ただの男になる

生徒の姿も疎らな図書館の閲覧席の隅に五、六冊の本が積んである。ほかに荷物は見当たらず、座席を確保しているようでもない。ということは、書棚から持ち出して、ここまで持ってきたものの、途中で飽きたか、読み終わったかしたが、いずれにしろ元の場所に戻さず、放置して去ったのだろう。
ざっと確認したところ、本の分類に統一感がない。ひとりが書棚まで戻るのを面倒臭がったがために、同じような考えの者がひとり、またひとりと便乗して、置いていったと推測される。
きょうだけで何回目だ。図書館のマナーも碌に守れない生徒が多すぎることに、ドラコはうんざりする。が、少し前まで、ドラコも“彼ら”と同じだったことは、都合よく思い出さなかった。
学校の風紀が以前より気になるのは、監督生になり、責任感や使命感に燃えるせいではない。だれがマダム・ピンズを手伝い、図書館の書架整理をしているのか、ドラコにとって大事なのは、そこだ。

「生徒に告白されたら、どうする?」

彼女がちょうど手に持っていた本は、家庭で使える呪文が集約されている、初心者向けの本だった。表紙では、主婦と思しき年配の魔女が杖を振り、その周りを料理道具がくるくる飛んでいる。右手から左手に持ち替え、また右手に戻したあとで、「“ごめんね”って言うかな」と彼女は答えた。

「それだけ? 冷たいな」
「え」

ドラコの率直な感想に思わず見せた動揺は、どこか罪悪感を滲ませたものだったので、すでにそう答えたことのある自分を省みているのだろう。
ドラコは負けじと、「これでもか」と提案する。口を動かしながら、手は書棚の整理を怠らなかった。倒れている本を戻したり、背表紙を棚の手前に揃えて、見栄えを整える。棚違いの本を見つけて抜き出すと、舞い上がった埃を吸い込み、少し咳き込んだ。

「相手の両親は美男美女だから、本人の顔もきっとそんなに悪くない」
「その仮定の相手は、ハンサムなんだね」彼女はドラコの話を面白がっている。
「家柄は、まあ多少、思想が偏っているかもしれないが、名家だ。資産家だな」
「ハンサムで名家生まれ、お金持ち」指を一本ずつ折っていき、真剣に考えているのかと思ったら、ドラコが続きのステータスを挙げようとしたところで、「その子、実は問題児で浮気性だったりしない?」とわざわざ書棚の裏に回ってきて、ドラコに訊いてきた。
ハンサムと名家のお金持ちを掛け合わしたら、必然的に浮気性の問題児が生まれる、とでも言いたげな、ひどく偏見的だが、少なくともそういう人物に心当たりがあるような言い方だった。

「“彼”は監督生だし、浮気なんかしない」
「その人はお酒が呑める?」
「相手は生徒だって言っただろ」
「あ、そっか」

彼女は顔を引っ込めた。書棚を挟み、ドラコの向かい側に立って、書架整理に戻っていく。その様子を、本と仕切り板の隙間からさり気なく窺う。背板のない棚がこんなふうに役に立つとは思わなかった。

「……お酒のことは、わからないけど」

お酒と聞いて、彼女がハグリッドの小屋で楽しそうに晩酌をしていたことを思い出したので、本当は意気投合したかった。しかし、こればかりは経験がないのだ。
やや強引かもしれないが、父と母も嗜む程度には好んでいるのだから、その遺伝子を受け継いでいる自分が呑めると答えたところで差し支えない気もする。それに、万が一の場合でも努力は惜しまぬつもりである。

「多分、呑める」
「じゃあ、“あなたはとても素敵だけれど、ごめんね”って言うかなあ」

肝心な部分が変わらないままなので、ドラコは心の中で地団駄を踏み、「相手が生徒だからか?」と目の前を阻む書棚に挑むかのように詰問した。
さきほど抜き取った棚違いの本は、ここは歴史書の棚なのに、癒学書だった。表紙にいる、満身創痍の男性患者が、ドラコに向かってしきりになにかを訴えてくる。
なんだよ、と苛立ちを込めて小声で応えるが、包帯が巻かれた腕を弱々しく振っているだけで、特別な意図があるのかどうかも、わからない。

「そうだね、どんなに魅力的でも、生徒はまずいね」
「じゃあ、ホグワーツを卒業したあとなら、問題ないだろ。卒業すれば、生徒じゃない」
「“大人の女性に魅力を感じるのはわかるけど、もっといい人がこの先であなたを待っているよ”って言うよ」

期待した返答がついに得られず、軽い失望を覚え、ドラコは一瞬、黙った。ひとまず肩を竦めたあとで、精一杯の嫌味を込めて、「“大人の女性”?」とからかう。
「一応、大人だし、女性だから、間違ってはないよ」と自分を指差して、彼女が笑いながら言う。

「じゃあ、その、ハンサムでお金持ちの監督生くんは、私のどこを好きになってくれたのかな」

そこまで仮定していないだろうと予想し、少し相手を試そうとしている気配があった。ドラコの質問責めに、ささやかな反撃というわけだ。が、ドラコにしてみれば、これほど簡単な質問はない。簡単すぎて、口元が緩むほどだった。

「笑った顔が好きなんだ」

好きだと言葉にするだけで、胸が温かくなる。言葉そのものが、特別になっていく。きっと本気の想いが込もっているせいだ。
沈んでいく夕日を一緒に眺めた、あの日から、いつも手に余るほどのことを考え、思い煩ってきた。マルフォイ家が代々受け継いできた伝統や、父が“あの人”の配下にいることに、はじめて引け目を感じ、拒絶されたときの痛みを想像するだけで慄き、きょうまでずっと変わらぬ優しさに何度でも安堵する。以前の自分には決して戻れないほどの想いを自覚しながら、他人の視線も気になる。瞬く間に移ろう己の感情の機微に、ドラコはいつだって本気で向き合ってきた。これからもずっと振り回されるだろうし、きょうみたいに、なにも思い通りにいかないだろう。だけど最近は、そんな無力な自分も、嫌じゃなくなっている。
ドラコは、耳を澄まして彼女の反応を待っていたが、なかなか返ってこないので、姿勢をずらし、本の隙間から向こうを覗いた。
宙を見つめ、目をぱちくりさせている彼女が見えた。やがて照れ臭そうに息を吐き、相好を崩すが、すぐに、これは仮の話なのだと思い出して、苦笑に変わる。舞い上がりかけていた自分を諌めるように首を横に振ると、顔を上げ、目の前の書棚を眺めながら、「手伝ってくれてありがとう、マルフォイ」と言った。
名を呼ばれ、つい見惚れて知らぬ間に自分も微笑んでいたことに気づくと、彼女には見られていないにも関わらず、平静を装うつもりが持っていた本で顔を隠していたりして、ドラコはあたふたする。
「ああ」と発した声が、上擦った。「別に大したことはしてない」
彼女が驚き半分、もう半分は感心した声で、「さすが監督生だね」と言ってくる。

「ここが終わったら、休憩しようね」

勝手に綻ぶ顔から本を離すと、癒学書の男性患者は、死にそうになりながらもまだ腕を振っていた。よく注意して見ると、同じ表紙に描かれた薬瓶を必死に勧めているようにも見える。
やめてくれ、とドラコは本を投げ出そうとした。乱暴に扱われても、男性患者はなかなか諦めない。
しばらく考え、恋煩いに効く薬がこの本の中にあるとは思えなかったが一応、目次を開いてみる。


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