14年目 | ナノ





「…侑士さんが欲しいです」
『はははっ!』

笑われてしまった。こみ上げる羞恥心と屈辱。つい今ほどの己の発言をみるみる内に後悔する。押し黙った俺に構いもせずに、侑士さんは未だに電話の向こうで笑っとる。侑士さんのアホ。

「…いつまで笑っとるんスか」
『いや、すまんすまん。なんや、お前にも可愛い所があるんやと思って』
「可愛い…」

侑士さんの信じられない発言を反復する。生まれてこの方今日までそないなふうに形容された事などないので、どう反応してええか分からない。そして俺から言わせて貰えば、侑士さんの方がよっぽど可愛い。

『そんでほんまは、何が欲しいん』

ようやく笑いが納まったのか、普段の侑士さんらしい落ち着いた声色で改めてそう問われたが、俺は結局曖昧に濁してその話題から逃げてしまった。
なんだかんだで30分以上話していた事に気付いたんは通話ボタンを切って一息ついた頃やった。俺達はお互いべらべら話す方でもないので、30分以上の通話など、普段に比べら快挙に近い。

「ほんまにアンタが欲しいんや、ボケ」

携帯を握りしめ、相手もおらんのに…いや、相手がおらんこそ、俺は呟く事ができる。贔屓にしとるバンドのアルバム。新しいイヤホン。スピーカー。欲しいものなんぞ挙げたしたらそらキリがないけんど、それらよりなにより俺は、侑士さんがほしい。

俺と侑士さんは付き合っている。男同士という異端要素さえ無視すれば、あとの所は普通のカップルとそうは変わらへん。ごく一般的な遠距離交際中や。
そして俺は今、遠距離恋愛を経験した事のある人間ならば必ずしもぶちあたるに違いない壁に、マニュアル通り頭から突っ込んどるさなかにある。
片や大阪、片や東京。新幹線を使えば3時間もかからん距離やけど、今の俺からすれば日本とブラジルぐらいに遠く感じられる。電話は週に三度は必ずするし、メールなど毎日にのようにしとるけど、それでも全然侑士さんが足りひん。そら声が聞けるのは嬉しいし、メールを苦手とするあの人がそれでも俺の為に長文を打ってくれたりすると胸がぎゅって締め付けられる。けど、それらで生身の侑士さんと接触出来ひん虚しさ全てを埋められる訳でもない。

いつの間にか随分力を込めて握りこんどった携帯をローテーブルの上に解放した俺は、そのまま背中からベッドに倒れ込み、視界を閉じた。瞼にすんなりと浮かんでくる侑士さんの顔は、それでも数か月前に一度拝んだままのものをそのまま思い浮かべとるだけの紛いモンである。もしかしたら今はもっと髪が伸びてるかもしれへんし、肌が少しやけとるかも分からん。それを早いことこの目で直接確認したくて、それでもそれは簡単に出来るもんともちゃうくて、もどかしい。

(はよ夏休みにならええんに…)

夏休みには、長期休暇を利用して侑士さんが大阪に帰って来る。あの体に直接触れる事が出来る。そう考えると今から胸がおかしい程にどこどこ高鳴って、じっとしてられん。俺の心臓は、自分で思っとったよりももっとずっとせっかちや。

ほんまは夏休みに入ってからなんて眠たい事言うとらんと、今すぐにでも侑士さんに会いたい。誕生日プレゼントなんてほんまにいらん。侑士さんが少しでも長い間、俺の傍におってくれればそれで充分やから、そこんとこもっとなんとかならんのやろうか。ならへんのやから、今の状況がある訳やけど。

…侑士さんがほしい。なんて、随分馬鹿正直に言うてしまったもんやと思う。
ほんまに、きっとそのうち喉から手が出るんやないか。侑士さんを、侑士さんの時間を、全て俺のもんにしたくてたまらへん。―それが無理な事やって事ぐらい、頭ではちゃんと分かっとるつもりやけど。




それが4日前の出来事で、今日はとうとう7月20日。俺の14の誕生日は、拍子抜ける程はあっけない訪れを迎えた。

(新着メッセージはありません…か)

朝部活に向かうべく歩く早朝の通学路で携帯の液晶を睨みつけながらに、思わず溜息が零れる。ここ数日、侑士さんとまともに連絡を取り合っていない。
メールこそ毎日続いているものの、なんとなく侑士さんの返事はそっけないし、電話で話したんもあれ以来や。それでも今日は俺の誕生日やし、もしかしたら電話やメールで祝いの言葉とかくれるんやないか…なんちゅう淡い期待を密かに抱いとった俺の携帯にはしかし、幾ら待っても彼からの着信もなければメールかて受信されんくて、俺はなんだかすっかり打ちのめされていた。

(『侑士さんが欲しい』なんて言うたから、キモがられたんやろか…)

しかしあれは紛れもない俺の本心や。俺の気持ちの全てが集約されたあの言葉を拒まれたとなると、俺自身を否定されてしまった事になる。こらちょっとした悲劇や。


「ハッピバースデー!!」

ぐずぐずとしけった心を引きずったまま辿り着いた部室の扉を開けるや、盛大に鳴り響いたクラッカーの音とそないな掛け声に驚いた俺は、思わずその場で固まってしまった。そないな俺のリアクションに満足したようにしたり顔を浮かべた先輩等は、ぽかんと立ち尽くしとった俺の身体を部室の中へ引きずり込むと、俺の頭に100均で売っとるようなちゃちっぽい冠を被せ、「本日の主役☆」との文字が書かれたたすきまでをこちらの否応構わず掛けてくる。

「ほら、本日の主役がそない仏頂面浮かべんと!ほれ、ピースピース!」

言うてこちらに謙也さんが携帯を構えるや、ユウジさんと小春先輩が俺をぎゅうぎゅうに挟んで来よる。両手で作ったピースサインをカメラの方へとしかと伸ばした彼らの真ん中で、俺はただぶっきらぼうに立ち尽くすのみや。

「先輩ら暑苦しいッスわ」

幾ら朝といえども7月の下旬に、クーラーも効いとらん部屋でこの密着度は有り得へん。シャッター音が鳴り終わるやばっちりと俺の両脇を固めとったラブルスを押しのけると、ユウジさんは少し不満そうに唇を尖らせたが、小春先輩は「そんでもしっかり一緒に写真に映ってくれるんが愛やわぁ」なんて言いながら、上機嫌そうに体をくねくねさせとった。

「14歳おめっとさん財前!今日は部活早いとこ切り上げて、みんなでカラオケ行ってお祝いしよな!」

まるで自分が誕生日を迎えたようなニコニコとした表情で部長はそう言うて、俺の頭をくしゃくしゃとその手で混ぜて来よる。そんなんやられたらせっかく造った髪型が崩れてまうんに、俺は憎まれ口の一つも叩けずに、ただ俯きがちにその場に棒立ちになったまま、部長の手を好きにさせとった。
侑士さんの事でがっくしきとった心に、先輩たちの厚意がとてもすとんと素直に胸に降りて、じんわりと暖かく沁み入ってきて、せやのになんだか余計に虚しくなってしまう。
プレゼントなんか何もいらん。ほかの誰でもなくあの人が今日一番に「おめでとう」て言ってくれら、俺はそれだけで充分だったんに。…なんて思うやなんて…、なんや俺、いよいよホンマにキモないか。




「俺って鬱陶しい男なんスかね」

部長の宣言通り午後部活は何時もよりも早い時間に終わった。部室のロッカー前でジャージから制服へと着替えとるさなかに、思わずぽつりとそう呟けば、隣で学ランに腕を通しとった謙也さんが、ぴたりと体の動きを止めて、これ以上とないぐらいに瞠目させた眼で、まじまじとこちらを凝視してくる。

「ど…どないしてん光、お前なんや変なもんでも食ったんか?それとも熱でもあるんやないか!?」
「ちゃいます。俺は正常です」
「せやったらどないしてん、いきなりそんな…」

どないしたもこないしたもない。結局今日一日携帯に忍足侑士の文字が浮かぶ事はなかった事に女々しくも落ち込んどる自分が嫌になった、それだけの事や。
誕生日に恋人から連絡が入らんだけでこないにまで心を鉛のように重くさせている自分が信じられない。色恋沙汰で気力や体力を消耗させるなんや、馬鹿のやる事だと思ってた過去の俺はいったいどこに消えてしまったというのやろうか。

「…別に、なんでもありません」

謙也さんは、自分の従兄弟と俺がこないな関係になっとる事など露ほどにも知らない。知ったらこの人はきっと目を回してひっくり返る。なにも相手が謙也さんに限った事ではなく、俺と侑士さんが付き合うとるという事を知る者は俺ら本人同士以外に誰もおらんけど。

「なんでもないって顔とちゃうやろ、それ」

眉を僅かに下げた謙也さんは、その指で俺の頭を小突く。

「お前、なんや朝から誕生日を迎えた男にあるまじき表情ばかししとるで」

まさか謙也さんからこないな指摘を受けるなやんて。俺は言葉を失った。

「………俺、そないな顔ばっかしとりましたか」
「ああ。なんちゅうか…≪俺ってこの世の不幸を全部背負っとりますわ〜≫、みたいな?」

それって、どんな顔やねん。思いつつも、なんとなく想像がつかん事もない己のへたれた表情を思い浮かべると、肺の奥からしみじみとした溜息が洩れた。
恋人からの着信が途絶えた事をこの世の終わりみたいに悩んで、能天気の代名詞みたいな謙也さんにすらやすやすと察知出来てまうほどのいかにもな表情を浮かべてまうなんて。どんだけ格好悪いねん、俺は。

「謙也ぁ、財前、着替え終わったかぁー?そろそろ出な、歌う時間少ななるでー」

背中に掛ってきた部長のそないな声に振り向きがてらロッカーを閉め、強制的に謙也さんとの会話を切り上げる。謙也さんがそれ以上なにも言及してこんかったんをええ事に、俺はぞろぞろと部室を出て行く部長やユウジさん達の背中へと逃げるように続いた。



「なぁ、あれって…氷帝の制服とちゃう?」

部室を出てグラウンドを横切った直後、ぱちくりと目を丸くさせた部長が校門の方へ向けて指をさしたその瞬間、心臓が止まる思いがした。

「え、うせやん」

部長の言葉に反応したんは、それでも謙也さんの方が先やった。ぐっと亀のように首を伸ばした彼と共に俺もすぐさまこの視線を校門へと飛ばす。
校門前に背中を預けて寄り掛かる、少し猫背の後姿。パリッとアイロンの掛かった、よれの一つもない制服。肩までかかる長い黒髪。
遠眼でも、見間違える筈がなかった。あれは、あの後姿は、紛れもなく、侑士さんの、俺の侑士さんの。

「侑士さんっ!!」

気付けば腹の底からそんな声を出しとった。そないな俺の声に弾かれたようにこちらへと振り返った彼は、俺と目を合わせるなりニッと口角を上げて、その片手を口の横へと置く。

「よぉ、元気しとったか!」

そしてしれっとそんな事を叫んだ彼に、俺はもういてもたってもいられんくなって、事の状況を上手く掴めんまま眼を丸める周りのメンバーを置き去りにして、校門の前で悠然と立ち構える彼の元へと、一直線に駆け寄った。

「おうおう、熱烈なお出迎えやな。ええんか、謙也達置いて来て」
「ッアンタッ…、なんで、なんでここにおんねんなっ…!」

侑士さんの問いに答える余裕もなく、頭の中にまず浮かんだそないな疑問をぶつける。それまでいたずらに成功した様な子供のような表情を浮かべ取った侑士さんは、途端にさっと真顔になって、凛とした瞳を真っ直ぐにこちらに投げて来た。

「なんや自分、今日が何月何日か知らないん?」
「…7月、20日です」
「せやねん、7月20日。つまり、そういう事や」

そういう事ってどういう事やねん。そう突っ込もうにも、俺はもうどうにも目の前の人をきつく強く抱きしめたい衝動を抑えるんに必死で、真一文字に口元を結ぶ事しか出来ない。嘘のように突然俺の前に現れた侑士さんは、前に見た時よりすこし髪が伸びていた。

「うわぁ、ホンマにユーシやん!お前何時の間に戻ってきてん!?」

いつの間にかすぐ傍にまで寄って来とった謙也さんがまじまじと目を丸めながらに侑士さんの肩に腕を回す。突然の侑士さんの登場に驚くん俺も同じやししゃあないにしろ、ちょっとばかし顔の距離を詰め過ぎとちゃうか。いいや詰め過ぎや。

「んー、一時間ぐらい前やな」
「制服っちゅう事はそのまま直行して来たんか!?なんでまたそないな…」
「なんや謙也、お前今日がなんの日か知らへのか?」

ごく真顔で言うた侑士さんに、謙也さんは一驚したように眼を丸める。しかしそれ以上に驚いたんは俺で、思わず口をぽかんと開いて侑士さんをじっと凝視してしまう。

「7月20日。我らが天才クンの誕生日やな」

そう言いながらに謙也さんの後ろからぬっと出現した部長が謙也さんの首根っこを掴み、侑士さんから引き剥がす。そうする事でぐっと遠なった二人の距離に、俺の胸のうちで暴れ取った荒波は、とたんにシンと静まってくれる。俺はきっと、自分で思ってるよりもずっと単純な人間や。

「え…なんや、どういう事や、お前らどういう関係やねん…?」
「なぁ白石、これからのこいつの時間、俺が預かってしもてもええかな」

混乱した様に頭を抱える謙也さんをざっくりと無視して、侑士さんはなんとも真剣な顔つきで部長へと向き直る。

「んんー、それは俺や無くて、財前本人が決める事やからな」

ニヤッと頬を緩めて、白石部長は意地の悪い視線をこちらに寄越す。明らかにこの状況を楽しんどるようなこの人は、この数分間の出来事だけで一体どれ程までに俺達の関係を理解してしまったんやろか。勘の鋭いこの人の事から、大方の事情を把握したには違いない。せやったらもう、こっちかてなりふり構っとらんと、本能のままに開き直るしかない。

「…ホンマすんません、カラオケは部長らだけで行って下さい」

俺の為に企画を立ててくれたんを土壇場で踏みにじる不届きな所行、どうか今日だけは許したってほしい。そないな思いを胸に、心から部長に訴えかける。

「ん。ええでぇ、行ってよしや!愛に生きろや、財前!」

そしてそんな風にあっさりと得た許しにいささか拍子抜けるも、そうとなれば早急にこの手を伸ばして、がしりと侑士さんの腕を掴みとる。

「ほな、遠慮なく」

言うて俺は駆けだした。もちろん侑士さんを引き連れて。どこでもええ、なんでもええ、早うこの人と二人だけになりたくて、抱きしめたくて、キスしたくて、もう限界やった。