな事を言い出すものだから、カチンときて。
赤也が俺を嘲笑っているように見えたのは、たぶん、ただの被害妄想だ。でもなんだか屈辱的に感じてしまう。それも相まって、もう抑えが利かなくなった俺は、ジャッカルの腕を掴んで部室を飛び出した。





――バン!

内側から力任せに戸を閉める。校舎一階のトイレの個室は陰気で狭い。
ここまで引っ張ってくるのにだいぶ体力を使った気がした。俺より体の大きいジャッカルが拒むのを無理に連れて行こうとした訳だから、当然かもしれない。そういえば途中から抵抗しなくなっていた気がする。

どういうつもりだよ。
何もかも。問い詰めたくなる。

自分の思い通りにならないからじゃない。ただ、ジャッカルが俺以外に甘いところを見ると、無性に苛々するだけ。糖分が効かない疲労がどんどん胸に溜まって耐えられなくなってくるんだ。

便器の蓋に腰掛けたジャッカルは何も言わずに俺を見上げてきたが、その眉間には皺が刻まれていた。

「…ふざ、けんな。食欲だけ気にしてればいい時の方が、ずっとマシだった!」
「は…?何言ってんだ?」
「お前があんな馬鹿みたいな事言うから!」

胸倉を掴んだら、襟のところが伸びるような音が聞こえた。

「…腹減ってるんじゃなかったのか。…ワリィ」

ぼそっと呟かれる言葉は掠れ気味で、背筋がゾクっとする。

「なぁ、なぁ…ジャッカルは、俺だけのモンだろぃ?」

対して俺は、不自然に甘えたような声を出してしまった。

「モンって、俺はモノじゃない」
「…分かってるって。そうじゃなくて!」
「…お前、最近変だぞ」

浅黒いジャッカルの両手が俺の手を掴んで引き寄せた。そのまま前屈みになった俺は、覗き込むようなその仕草に逆らえなくて、苦さを顔いっぱいに出してしまう。ジャッカルは、そんな俺を目を丸くして見つめた。

誰の所為だと思ってんだよ。なんて。
ジャッカルが、俺の心の中の一人相撲を察する事なんて出来る筈もないのに、責めてしまう。

でもその「最近変だぞ」って言葉が、俺の事を気にしているんだと、僅かに前向きにさせてくれた。

「ジャッカル、ちょっとは俺も見てんだな」
「当たり前だろ…お前は俺のパートナーなんだから」

ドク。ドク。また心臓が強く波打った。


胸の重みが少し溶けた気がする。
固形の砂糖がコーヒーに混ざっていくみたいに。


「パートナー…それって、赤也よりも上?」
「え?…さぁ、どうだろうな」

首を傾げるジャッカルに、更に詰め寄って。

「じゃ、俺と赤也、どっちの事を多く考える?」
「いや…待て、赤也赤也ってなんなんだよ!?」

今度は、焦ったような声に、ゾクっときて。

「なんだよ…本当に分かんねーの?」

言いながら間を詰めて、乾いた唇に自分の唇を一瞬だけ合わせた。

「俺にだけ甘くしてればいいんだよ、ジャッカルは」
「…?、………っ、!」

呆然とした表情が、真っ赤に染まるのに、時間はそう掛からなかった。

ジャッカルを好きになった後悔は全部、溶けてシロップに変わっていく。

どろどろするくらいに濃い甘みが胸全体に染み渡っていった。