NO.6 | ナノ


▼ 甘い処女雪


き し り

そんな音がしたのは、本を読む紫苑の白い髪を、背後からネズミが手で梳いていた時だ。
正確には音がしたわけではないのだが、その感覚はネズミの手を止めることには十分な理由だった。

きし、きし

もう一度、と手を動かすと、紫苑の真っ白な髪にネズミの長い指が引っかかる。
まるで幼い女の子が持つ人形の、合成繊維でできた髪のような、そんな感覚。

(……傷んでいる)

髪の艶がない。
以前は指が引っかかることもなく、太陽の光を反射して輪を作り、サラサラと流れるような髪であったのに。
ネズミの目が細まる。
やはり栄養が足りないせいだ。
髪を乾かすようなものもない。
自然乾燥に任せっきりなその紫苑の髪は、栄養不足と自然乾燥による双方からの攻撃で、酷く傷んでいるのだろう。

きし、き しし

あまりに指が通らず、ネズミはそのまま髪から指を抜いた。
無理に梳けば紫苑に痛みを与えてしまう。
指の間に残った一本の紫苑の髪はガサガサとしていた。









「紫苑、ちょっとこっちこい」

風呂から上がった紫苑を視界に収めると、ネズミは手招きをして紫苑を呼んだ。

「なんだ?」
「なんでもいいだろ」
「うわっ!」

頭に被さるタオルを取り払い、ベッドに腰掛けるネズミの足の間に紫苑を座らせる。
尻餅をついた紫苑は今、ネズミの腹辺りに頭が来る体勢だ。
ネズミは枕元に置いておいた容器の蓋を開け、少量の中身を手に取ると、手のひらに薄く伸ばす。
ネズミの手の体温に溶けた中身は、乳白色のままネズミの手に広がる。
その変化を見届けると、ネズミはそれを紫苑の髪に塗り始めた。
内側の髪から外側の髪へと、髪の一本一本にまで容器の中身のものが染み渡るよう、丁寧に塗り込んでいく。
ふわりと漂ったフルーツの甘い香りに、紫苑が鼻をひくつかせた。

「ネズミ、これはなんだ?」
「トリートメント」
「トリートメント? なぜ?」
「あんたの髪が傷んでるからだ」

幾度となくトリートメントを容器からすくい取りながら丁寧に紫苑の白銀の髪に馴染ませる。
今日、紫苑が犬洗いの仕事に行っている間に買いに行ったものだ。
贅沢は言えないが気に入った匂いがなかなか見つからず、店を色々と歩き回った。
上品に香るフルーツの甘い匂いに満足する。
ネズミはじっくりと紫苑の髪全てにトリートメントを満足が行くまで塗り込んだ。
トリートメントに濡れた髪にストーブの橙がぬるりと反射する。
ここでドライヤーでもあればいいのだが、生憎持っていなかった。
第一、ここには電気が通っていない。
チッと舌打ち。

「終わったのか?」

ネズミの手が止まり、紫苑はネズミを振り返り見上げ問う。
容器の蓋を閉めながら、ああと頷くネズミに紫苑は自分の髪を触ってみた。
心なしか艶を取り戻して居るような気もする。
キツくなく上品なフルーツの甘い香りが漂って来て、ひょっとしてこれはすごく高級なものではないのかと紫苑は気づく。

「ドライヤーがあれば完璧だった」

不服そうに鼻を鳴らしトリートメントでぬるつく手をタオルで拭き取っていると、自身の髪を触っていた紫苑の様子が少し変わったことに気付いた。

「しおーん」
「……ぼくの髪なんて気にしなくてもいいのに。トリートメントなんて、すごく高いだろう」

呼びかけると、申し訳ないと思っているのだろう沈み込んだ紫苑の声。
ネズミはフンと鼻を鳴らし、足の間にある紫苑の髪を勢いよくかき混ぜた。
まだ乾いていないが、うん、トリートメントをする前より手触りがいい。
フン、今度は別の意味合いを含んだ鼻を鳴らす。

「わっ、何するんだ!」
「うるさい。あんた、おれがあんたの髪を気遣って、この西ブロックでは高級品とされるトリートメントを買ってきてやったんだと思ってるんだろう」
「……そうだ」
「バカ言うなよ。このお坊っちゃんが。なんで、おれがわざわざあんたのために腹の足しにもならないことをしなきゃならないんだよ」

ならどうして。
不服そうに見上げてくる紫苑の瞳に思わず笑う。
ポンポンと紫苑の頭を叩き、白い髪に細い指を通した。

するり

今度は引っかかることなく毛先まで行き、指から髪が無くなる。
まだ濡れてはいたが、柔らかいその手触りに口の端を緩めた。

「あんたの髪が痛んでると、おれが触った時の触り心地が悪いんだよ」

上品なフルーツの香りと石鹸の香り。
ストーブの光を反射し橙に染まる紫苑の処女雪のような真っ白な髪。
乾いた頃にはサラサラになっているだろう触り心地を想像する。

たまらない。

なんだよそれ、自分勝手だな。
くすくす笑う紫苑にはバレないように、フルーツの香り漂う紫苑の髪に、そっと口づけをひとつ落とした。


‐‐‐

しばらく節約だそうです

2012/10/11


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