short | ナノ





この高みに玉座を据えて、見詰めた遠くの景色は余りに鮮やか過ぎた。何年経っても褪せることはない。

「こんなに胸が震えるバトル、久し振りだった。また此処に会いに来て、私と戦って」

心の折れた挑戦者の瞳に新たな火を灯すのもチャンピオンの責務だった。逃げるように立ち去った挑戦者を、また此処に来てほしいと祈りを込めて見送る。もっと上を、新たな成長を。ただ勝つだけではいけない、打ちのめすだけではいけない。己だけではなく、次を育てるのは、この地方において誰よりも高みに座す自分の役割だ。何年も何百人も敗者の背中を見送り続けた。がむしゃらに頂点に君臨し続けた。誰も自分を追い越すことは出来なかった。気を抜ける日なんて一日たりとも無くて、一度でも負けてしまえば自分の価値なんてなくなってしまうと思って、無我夢中で走り続けた。

「此処に居たのか」
「....クチナシさん」

百戦錬磨、無敵のチャンピオン。けれどその顔は、あの日、小さなパートナーを胸に抱き真っ白な明日へと駆け出した、幼い少女のままでしかない。

「クチナシさん、私、これで良いんでしょうか。たまにわからなくなるんですよね」
「嬢ちゃんに分かんねェ事はおじさんにもわかんねェよ」

ラキアナの澄んだ空気が肌を刺し、鼻奥までツンと擽る。チャンピオンの控え室から外に繋がる扉、アローラ全域を広く見渡すことの出来る、限られた者にしか許されない視界。冷気に混じる煙草の香りは知らない間に隣に並び、我が物顔で紫煙を吐き出している。つい先程一戦、頂点まで辿り着いた挑戦者を退けたばかりのポケモンリーグは、既に静謐さを取り戻していた。

腰に据えたボールが揺れ、逞しく成長した相棒達が存在を主張する。私一人では到底辿り着くことは出来なかった場所に、今も立ち続けることが出来るのは、この子達のお陰だった。足が竦んで挫けそうな時も、絶望に視界が黒く染まりそうになった時も、私の必死の叫びに何時だって応えてくれた。

「嬢ちゃん、そろそろ休み時だろ。一旦家に帰ってみたらどうだ」
「そういう訳にもいきませんよー。私、チャンピオンなんですから」
「....そうかい。ま、気が済むまでやってみたらいいさ」

クチナシさんは揺れるモンスターボールに目を向けて、少しだけ目を細めた。この責務の重圧に潰されそうになった時、手を差し伸べてくれる大人は少なからず存在した。離れていってしまった人もいるが、ククイ博士やマーレインさん、ライチさんなんかは今でも私を支えてくれている。ハウやアセロラもこの間来てくれた。みんなと話していると、旅をしていたあの頃を思い出す。何も考えずに、ただ自由に駆け回った頃。ついこの間の話。ここに来るみんなはいつも花束を持ってやってくるから、いつも花が溢れている。きっと殆ど外に出ない私のために気を使ってくれているんだろう。花は良い、心を穏やかにしてくれる。先日、スカル団の彼がくれたグラシデアの花束を手に取った。自然と強ばっていた顔が綻ぶ。スカル団はもう解散したのだったけ。いつ聞いた話だろうか。もう長く此処から出ていない気がして、うまく思い出せない。

「悪ィな、嬢ちゃん。俺達がもっとしっかりしてたらよ」
「何言ってるんですか、クチナシさん。十分助けて頂いてます、私、まだまだ頑張れますよ」
「そうかい....」

「....え、何か仰いました?」

強い風がキラキラと雪の結晶を運び、視界が一瞬白に染まる。雪のベールの向こうでクチナシさんが何か言った気がしたけれど、うまく聞き取ることは出来なかった。

「いや、なんでもねェよ。ぼちぼち戻ろうぜ」
「はい、そうですね。次の挑戦者に備えないと」

煙草の火を揉み消したクチナシさんが、火種の色と同じ瞳で私を見た。何か言いたげなその視線を私は直視出来なくて、なんだか頭が痛くて、全部誤魔化すみたいに歩き出した。

私はアローラのチャンピオン。誰よりも上に立ち、誰にも負けない、無敵の君臨者。重荷だなんて、考えてはいけない。期待に応え続けるのが、私の役目なのだ。褪せることのない、美しい景色を私は明日も守り続ける。


「いくらカプに選ばれたからといえ、あんな子供に....俺達は惨い事しちまったよ....」
「クチナシさん....」
「ククイ博士よう...。とうの昔に死んじまったはずのあいつが、なんでいつまで独りぼっちであそこにいるんだろうな」

崖から転落した幼いチャンピオンの遺体は、死後数ヶ月以上経った状態で発見された。積雪の多いラキアナの凍土に埋もれた彼女の身体は生きていた頃と変わらないように、春が来れば目を覚ます動物のように、ただ眠っているだけにも見えた。彼女の生は人知れず途切れていた。誰にも知られずに終わっていた。だというのに、今日も変わらず玉座で待つ彼女は、紛れもなく彼女であって、自らの手で終わりを選ぶことのできなかった王者の、悲しいまでの末路であった。

「ようこそ挑戦者、私がアローラのチャンピオン!さあ、君の全力を見せてくれ!」

「どうか、どうか、私を倒して」

「家に帰りたいよ」

「おかあさん、」

弔いの花束に囲まれた彼女は、今日も声高らかに叫び続ける。立ち止まることも、戻ることも出来ず、涙ひとつ流せずに。