―――――私は、泣きたくなったんだ。





その日、携帯に珍しい名前が表示されていた。不在着信、無言メール、それはともに景吾君からのもので……私の胸は嫌な予感に支配された。



これは尋常じゃない、と思った。



私はボタンを押した。コール音が鳴り響く――――出ない。


可笑しい、可笑しいのだ………あの景吾君が何故………まさか………念のために聞いておいたミカエルさんに電話をかける。


『――――はい、この番号は名字様ですね』

「あの、すみませんミカエルさん……景吾君、いらっしゃいますか?」

『………』

「電話とメールがあったんですけど……折り返しかけても反応なくて……もしかしたら、と」

『そうだったんですか……実は――――――』





―――――あぁ、景吾君って阿呆だったんだ……ミカエルさんの言葉により私はそんな結論を得るのだった。




景吾君の部屋に足を踏み入れる。湿度が高めになっている部屋の中の豪華絢爛という言葉がまさにふさわしいキングサイズのベッドの中にそんな阿呆な子はいた。真っ赤な顔に荒い息遣い――――――――――――うん、まさに風邪引きさん。今はうなされて寝ている景吾君に溜息を吐きつつ………投げ出されている景吾君の手を握る。病気のときは人肌が恋しくなるものだ。それはもう、本当に……うん。風邪なのに学校にいったもんな〜……一人じゃ嫌だからって……まぁ、良い……わかりにくいようでいてわかりやすいな、景吾君……あれはSOSか。





―――――でも、なんで私に?





「……ん、名前?」

「おはよう、景吾君……気分はいかが?」

「――――咽喉が痛い」

「そりゃあ、風邪だから」

「頭も痛い」

「それは熱があるから」

「……なんなんだよ、お前は」

「さぁね」


元気が無い景吾君を見るとモヤモヤした。いつもの彼がいかに私のなかで大きいかわかる。ただ、相手は病人だ。こんなことしている場合でない。私は溜息を吐き、気持ちをきりかえる。そして、できるだけ優しい声を出してみた。


「何かして欲しいこととかある?」


なんて言えば、景吾君は目を見開いて熱により紅く染まった頬をますます紅く染めたのだ。これは、なんかあるのか?


「何、して欲しいの?」

「〜〜〜〜〜っ」


紅い景吾君なんて結構レアだよね。


「あるなら言っていいよ?」


布団を被りそうな勢いの景吾君だが、残念君の片手は私が人質に取っている。もう一押し。


「ねぇ、景吾君?」

「…………林檎」

「え?何?」

「すり林檎が、食べてみたい」


………正直言おう、どう反応したらいいかわからなかった。


「――――本で見た、日本では風邪のとき……すり林檎とか桃の缶詰とか食べるんだろう?」


それは、そうかもしれない……ただ、それをやるのはきっと――――――――――――――私でなく、“母親”だろう。


無性にやるせなかった。


「わかった……」

「じゃ、ミカエル呼ぶな」

「は?」

「………俺様を一人にする気か?」


なんて、人質に取ってた片手を強く握られちゃえば……そりゃあ、抵抗なんてできませんよね。ははは。

ミカエルさんが持ってきたいかにも高そうで真っ赤な林檎を景吾君の目の前で剥く。ウサギリンゴも食べたい、なんてリクエストに私は泣きたくなりながらも答えていた。



―――――彼は、王だ。



王、なのだ。


気高き、誇り高い王。だが、彼は同時に中学生で……子供なのだ。だから、聞いてみるのだ。


「……両親に言わないの?」

「馬鹿か、俺のことでどれくらいの損失が出ると思ってるんだ……言えるわけないだろうが」


その言葉、にもっと泣きたくなった。


「……名前?」


戸惑う景吾君の声。こんなの私が口に出す問題じゃないことはわかっていた。でも、言わずにはいられなかった。


「――――そんなこと、無いと思うよ……もし私が景吾君のお母さんならそんなの凄く寂しい」


甘えられるなら、甘えたほうがいいのに……もっと、大人になったらどうせ甘えられなくなる。それだけじゃない……何時突然甘えられなくなる日が来ることだって考えられるのだ………たとえば、そう―――――私みたいに………


「………名前」


私は、馬鹿だ。辛いのは、景吾君なのに……なんで――――――


「………どうして、お前が泣く?」

「わかんなっ……」


止まらなかった――――――馬鹿みたいに。


そんななか、景吾君がミカエルさんを呼んだ。そして、彼は携帯電話を手に取る。何をする気だろうか………彼は溜息を吐くと、掠れているのに凜とした声で言の葉を紡いだ。


「―――――お母様、景吾です。少々、お時間いただけますか……え?あ、声が掠れてる……実は風邪を引いてしまいまして……え?あ、えぇ?あ、はい……」


ちらり、私に視線を向ける景吾君はふわりと柔らかい笑みを浮かべた。


「ある人に言われました“そんなのは寂しい”、とだから勇気を振り絞って電話を掛けてみました……はい、いまその人がいるので今日は大丈夫です……ありがとう御座います――――――――――――――――――――オイ、」


いきなり変わる声のトーン、表情、私の涙はいつの間にか止まっていた。


「……これで、いいだろ?」


そう言って笑う景吾君があまりにも誇らしげで、なのに耳は真っ赤で……私は思わず笑ってしまうのだった。


「――――かっこ悪いね」

「………っるせ、オイ、林檎のウサギはまだか不器用」

「もう、作ってあげないよ?」

「ハッ、俺様のインサイトは誤魔化せないぜ――――もう、八割がた完成じゃねーか」


なんだかとても楽しそうに笑う景吾君を見るとなんとなく私は今日来てよかったなぁ、と思えて………そしてこの後、なんだか知らないが景吾君に「あーん」までやるはめになるわけなのである。ん?甘えてるのか、コレ?態度が大きいけど………




その後、景吾君のお母さんが景吾君に会いにくることになったと聞いて、嬉しくなって笑ったら何故だかミカエルさんも嬉しそうに笑うのでますます笑ってしまうのは完全なる後日談である。
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