辛くて甘い | ナノ

辛くて甘い


裕太の目が赤澤を追う。
黄色いボールが自分の側を過ぎっていくのに気付かない程に視線を注いでいるので、コートの向こうに居る観月は溜め息を吐いた。またか、と心の中で呟いて少し大きめな声で名を呼べば、裕太はハッとした顔で観月へ向き直り、後ろのボールを確認してばつが悪そうに頭を下げる。観月はそれを責めなかった。

裕太は自覚していた。

部活中に頭を撫でられたり、叩かれたり、とにかく赤澤に触られている金田が羨ましいと思い、その姿を見つめてしまう事が多くなった。
金田の様になれたら同じようにしてもらえるのだろうかという妄想も、既に幾度かしてしまっている。
先輩に対する憧れからは少し離れた様な気持ちかもしれない。いや、憧れを何度も上塗りしてしまって、過剰に想っているのかもしれない。

どうしたらいいのか分からずにその気持ちを持て余していると、ある日、最近余所見が多いと観月が声を掛けてきた。
観月が「赤澤を目で追いすぎている」と言葉にするのは簡単だったが、そこまでは踏み込もうとはしない。
全ては本人達が解決すべき事、とお節介したくなる心を抑えた。


「裕太、カレー食いに行こうぜ」


空が茜色に染まり始めた頃、ユニフォームのチャックを下ろしながら赤澤が入ってくるなりそう言った。
鍵と部誌を持った制服姿の裕太は振り返って「え」と呟く。それは初めてでもない、先輩からの誘い。しかし意識し始めてからは初の事。目を瞬かせる裕太に笑顔を向けて赤澤が着替え始める。


「なんだ、カレー嫌か?」

「あ、いや、じゃないです」

「じゃ、決まりな」


少し動揺している声に気付きながらも、赤澤はやや強引に決めた。

着替え終えるのを待ちながら、裕太は寮に電話をしようか直接伝えに行こうかと思考を巡らせる。
そして、今日が週末なら夕飯の時間を過ぎても寮に戻らなくてもいいように外泊届でも出すのにな、と巡らせたところで、自分がとんでもない事を考えていると気付き一人焦った。紅潮しそうになる頬を軽く擦り、赤澤に見られていないかそっと視線を向ける。背中を向けられているので変に思われる事は無かったようだった。

汗を含んだジャージやらユニフォームやらを、決して丁寧とは言えない手付きでバッグに入れて持ち、待たせたなと裕太に声を掛ける。
そんな赤澤に、ああ、やっぱり触れてはこないんだ、と裕太は少しだけ寂しくなるのだった。





「かっら…っ」

「そりゃー辛いカレーだからな。味は美味いだろ?」

「ひりひりして分かりませんよ!」


赤澤が新しく見つけたというカレーが美味いと評判の店。
快く承諾した裕太だったが、やはり待ち受けているのは辛いカレーだった。甘口までいかずとも、辛くないカレーもメニューにはあるのだが、赤澤がいつも勝手に自分の美味いと思うものを選んでしまう。そして、大抵それを受け入れてしまうのでこうなる。

コップを掴んで水を飲み込み、辛さも一緒に流そうとするがヒリヒリとした刺激はなかなか簡単に引いてくれない。
涙目で赤澤を見れば、彼は美味しそうに食べている。
辛いのが得意でないと分かっているはずなのに毎度こうなので、少し恨めしい気もするのだが、なんだかんだで一番可愛がっているらしい後輩の金田ではなく自分を誘ってくれるのが嬉しいので文句の言葉は飲み込んでしまう。

カレーを好きで良かった、と思いながらライスを口に運ぶと、熱い分余計に口の中が痛くなった気がした。





店からの帰り道で、赤澤は不意に笑い声を漏らした。


「裕太、今日も泣いてたな」


どうやらカレーを食べていた時の裕太の反応を思い出し始めたらしい。
それには流石にむっとして、裕太は視線を逸らして口を開いた。


「辛かったんです!本当に」

「そっか、スマン」

「そう言ってもまた辛いの注文するんですよね、部長は」

「それはな…」


ぷつりと言葉を切って、赤澤が立ち止まる。
つられて裕太も足を止めた。

どうしたのか、と顔を見ると苦笑の様な表情をしている。裕太は自分の心音が一瞬大きくなった気がした。


「お前が辛いって言ってちょっと舌出したり、涙目になったりすんのが可愛くて」

「え?…か、可愛いって!ぶ、部長!」


からかわないで下さいよ、と続けようとしたが、何故か言葉が出てこなかった。震えてしまう唇を左手の甲で擦るものの、赤澤の顔を見ていると緊張して顔が強張る。あまりにも真剣で、皆まで言わせるなと訴えてくる様な雰囲気だった。


「…裕太が俺の事見てるように、俺も裕太の事、結構見てんだよ…」


言われた言葉に恥ずかしいと思う暇も無く、ぐっと抱き寄せられた。
そう小さくもない自分の体が赤澤の両腕に収まり、裕太は驚きと同時に湧き上がる感情で何も言えなかった。
そろそろと腕を伸ばして赤澤のシャツを握ると、暑いからか、湿った感触がする。
裕太の手が自分の背中に手をやったと知ると、赤澤は嬉しさのあまり口元に笑みを乗せてますます力を込める。
苦しい、と訴える裕太に口だけの謝罪をしたが、やっと触れられる喜びに、それは裏返りそうな情けない声をしていた。